なんとかなるって

メシ食いながらニュースを見るのだが想像するだけで怖くて怖くてここ数日メシがあまり食えない 

古い街の道路を歩くと昔は殆どが水の流れに沿って作られて来た。その流れは境界を造り街の色を造って来た。
原野二線でその辺の空き地や河川敷に勝手に畑を作りジャガイモやトウキビなどを作って川で魚をすくって遊んでいた  蛇行していた留萌川は時期になるとサユリは首に輪っかを巻いて遡上しトゲウオやシラウオが遡上し獲って食ったり川を超えて山菜採って食ったりした。
ジャガイモなど大きくなる前の十円玉ほどの物を木桶に入れて板でゴシゴシとかき混ぜて皮を剥き茹でて食ったりした。

子供心には留萌駅から道銀を結ぶ線から西側は大人の世界で別世界で怖いと感じたが 
10歳くらいの時にはどうしても稼がんといかんかったので行ったり来たりしたが
これが大人の世界ならこのまま大人にならんでもいいとよく思った。
それからやや3年後に南区の海抜ゼロ地帯の元塩町にゆくが 今までの世界と別世界で当てにしていた事はことごとく外れ町中に一人掘り出された。
すぐ横に魚など全くいない 何かわからん物が流れ事もなく漂う見る事さえ恐かったドブ川の大江川やスラム街
夕暮れが恐くて恐くてしかたなかった。
さらに夕方になると初めて見るコウモリが南光の古い校舎に戻って来る。 
出逢った者はチ~を吸われて確実にオッチヌと信じていたコウモリが空一面に舞っていた。
地面には何一つ食う物は生えていない この時に生きてゆくのも大変だと思い
あまりにも違う環境で腹すかし、その時に初めて死と言う向う側の世界はどんな事になってるべと思い、もしかしたら今より楽かも知れんと思った。
正規に働けるまであと一年以上あった。

ところがどっこいあるがままで生きていると 製麺屋のオバチャンは余ったからと言いながら
実は余っていない、うどんや中華ソバの玉を呉れ 的屋のアニーは笠寺観音の屋台の仕事に誘ってくれた。
じっと一日立ってする、結構辛いネジ切りの仕事に誘ってくれる製缶屋のアニーとか生きていさいすればなんとかなってしまうのだ。


ハタハタ大量に貰ってしまった。

俺は思うのだがいま困っていると腹をすかしていると口には出さんでも一所懸命生きてると誰かが見てくれる。
生きて、食って、いつか誰かに手を差し出せる事はそれは自分の為になり自己満足と言うご褒美を貰える。
うん~うん~といいべやそれでと思う。

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