もしいまより賢く生まれ変わる事が出来るなら今度は物を作る側になってみたいと
小関 智弘著「大森界隈職人往来」を読んでその実在した羽田や六郷土手の周辺を数年掛けて歩いた事がある。
その頃は三日も休めればいいほど忙しく深夜便の全日空で羽田に着き
定宿の新橋のカプセルホテルに泊まって三日後の朝にはここに戻って仕事をした。
なぜに全日空に乗るかと言うと修理工の丁稚になった時に鉄道日本社発行の「自動車工学」を読めと言われて
それ以後廃刊になるまで購読して来たので字は殆どを自動車工学とリーダーズダイジェストで覚えたと言って過言ではない
その自動車工学の中でも印象に残ってるのは人間はミスをすると言う事で、
そのヒューマンエラー対策で当時一番優れているのは全日空の整備マニュアルで自動車工学が全日空整備マニュアル特集を組んでヒューマンエラーを防ぐ方法をどうすればいいかと書いてあった。
海保は羽田空港から浜松町行のモノレールに乗り羽田整備場駅を超えたすぐ右下に見えるのが第三管区海上保安庁で管制官と所轄省庁は同じ国交省になり羽田空港は第三管区のホームグラウンドで全国海保の司令塔でもある。
羽田の事故で違和感を覚えるのは
管制官の「一番目」と機長の「一番目ありがとう」と「こんばんは」の交信だった。
離着時の1秒間で約70メーターも移動する秒単位で大勢の命を預かる人達のあいだにこの言葉必要だったのかと
当時の全日空整備マニュアルではミスをしたら何日も前の日常から遡れと書いてあった。
「ハインリッヒの法則」
六郷土手 物づくり工場(こうば)とオバちゃん
一度大田区から歩いて飛行機に乗ろうとしがた羽田空港には歩いて行く事は出来ない