弥生道

内地はこんな山奥に誰もいないべと思うような山奥に人が住んで居る時があり
それは歴史がある為にそこに住まざるをえない人達がいる
昔は本当に住井すゑが言う『 橋のない川 』が実在し実際にそこに何度も行った事があるが
北海道での弥生の歴史はどんなに遡っても太田神社で せいぜい400~500年 縄文の人達は数万年と長いが弥生の官僚機構にやられてしまった事と
明治維新で次男坊以下と負け組が渡道をして来た歴史があり
それがしゃ~ないべと その時々の政策で生まれた地を捨てる事にたいした抵抗が無いのかもしれない

すべての道は江戸にゆく為に作られており その道で儲けた銭も人も運んで行ってしまった。
いままたさらにぺんぺん草も生えないようにしようとしてるとしか思えない道々


『 せんの木物語 』を一目みたいと探しに来たが休館日だった。図書館を探すが夕張には図書館は無いと言う。
赤平図書館で本を読んでからなぜか旧炭山の本を色々読んで見たいと思い続けてるのだ。
買う銭は無い

夕張屋台村 屋台大好きな俺としては、、、、、

丁未風致公園から山道に入る。

丁未、万字線を山越えする 。この何処かにせんの木があるハズだったが間違えた。
この道は行ってはいけない普通の車は通る事は出来ないし何かあっても発見はされないだろう。

延々と砂利と泥の山道を走って出た処がここ万字小学校跡 以前来た時から古い炭住はすっかり壊されて面影はない 夕張市街地もすっかり綺麗になってしまいなんだかな~と思ってしまった。
 
この為にミニキャブのタイヤとスプリングを替えて来たが後で地図を見るともっと近い場所にあった。
大夕張に入った時から丁未はどこかと数人に聞いたが知ってる人はいなかった。
本当の丁未地区は車で走る人以外は分からないのか知れないと思った、旧炭山はそれだけ地区地区の独立が保たれた地域だったのかも知れない 
地域の独立は道に寄って崩壊してゆき その道は霞が関の手下(てか)によって管理され栄て
巻上げる金が無くなったら捨てられ滅びてゆく 

道にはしんにゅう「 辶 」に首を置く 悪霊が入って来ないように道標に首が置かれていたそうだ、
俺は首は見た事はないが
種々雑多の異文化の交差する処に人は集まり商いの種があり それはそこに棲むもの達の手で考え守らんと滅びる。

もうすぐ夕張線廃止らしい 
皇紀2677年 弥生の象徴の神社が儲からんからと廃止する奴はいるのか~
廃寺は有っても廃神社は無い

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