伝家の宝刀抜いちゃ終わり

最近自分はこれだけの経歴(伝家の宝刀)があるのに冷遇されてるから仕事辞めるかどうするか
悩んでいると相談された。
アホ臭いとは思ったが悩みを聞いてやった。
悩み相談などは殆どが結論を決めてるのに来る
諭して欲しいなどと思っていなくてただ聞いて欲しいだけなのだ。


このクソ熱い中で船外機にパソコンを繋いで中のデーター取りだし作業をしてから
エンジンブロックのみを取外し作業に掛かる。
下はアスファルトで日差しを遮る場所もない処で1日一杯作業をして


こんな姿になってさらに分解作業が進むが
鬼瓦三蔵の様な船主が現れ自分が知ってる限りの知識で質問責めに遭い暑さがさらに増してくる。

幸いな事に機械には一切の感情はなく今起きてる事実だけを突き合わせ原因と対策をしてゆくだけなのだ。
一応この機械業界に半世紀以上いるのでどんな質問や少々怒っていても言い負ける事はない
いい負ける事は相手に屈する事になる場合もあるが
殆どすべての人は自分で気付くかどうかは別にして伝家の宝刀を持っている。
それは貴方とまったく同じ人生を生きて歩み通せる人は貴方以外には居ないからで
貴方だけではなく今を生きてる人はすべて伝家の宝刀を持っているのだ。


熱田神宮 草薙館の真剣

重さを確認する為に持てるがカッパワレないように鎖で繋いでいる。
これ以外も剣などが多数展示してるが写真撮影はダメでじっと椅子に腰掛けて見張ってるオヤジがいて
そのオヤジに真剣は重たいと言われるがさほど重くないですねと言ったら
「 真剣は人を切ると言う心の重さです 」と言われてしまった。

伝家の宝刀は鞘に納めて見えないからこそ価値があるので抜いたら上には上が居てそこで一巻の終わり
抜かないからこそ分からずに相手は恐れ敬う
相手がおとなしいなどと高を括って調子に乗ると返り討ちに遭うのは世の常で
常に誰であろうと伝家の宝刀を持っているので敬い畏怖の念をもって接するのが
いいかなと思うのだが

そいつは元気になったと言ったがまた来いと言って見送った。

275号線幌加内

毎日が異常に熱い日中は耐えられないのでゴロゴロして日が暮れてから作業をしている。
今日から暫くは屋外作業になるが自分である程度体調管理が出来る大人と違い
体力がない子供はやはり大人が気を付けてやるしかないのだろうと思うのだが
子供に何かあったらいつまでたっても埋める事が出来ない逆縁になってしまう。
臆病になれ臆病者には油断がない


深名線 添牛内駅
幌加内の住人は1200人が南北に約100キロ圏に住んでいる
この建物は国鉄時代に作られたせいかまだしっかりしてる。
添牛内は苫前から士別に行く街道が交差する場所にあり商いをしてる店は現在は一軒しかなく元郵便局と思われる蕎麦屋があり繁盛しているが営業時間が短く中々食う事は出来ない


ホーム側から見る
ここは1キロ圏内に数世帯しかないがここでも何かしらの持続可能な商売は出来そうな気がするのだ。
崖下村の住民は11人だと思うのだがそこで土日とは言えラーメン屋の収支が成り立っている。
俺が思うのは人が居ない田舎でも観光客をメインに相手にするのは違うのではないかと思うのだが
観光客や一見さんは季節毎のお客さんの入り数や好みの変化などの変動が多い事でやはり周辺地元に住む人が出入りする店が長い事やっていくポイントになり
田舎ほど周辺客が8割で一見さんが2割でないと持続は出来ないと思う
幌加内はそこら中に銭の種が転がっていて根曲り竹やワラビやフキなどの山菜はそこら中にある
それを採って来て段ボールに値段を書いて道端で売ってもいい
根曲り竹は高級品で小っこい瓶に入って3000円もするが
山菜など山の雑草で仕入れタダで経費のみなので経費を切り詰めて価格を安くする事が大事なので掘っ立て小屋でも売れるのが田舎なのだ。
田舎人ほど山菜でお金を貰う事は出来ない!売るなど俺は商売人ではないなどとノタマウのが田舎人の良さでもあり悪い処でもあるのだ。
それを売って銭にしてやるのが田舎の商人(あきんど)の役目でもあるのだ
仕入れタダで1日1000円の収入が有ったらなら月に3万円になるのだ。
野郎は3万などと思うが一次産業の主婦にとっては有ると無いとは天道さんと番頭さん位の違いがある。
元々仕入れゼロでタダなのだ。
すぐすぐ商売にならんでも3年もやったら何でもそこそこに売るのが商売人なのだ。
相手は観光客であっても店は地元に如何に受け入れられるかが持続可能な商売になっていく
山菜1キロ持って来たら店でモッキり酒2合呑めるとか出来たら馬乗って来るかも知れん
物々交換はとんでもない田舎のネパールやアマゾンの奥地では今でもやってるらしい
知らんけど

参考になるのは当別の中村ラーメンさんでラーメン屋だが店先に地元の農家さんの野菜を並べて売っている。


朱鞠内地区
アチコチに41.2と書かれているが何かと思ったら最低気温だとの事
朱鞠内地区は住人は何人いるのか知らないが いても40~50人程度ではないかと思うのだが空き家が多く空き地だらけだが俺にはいい居場所に見える。

275号線

お盆は12日から15日までラーメン屋が超忙しさと暑さでフラフラになって夜は宴会と毎日を楽しく営業した。
年に一回しか逢わない人や子達の成長を見るのは嬉しい
中には還暦を迎えた子もいて俺もアチコチガタが来て歳食うはずだと実感したりする。
一通りの逢う予定の子達が去っていったので
さすがに少し休みたくなり16日は何処かに出掛ける事にした。


いつもはこの交差点を右に曲がるのだが久しぶりに左に曲って275を北上して見る事にした。
車にはラジオやステレオが付いていないので走ってる間はずっと考え事をしてる。
北海道は街道と街道が交差する処には文化の違いをハッキリと垣間見る事が出来る処が多く面白く
きっと内地各県からの集団移住があったからだと思うのだが
集落によって古い家の構造が違ったりする。
道南も日本海側は杉板の下見張りが多くなったり福島を超えて知内に行くと突然四方屋根が多くなったりとその違いを見るだけでも面白い
一番贅沢な旅は歩いての旅で次が自転車やバイクで次が車などだと思うが
同じ場所を通っても見える景色が全然違うのでもう一度バイクに乗ってみたいなどと誘惑に駆られ
乗るとしたら一番思い出が多いTX650に似たバーチカルツインのカワサキのW650がいいかと思ったり怪我の元だからと思ったり
275号線は適度なカーブがありバイクで走るには面白いコースなのだ。


幌加内 いまはそこら中が蕎麦畑で何処までいっても蕎麦

275号線は札幌大通公園北緯42度3分を起点に浜頓別北緯45度9分まで300キロに及ぶが
北海道は北緯44度あたりがひとつの境目でそこを過ぎると辛酸をなめた果ての朽ちた廃屋が多くなる。
廃屋が多くなるのはその家に住んでいた子孫が途絶えたか解体する費用も工面出来ない生活を今もしてる場合が多いのではないかと思うのだが
栄枯盛衰と言うがこの北緯44度を超えると栄も盛も無く枯と衰ばかりで雪や寒さと闘い農業を続けて苦労に苦労を重ねて力尽きたと言うほうが多いと思わせられるのだ。

問寒別駅 竹内商店
幾多の駅の乗降客を見続け守り続けたのか商売とは通りに灯りを付け続ける事なのだ。
柱一本になるまで壊さないで欲しい

世界地図で見ると先進国と言われる国や首都は北緯43度から44度に集中しているのだが
真方位と地図上の方位の違いや地軸の傾きと関係あるのかと思ったり
それにしても21世紀に世界三大バカで欲たかりのプーチン、トランプ、習近平と同時に3人も出て来る事は偶然なのか必然なのか
それも超大国になのだこの事態は
食糧を自前で守る大事さを痛感させらる事になった これは275号線を再度見直すきっかけになってゆくだろうと思うのだが
「 元の形が分からない物は食うな 」と言った人の事を思い出す。
これは元の形が目に浮かびそれを携わる人達の姿が目に浮かぶ物を食えと言う事なのだと思う。

この地の縁者が今は何処かで少しでもいい暮らしをしていて欲しいと思わせる275号線

262の法則 独解

戦争は恐いウクライナがモスクワにドローンを打ち込んだのは
ハッキリと見える形でロシア国民に戦争をしてる事を見せつけてしまった。
もうこうなれば善悪や事の端緒はどうであれ負ける事は奴隷にされると思わせてしまったのだ
国民に負ける訳にはいかないと思わせる事は銃後の守り体制を作ってしまい国民総動員体制になってより長引く事になって行くだろう。
こうなれば攻めても守ってもろくな事にはならないで命も物も無駄に失いながら消耗戦になりどちらかが力尽きるまで進んでいくのだろうと思う。

これは小さな夫婦喧嘩でもストリートでも起きうる事でことの発端は本当に些細な事で離婚まで進んでしまったり傷害事件にまでになったりと
後で喧嘩の発端はなんだったべ~と思い越すと返事しないとかガンを付けたとかでその後に大きな禍根を残す事になってしまう。
これを防ぐには自分自身の中にも2割の真剣と6割の適当と2割の不真面目さが必要かと

この会社経営でよく言われる262の法則は誰が言いだしたか知らないがパレートの法則とも似てるが
10匹のアリの中に働きアリが2匹で6匹は適当に働き2匹はサボってるらしい
一所懸命働くアリ2匹を排除すると6匹の中からではなくサボってるアリが働きアリに代わるらしい

一人の人間でも思考全体があまりにもひとつの事柄に真剣になってしまうと少しでも自分の思ってる状態から外れると対処や制御が出来なくなってしまい思わぬ方向に行ってしまう事は良くある事なのだ。
自分自身でも若い時は自分の思っていた事と少しでも違う事が起きるとすぐムッと顔に出たりして相手に嫌な思いをさせた事が沢山あった申し訳ない 懺悔

これは何事にも真剣に一生懸命頑張る人ですよ、などと評価される人が突然キレたり新興宗教などにどっぷりハマってしまい行き付く処まで行ってしまう人が多い様に思うのだが
プーチンは遅くはないすぐにでも止めるべきでそれで大勢の命が救われる。
過ちては改むるにはばかることなかれなのだ。


上野国立科学博物館 縄文か弥生か食い物が無いと父ちゃんが母ちゃんから攻められるの図

この時代なら食い物さえ獲ってくればほぼ百点だったろうが
この情報過多の時代には世の中を適度に渡り歩く術(すべ)を身に付けなければならない
それがこの歳になって2割の真剣と6割の適当(適して当たっている)と2割の不真面目さだと思う様になった。
俺は遅いけど


可愛いネエチャンからお手紙付き手作り弁当を貰ってしまった。
目の前の港で可愛いネエチャンが自分で釣って作った小鯵フライとイワシの煮付け
人生は銭金ではないと思いながら食って特別美味かった。

 

無能の人


広島平和記念資料館 とばっちりを食うのは末端の市井の人達

4年前に現在の状況はなんとなく想像出来てもう長距離運転は出来なくなり内地に行く事はないべと思ったので
人として最後に広島平和記念資料館を見ておきたいと思って舞鶴から広島に行って来た。
常に出たとこ勝負の人生だったので下調べはしない
2019年に広島平和記念資料館行ったら工事で一部のみを見る事が出来たが
俺の無能さと無知はなんとなく自分でも知っているが無能と無知は全然違う。


俺も大やけどを経験してるので火傷の苦しさは少しだけわかる。

広島平和記念資料館を見てから人間ってあまり頭のいい動物ではないと思った。
結果を考えない傍若無人な行動は便利になると人間は退化する事を証明しているのにそれを自覚していない事に問題がある。
この21世紀にロシアのたった一人のバカ野郎の為に現在も人が毎日消滅していっている。
そのバカ野郎のおよその行く末は見えているが
規模は全然違うが一橋大出のたった一人が破滅へと導いたのは大ナンチャラ家具でこちらもたったひとりの経営者の為に優良企業が8年で終末を迎えてしまったが
現在は資産を引き継いだナンチャラ電気の経営者が黒字化に成功している。
これらは無能を自覚していない無能で経営者や指導者としてはもっともふさわしくない者で
無能な両者ともに自分を過信して周りにも自分に近い考えやヨイショする者を置いた結果が破滅への道を歩む結果を招いてしまったのだ。
耳も眼も左右両方にあるのにだ。

この毎日が頭上からは太陽でクソ熱く 下からはアスファルト舗装の照り返す熱とに挟まれた
両面サンマ焼きグリルの様な道路に立ち旗降ってる人や工事関係者のアニーやお姉さん達が幸せと思える日々を作りだす人こそ真に有能な人なのだと思う。

俺は一度も外国に行った事は無いがなぜかコーカソイドからモンゴロイドまでと外国人との付合いがあるが知る限りでは会釈はしない
日本には離れていても意思が通じる会釈と言う文化がありクソ熱いなかで働く人の脇を通る時に会釈をする事は
その人を少しでも幸せにする真に有能な人なのかも知れない

信じる者

7月に胃の血管がブチ切れて食事制限と禁酒が続いた。
先生に胃の画像をプリントして貰い
酒呑みに誘うなと店に貼って置こうと思ったけど
ダメと言われてしまった。
食事制限が3週目に入った頃テストに一合ほど呑んだが大丈夫でメシもそれなりに食える様になったら
反動かメシを焚かずに外食ばかりしている。
先週は滝川のとっぴーに回転寿司を食いにいったが定休日で魚ベーに変更して食って来た。
ネタはとっぴーが勝ってるが魚ベーは魚ベーなりの良さがあり結構食った今度は魚ベーのラーメン410円を食って見ようと思う。

月曜日は以前幌加内でラーメン屋をやっていた兄~が滝川に移転したので食いに行って見たがやはり美味かった。
午後の閉店間際に行ったのでお客さんも二組ほどで
麺は3種類を選べ俺は基本醤油ラーメンか塩ラーメンを食うのだが
それにコッテリとあっさりがあるので組合せが12種類にもなる全部食うとなると滝川なのでやや一月は掛かる。
幌加内の店に行ったのは一回こっ切りだったが昔バイクで行った事を告げると店主の兄~に幌加内の話など色々話を聞いた。
何事も完璧や完全などはありえないのだが
この業から離れた何気ない話をどれだけ出来るかがメシテロを防ぐカギになる様な気がしてならないのだ。
20代前半の頃に不始末で出来た借金を返す為に包里で毎日毎日同じ物を1年半も作り続けた
その時は右手はこう置き左手はここに置きと効率のみで身体の動きすら決められラインに並んだ。
最初の頃は毎日疲れ切って朝には手がむくんで起きる事すら大変でただのロボットと大した変わらん日々だった。


滝川にメシ食いに行く途中の牧岡

好き放題にやってる北朝鮮がなんで攻められないかは莫大な戦費のコストを掛けて攻め込んでも何も得る物が無いからなのだ。
振り返って日本を見た時にアラブの様に石油が出る訳でもなく何か金になりそうな鉱物資源がさほどある訳でもない
もし日本に財産があるとしたらそれは人しかいない人が財産の国なのだ。
小競り合いはあってもそんな国を莫大なコストを掛けて占領して見た処でサボタージュに合うのが落ちなのだ。
その唯一の財産の人の一挙手一投足をマニュアルで縛る様な人間味を感じさない商売体質がメシテロを招いているのだ。
親も子もあるかと言うヤサグレた奴はそこら中にゴロゴロいるが
ヤサグレた奴に高額な賠償金など無い物は出せませんで終る。
これを防ぐには相対する相手や接客に如何に人間味を出せるかに掛かってると思う。

スシロー民事訴訟は裁判前に和解が出来ないか事前に双方に調停が始まるがそこで賠償請求額は過去の例から当然大幅な減額があり得る事が示される。
現実の賠償額はせいぜい100万~200万程度にしかならんだろうと思う
知らんけど!
それならお互いに他の兄弟や家族のメンタルが壊れてしまう前にスシローも公表せずに和解した事は良かったと思う。
あとはヤカラしてしまったニイチャンはグレたとしても実害を被る人は当事者以外ではほぼ居ないので
きっと良くなると信じてやる事が日本の唯一の財産である人を育てる事に繋がっていく
信じる者と書いて儲けと言う。

神様仏様

神も仏も幽霊も信じていない俺は神も仏もそれは人の心の中にあると思っていて
困った時に速攻で助けが必要な時に頼むのが神様
じんわりとボチボチ未来が良くなる様に滝などに打たれて修行して頼むのが仏様と
俺が思うには神様は現世利益(げんぜいりやく)で仏様は将来利益が多いのではないかと思う。
本当に困った時に手を差し出して貰い助かった時などはその人が神様仏様なので
神様も仏様もすべては人の間(はざま)にあると思っている。
その神様仏様を感じる事が出来ない日々は裏返すとまだまだ幸せな事なのかもしれません
神様も仏様も人間なので結構いい加減で助けてと言わなければ素通りもするし
まだまだ苦労が足りないと判断すると遠巻きに見て通り過ぎるかも知れない
神様も仏様もすべては自分の内や人の間にあり殆どすべての人が神様であり仏様ではないかと思うのだが
当然神様仏様にも例外もあるが・・・・・・


月曜から金曜日は修理作業をするのだがDF船外機はよっぽどの事がないと故障は無いので台数はあるのだが保守点検が終れば暇なのだ。
たったこの画像範囲の故障修理に最新型と旧型のパーツリストを見比べ部品番号を見ても違いが判らず画像に撮って何処が違うのかと何度も見比べて分解して寝ても覚めても考え続け作業完了まで三日間も掛かってしまった。
考えている時に声掛けるな電話するなとモンキーやスパナを投げてはいけない仏の修行が足りないのである。

教訓 簡単な単純な原因ほど決めつけてはいけない柔軟に一歩引いて休んで見る事が大事


土日はラーメン屋で月曜日からはラーメン屋の余った食材で生活をする。
余ったカキと漁師のオヤジから貰ったホヤと綺麗なお姉様から貰ったお握りを食す
ただ茶碗に入れた白米は沢山食べれないがお握りは沢山食べれる。
このお握り文化は日本が世界に誇る文化だと思う。
俺にとっては皆さまが神様仏様なのである。
ナンマンダブ~ ア~麺

琉球与那国泡盛どなん


誰か知らんが琉球与那国泡盛「どなん」が土曜日留守中に玄関先に置いてあった。
メモも何もなしこの宅配ボックスには名前も記載なしで様々な物がドデンと置いてある。
先回はセコマのビールひと箱が炎天下にドデーンと置いて在り暫く預かって置いたが持主はわからず皆で呑んでしまった。
せめて何かしらのメモでもあればと思うのだが どなん


25日には八の納骨も済んで一安心
俺は自分だけの墓ならその辺りの石に名前だけで充分なのだが墓を作ると言い始めてから次から次と自分も入れて欲しいと言って来たのでこんなに立派になってしまった。
墓は一種の広告で
そこそこに雑誌広告原稿を書いて来た経験から広告はこれから買って呉れる人も大事だが自分の店で買った人達に「なんだあんな店で買ったのか」と言われない様にせめて恥を掻かせない事も大事で
佐藤隆太も被害者と言っていいと思うのだが

俺はやりたい事はほぼやったし常に現状を受入れると言うか流されるタイプなので小言は多いが常に満足して暮らしているのでいつでもOKょ~状態なのだ。
ひと安心して隣の墓碑をよくよく見ると陸軍工兵上等兵とまでは読めたのだが
画像に撮って寝倉に戻って画像を見ると旅順203高地明治37年12月8日戦死と書いてあった。
重機も無い設備も無い時代にこのひときわ大きい墓碑を立てるには当時は相当な銭が掛かったろうと寄付などあったのか全額自費で立てたのか
息子が戦死して喜ぶ親がいるとは思えないが軍神の親として悲しむ事も許されなかったのかも知れない
旅順203高地は司馬遼太郎が秋山兄弟の旅順攻略を題材に「坂の上の雲」を書いた。
他には北海道にもなじみがある高田屋 嘉兵衛 を題材にしたのが「菜の花の沖」である。
司馬遼太郎は一時期総理経験者が一番好む愛読書となった時期もありその他の執筆も国の指導的立場の人向けの小説が多く
江戸城は誰が作ったかと問うと司馬遼太郎は徳川家康と言い藤沢周平は農民と答えると言われた。
後に司馬遼太郎は自分の文筆活動に疑問を持ち始め執筆を止め下々の暮らしを見る「街道をゆく」紀行文を書き始める。
もしかして司馬遼太郎はこの墓碑も見たかも知れないが先にこの墓標を見たら司馬遼太郎は「坂の上の雲」は書かなったかも知れんと思った。
隣に自分と回りがチマチマ食って平和にその日が楽しければいいやと言う墓を作ったので
上等兵殿が怒ってこちらに倒れて来ない様に拝んで来た。

The Last of the ryo

ここに来た30年前に初対面で知らない奴にまで、ryoちゃんと何人かに呼ばれてびっくりした事があったが
嬉しかったここを終の棲家に決めた。


神も仏も幽霊も信じていない俺が墓を作って完成した。
ガキの頃はその日のメシも食えない その後は夕方になったら今夜は何処に寝ようかと言う生活も経験したので夕陽など見て綺~レ~などと思った事がないので場所選びは西向きはやめて東向きしたが狙った訳ではないが背後に後光が~
いままで数回海の散骨を頼まれて生前乗っていた船の操船をした事があったが
俺は海に散骨されるのは嫌で樹木葬も嫌なのだ生きた証を残したいので管理費の要らない
公共墓地に墓を作ったが手入れをしない墓は撤去すると書いてあったが
後継ぎがいない墓を税金を使いわざわざ撤去はする訳はないのだ、それは倒れた墓や大きな木が生えてる事からもわかる。
黄昏て数年後に消滅もありそうな町でも何かの事情で撤去などとあるかも知れんので
撤去など不埒な事を考えたらこの小じゃれた白い石の下は全部分厚いコンクリートで
費用はかなり掛かる様に作ってあるのだ。
八も俺も銭が仇の人生だったので完成前に払い早速週明けに墓開きと八の納骨をする
私も入れてと言う希望者も数人いるので死後の世界はハーレム状態なるのは間違えないのだ。
ナンマンダブ~ 色足是食う~ 右の頬を叩かれたら左の頬を叩け~ あらーは偉大なり~


内田橋 ここに三カ月ほど暮らした。

脳科学者じゃないけど人間はトコトン追い詰められたら脳内で記憶を消し去る事が起きるのではないかと思っているが
現代はSNSとやらナンチャラでそれすら許す事なく追い詰めていく社会になっている様に思える。
俺もこのブロブを書く様になってから記憶を甦る事が多くなってシマッてほんと皆にどれほど世話になって、迷惑や不始末をして生きて来たかを突然思い出し詫びで済むとは思えないが過ぎた事と耐えてる。
それでも書くのは見ていて呉れてるかはわからんが多少若い子達と関わりを持つようになって俺でさえ生きていると言いたいのだ。
能面は見方によって泣き顔と笑い顔が一緒になってるそんな感じでトコトン困ったら笑って誤魔化せが俺の信条でもあるのだ。
脳はそれを許す構造になってると信じている。
知らんけど

夏は海を走り回り冬は雪原を走り回りとやって来た俺の血統は絶えるが今までの人生でゆったりなどは無かったので悠ったりと悠大な暑寒別岳の麓で季節季節を味わって笑っていきたいと思う。
数人に俺には心が無いと言われて来てそれもあり悠の字を選択したが
他の墓にも一文字は多いが思うに最後のあがきで自分に無いものを書いてる様な気が~
真実一路を貫き通すなどは人間の一生ではあろうとは思えんのである。

もうバイクやスノーモービルで野山を走り回る事ないだろう
The Last of the ryo

恐い夢を見てしまった。

ずうっと少しだけ知った川でのイカダの事をなぜすぐ員数点検は行われなかったのかそんな事を考えていたせいか夜中になぜかモービルではなくクレーンを水没させてしまう恐い夢を見て起きてしまった。
冬は30年以上各地でスノーモービルを数台使いチームで物標の無い湖川や平原や冬山に測量機材や物資運搬をやって来たが一寸先も見えないなど何度か窮地に落ちいた時には仲良しクラブでは脱出は出来ない船頭が必要で
それはメシの数から来る野生の勘だったりする。
その平時と違う勘の様なものを持つ者は普段意外と目立たない処にいる事が多く平時に声が大きい者はあまり役には立たないのは常識
黙り者の屁は臭いのである。
大昔コンバットと言うヒューマンテレビドラマがあったが その中のリーダーは少尉ではなくサンダース軍曹だった。

 

朝起きると堤防に必ずムラサキウニが乗っている。
この堤防の向こう側はテトラがあってそこにはウニやアワビやイガイなど浅海水産物が多数ありカラスが取って来てこの堤防で食ってるのだ。
いつかは横取りをしてやろうと思ってるのだが食ってる処はよく見るが取って来たばかりの処は見た事がない
この辺りのカラスはハシブトガラスが多くクチバシは10センチほどありそうなのだが潜る事が出来ないカラスがどうやってウニを取ってくるのか面白いのだが取る瞬間も一度も見た事がない
あと数万年もすると鵜の様に水に潜るかも知れない
その時に確実に言える事は人間は弱くなっているだろう。
たった数年前はカーナビなど絶対に使わないと言っていた俺がいまでは無しでは困るので頼り切っている。
携帯だってもしこれを無くしたら仕事や生活を戻していくには相当の月日が必要になるだろうと思う。
以前はかなりの数の電話番号を暗記していたのが今では自分の番号しか知らないし暗算が出来なくなっている。
これが暗算が出来なくなってるだけなら、まだいいが思考力まで落ちて来ているのではないか
最近の犯罪を見るとチョット考えたらすぐ捕まる事はわかるし割に合わない事もわかるのに思考力が停止した様な事件や事象が多い
文明は確実に人間を弱体化させているのはほぼ間違えはないだろうと思う。
そういえば青鼻垂らして国民服の様な服の袖をテカテカにして棒ッコ持って走り回っているガキも見た事がない
現在に生存していたならコロナなどどこ吹く風でそこら中を走り回っているだろうと思うのだが
何処に行ったのだ。


土日朝からビールと日本酒をガバガバ呑んで浜の別荘に帰る旧産炭地から毎週来て毎週同じ事を言ってる酔っ払い石炭コンビ
人生ってほんと様々だなと思う長生きしておくれ
俺も含めて酔っ払い達の為に、美味い酒を呑む為に土日ラーメン屋をやってると言っていいので30食売れたら充分なのだ。