温故知新

ここ崖下村にはとても興味深い人が数人いる。
一人は法律制定前から漁業に従事していた為に特例で貰った船舶免許以外なに一つ免許も携帯も持っていない
厳しい自然界を相手に生と死の狭間の海に出て魚を獲って来る事を生業として2キロ四方から出る事もなく言動もなんの衒いもなく其のままに発言し行動をする。
その人を見てると時代を何処まで遡ったらこのタイプの人達が多数を占めていた時代に戻るだろと思う。
平成か昭和か昭和は戦前と戦後を分けて考え同じ昭和と言う考え方にはならないだろうと思う。
長く封鎖され陸の孤島と言われた処から来た思うままに生きるその人はどう考えても平成ではない昭和だろう それも戦前の昭和の地方の田舎ではないのかと思う。
もっとも俺は生存していないので希望的観点も入ってるが
昭和初期の地方の田舎とは分業制がまったく見知らぬ人や想像も付かない人達によって行われず、ある程度想像が付く時代だった。
その証拠に機械物に関しては各地に製造メーカーがあり、
それは地方の鍛冶屋が材料や原料を生かして行われて来た。
エンジンでさえ地方には地方のメーカーがあったほどで砂で型を作られて溶かした鉄を鋳型に流し込んで作られた。


近江長浜ヤンマーミュージアム ダイムラージーゼルエンジン
石油発動機ではクボタは尼崎が発祥で内燃機械でさえチョット頑張ればそこらの田舎でさえ作る事が出来た時代があったのだ。

2021年はもう一度地方のあり方が見直され土と水のある処に帰る元年になるだろう。
地方は使える物は使い倒し買替年数を伸ばし地方から出てゆく銭を少なくし区域内で循環をさせる事が重要になってゆくだろう。
三方よしの近江商人は全国各地で慎ましい日々を過ごしながら行商をして戻り
近江の国に入った途端に列車から身を乗り出して弁当やお茶を買ったと言う。
それは地元に落ちる銭なのだと言う。
時代は急ぎ過ぎたのだ今一度自分の足で歩いて行ける処の再確認が必要になったのだ。

立ち話、雑談の薦め上越高田雁木通り 下手な町内会館より雁木

嫁に逃げられメシに洗濯の俺が言うのもなんだがこれからは足元を見つめ直した者が幸せを掴む

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