ブログ練習中

修理の世界でも種類が豊富にありその極々狭い世界に半世紀いたが
メーカーの講習以外では殆どが見て想像して聞いて覚えて来た。
それは赤ちゃんが言葉を覚える過程に近いものがある。
人様にものを聞くと言う事は何を聞くかという基礎知識と聞き理解する力が必要になってゆく
修理工は人様が作った物を元に戻す事でメシを食っていける。

回りに居る人間だけの話を聞く、業界だけの話をする。
だがそれは線と線を繋ぐ行動であまり独自な発想にはならないが
持込まれた機械に勝手に一味付けて置きましたと言う事は許されない
そのてん村の大工や鍛冶屋は鍬一本ガンタ一本から常に作る直すを繰り返していて
その独自な発想は立ち話から一杯呑みながら点と点を繋いで輪を作って、面を作ってゆく 
田舎の手作業と雑談の中に新たな発見の原点とメシの種があるような気がしてならないのだ。

旅行の形態として頑張った自分を癒す為もあるとは思うが もう一つは明日に向かって一歩前進もあると思う。
その一歩前進の為にはいま普通にあるものをジックリ見つめ
声を聞く事も旅行の一つだと思うのだが
何気なく見た点と点がはたと気付き輪になり そこから新たな商売や物が出来てゆく
もう人に用意された舞台でバカ騒ぎだけをする時代は終わった事をコロナは告げている。

画像を入れたいのだがまだ入れる処までこの仕組みが理解が出来ていない

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA