3月7日 神子畑銀鉱山


神子畑鋳鉄橋 現存する日本最古の鋳鉄橋 明治16年に作られたが途中で解体復元されている


神子畑選鉱場跡

一円電気機関車 鉱員以外にも周辺の人は昭和62年に鉱山廃坑されるまで一円を払い乗車していた。
銀も石炭も取れなくなったら廃坑も仕方ないのかも知れないが
なにかシックリこない もともとそこで生きていた人達にとっては台風に遭った様な
鉱山で働いた人達は狭い地域で暮らした濃い仲間がバラバラになってゆく
時よ~時節よ~変わろうとままに~かな


銀鉱山跡 右は沈殿槽 銀でも路上に落ちてないか見たが無かった 路銀
不思議なのは北海道と九州は炭鉱は沢山あるが本州には福島だか何処かに一か所あっただけ
石炭は露頭炭があり見つけやすいが銀鉱山がここにあると最初に発見した人が凄い


遥か下に見るつづら折りをやっとこさ登って国道429号線も小型車はこの辺りまででここからはすれ違う事が難しい処が何カ所ある


公儀御用達の林 花粉症の人は絶対来る事は出来ないだろうと思う
俺はあらゆる菌に耐性があるので大丈夫

墓じまいをする人もいるらしいが こうして残る事があってもいいのではないかと思っている
残しておけばなんの縁も無いが見て思いを馳せ拝む人も出てくる。


内地は何処にも人が住んでる
道の駅あさごから三方町およそ30キロ間ですれ違った車は2台くらい
この感じは南にある紀伊半島熊野古道とは全然違いもっと山奥は山陰とはよく言った感じで
同じ空が狭い山間部でもなにか違う
日本海から瀬戸内海まで直線にしてわずか100キロしかないので海産物を流通させる必要もないのか道路も狭い
さらに南北はまだましだが東西に繋がる道は特に走る事すら難しい道があり途中で止まってもサイドブレーキも効かない道が国道でもあった。
百聞は一見に如かずと言うが何の知識も持たず見た瞬間に感じた事はけっこう的を得てるのではないかと思っている。
それも何度も見てる間に見慣れて見失うなう事があると思うので第一印象は大事かなと
俺はいつもズタズタった格好なので気を付けようなどと思ってしまった。

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