道南に南下一日目

例年なら今頃は腹巻に銭を入れてフェリーに乗っているのだが
今年はコロナの発生で道外に出る事は諦めた。
アフリカだろうが中国だろうが他圀の人に来るなと言う場合は自分も汚染地域から出てはイケないと思う。
立場で意見が変わる奴は信用できん

津軽海峡にはブラキストン線と言う動植物の分布境界線があり
下北半島には道内には居ない野生の猿が普通にいるし景色も雰囲気も全然違う
さらに北海道も亀田半島と松前半島は雰囲気が全然違う。
なぜなのかは今回少しだけわかったような気がする。

松前半島は東北でも秋田や新潟に近いものがあり亀田半島は岩手など三陸に近い雰囲気がある。
言葉はどちらも青森津軽に近い様な気がするし明らかに北海道のごっちゃまぜ弁とは違う。
美人とは自分が思えばいいだけなのだがよく秋田美人と言うが
全国を回った俺が思うには
丸顔で目鼻立ちのハッキリした顔で色白美人が一番多いのは青森ではないかと思う。
ところがこの美人に関しては函館と青森の間には確実にブラキストン線は存在すると思う。
理由はわからんが女は地元に残り野郎は行く先々で女を作るからかも
春になったらニシン漁で出稼ぎだと嫁に言って北海道に来て 秋になったら収穫の出稼ぎだと北海道の嫁に言ってと
ふた釜戸持つのも居たらしい 人的移動は圧倒的に野郎の方が多く
女性の顔立ちは固定されやすいのだと思うのだが


以前から行って見たかった寿都の店に行こうと思い3日12時昼から出発するが
いつも通りアチコチ寄り道で寿都に着いたのは19時過ぎて目的の店は閉店していたので
そのまま南下をする。
車にはラジオが付いていないので狭い空間でひたすら考え事をする。
儲けるのは好きだが 稼いだ銭の使い方やなんとか成るさと言う考え方に問題があり全く残る事はない
食えなくなったら その辺の物を叩き売ろうと思っているので大した深刻にも考えていないが

小さな集落を見ると俺ならここでどうやって生きてゆくかを常に考える。
そうする事で自分の今の場所の見直しが出来ると思うのだが
漁業と小さな畑作で食おうと思ったら何処でも生きていけると思うのだが
意外な事に浜辺の小さな集落でも達筆な人が多いらしく実際にここ崖下村の古老は殆どの人が達筆な墨字を書く
江戸時代の早くから開けた日本海側は食って行くだけでない何かがあるような気がしてならない
一日目は島牧道の駅で車中泊 島牧は車中泊が常に数台居る。

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