小っせい奴が

小っせい奴が小っせいキャリートラックで恒例の年末札幌詣でに二日間いっていた。

機械でも物が壊れる時は加速していく人類が石を道具として使い始めてから土器を作るまで10万年掛かっているが1903年の師走にライト兄弟がせわしく空を飛んでからわずか66年後
間寛平が生まれてから丁度20年後にアヘアヘ、ア〜メマ~と月に人が行っている。
こないだはどっかの成金が宇宙に行ったらしいが外国にも行った事がない上に船酔いする俺には
100億も掛けて、なんか他にする事はなかったのかと可哀想にみえてしまった。

人類が月に行ったからと言ってウサギから餡ころ餅でも土産に貰って来たのか
俺を始めどうでもいい雑学は増えたが庶民に何かいい事でもその後あったのか
歴史年表を見る度に俺にはなんか誰かにダマされて
現代は自分の幸せではなく満足が誰かの不幸の上に成り立っている様な気がしてならないのだ。
そう思う時に食って行くだけの俺は
なんかこの「 小っせい 」と言うフレーズがいたく気に入ってしまったのだ。


網走北方民族博物館
この時代は皆が芸術家で上手い事、焼けたとか網目が上手く出たとかで
そんな事で幸せを感じメシがいつもより美味く食えた時代だったと思う。
土と水があるだけでもう充分の小っせい幸せでいいではないのかと


望来から崖下村方向を見る。
海沿いを北上しトンネルを幾つも越えて崖下村に戻るがこの時期にこの坂を下り思うのは
現在は満足はしてるが幸せとはほど遠い俺には
冬の西日はターニングポイントは幾つもあった事を思い出させる。

2 thoughts on “小っせい奴が

  1. 昔の話です。
    私が40歳くらいの頃、15歳年下の女性に質問されました。
    「幸せって何?どうなれば幸せって感じるの?」と。
    私は「さぁね、同じ事柄でも人によっては幸せになることでも、人によっては不幸になることもあるんだろうからね、俺にはわからないよ」と答えました。
    彼女いわく、私はいつもヘラヘラしているように見えて、どう見ても幸せ満点な人生に見えると言うのです。
    それに対して私は「いつも眉間にしわを寄せてしかめっ面してるよりはいいんじゃない」と答えましたが、気持ちは複雑でした。
    彼女とは18年くらい疎遠になっておりますが、彼女の幸せを願う私は彼女が幸せを欲するような生き方をしていなければいいなと思っております。
    旨いものを食べた時に旨いと感じ、美しい景色を見て美しいと感じられる、喜びを喜びとして捉えられる心を持ててたらいいのに、と思っております。
    それは自分自身にもそうであって欲しいと願っています。

  2. じゅごんさん 
    幸せの形は人様々だと思うけど
    欲しい物はほとんど一度は手に入れたし
    乗り物は好きで白と黒のツートンカラーから白地に赤のラインも乗った。
    物でない事も銭のカサでもない事も確かだと思う。
    それが証拠に命に代えても残したい物は何一つ持っていない
    なんだろう
    自分で気付く事で その過程も大事なのかも
    不幸な人生ではなかったが
    なんだろうわからん

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