勝手に思うに

二階幹事長の「 まずまず 」の発言を冷静になって考えるには
規模的には明治43年8月の関東大水害を想像し覚悟していたのではないかと思う。

保険会社は本来は相互扶助が基本だが大きく内部留保を取り崩す事になりかねない事態になる事を恐れたと思うのだが
損保保険会社は車メーカーなどが株主になっているので一定の線までは『 風吹けば桶屋が儲かる 』論が成立する。
それも保険を掛ける事が出来る人達の話で保険を掛ける余裕の無い人達に目を向ける方法はないのかと考えた時に
台東区の様な考え方が根底にある場合はやはり問題が生じてしまう。
経済発展と人間本来のあるべき姿や考え方は反比例するのかも知れないし
便利な社会は自分の命の管理を外部委託して人間本来のなんかアヤカンと危険を察知する生きる力も反比例するのかも知れない

北海道は水害と密接に結び付いた土地でもあり
新十津川町も和歌山県十津川村からの被災者が移住して来て現在の新十津川町が出来た。
尾白利加字国領の入植は明治43年関東大水害の被災者が群馬県佐波郡豊受村国領から移住して来た人達によって開拓され
その関東大水害は栃木県からも多くの被災者も移住をして来て佐呂間地方に栃木集落を作った。
時の明治政府は水害被災者に北海道開拓をさせる計画だったが
移住した被災者は自分の土地を持っていなかった農業未経験者が多かった為に
多くの北海道開拓農地は失敗に終わる事になってゆく
栃木集落開拓者も離農を繰り返し現在は栃木県出身者はわずか数戸を残すのみで最初の開拓者とは入れ替わっている。
だが実際に行って見た時にあれっと思った。
そこは行止まり集落でいい意味で北海道なのに内地の集落に来たような感じがした。
来年は栃木集落村祭りがあるなら来て見たいと思った。

思うにはテレビに写る事もなく保険も掛ける事も出来なかった人達に貧者の一灯を確実に届ける方法はないのかと思うのだが
それは政府でもなく保険会社でもなく小さな集合体にしか出来ない事なのかも知れない
『 風吹けば桶屋が儲かる 』は本当だと思う
だがそれは被災者に一番近い桶屋でなければいけないと思うのだが


田舎では儲けた銭を内部留保などと独り占めすると因業爺と言われる。

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