三河紀行 8 


平地の少ない内地では墓は何処にでもあり毎日見て暮らす処はよくある。
その墓も嘉永だとか元和とかも普通にある。
先祖を身近に感じると中には戦で騙し討ちに遭ったり残念な最後の場合は恨みつらみを思い出す場合もあるのだろう。
以前謙信廟を見た時に中に吉良上野介の墓があり説明して呉れた人に赤穂浪士の事を聞いた時に
「 あいつらはテロリストだ 」と言い その後の話でも 350年以上前の話でも う~ん結構引きづっているのだと感じた。
その辺りが北海道との違いなのかもしれない


越前加賀公園海岸
長距離を車で走ってると中々メシが食えない 営業時間が11時から開店の店が多く
その時間帯に合わせると混んでる時間帯に街中を走る場合が多く バックがしずらい車やキャンピングカーなどは駐車が面倒で諦める事が多い
勢いコンビニになったりスーパーでメシを買ったりする。
長距離移動の場合は一か所に絞って時間を合わせて走る事はやはり難しい
日中は景色を見ながら走り夜は道の駅で車中泊をする場合は道の駅の中の店も閉まっていて地元にまったく貢献しない場合も多くさらに
国道などは早朝は明らかに旅行客が捨てたと思われるゴミが沢山散乱している。
このままいくとキャンピングカーは嫌われ者になる日は近い

朝市と化した道の駅もありそれはそれで周辺客で賑わっている
北海道でも岩内や日高などの道の駅は街中にありメシを食って そのまま車で寝る事が出来るので地元のメシや酒を呑む事が出来る。
道の駅を長距離トラックドライバーの為か町の宣伝かなんの為に作るかと言ったハッキリとした目的がないと賑わるのは最初だけで後は維持費を町が出す一方になってしまう。
それに気づいた処はこれからは止めていく道の駅が多くなるだろうと思う。

高速や有料道路を使わないカーナビで走るとこんな処は普通に誘導されていく
古い町並みを見たい俺は構わんが
初めて地方に行くトラックドライバーはどんなカーナビ設定なのかと聞いてみたい

国鉄がもう少し賢ければ大動脈は一人で多くのコンテナを運べる列車で運び駅をハブにして後は小さな車で配達する事は出来たのではないかと思う。
ただでさえドライバーが足りない上に高齢化してるのに
たった4000人程度のここでも毎日何台もの宅急便のトラックが入って来る。
会社によっては大した荷物もないのに各社別々に路線を持ってるばっかりにカラでも走らんならん事も多い

昔のチッキの様に駅を集配場にして そこから配達集配などやったら軽貨物で充分で町の仕事も出来ると思うのだが
俺の寝てるベットから20メーターほど後ろがJRの廃線になった線路があり
地方で廃線を聞く度に何か方法は知恵は無かったのかと思う。


地方で燃料を入れる時は出来る限り小さいスタンドで給油をする。
ここから敦賀フェリーはすぐで4月2日乗船なので最後の給油になる。
給油もここまで無事走らせて貰ったから給油するか
これから走らせて貰うから北海道で給油するかで同じ給油でも少し違う。
高齢おばちゃんが出て来て北海道かいと聞く
わたしの親戚が美国に居て一度北海道に行って見たいと言った。
こう言う待ちの商売やってると売上ゼロでも店を休む事は出来ない
その為に地元で楽しみを見つける事しかなくなって来て仕事場がサロンと化すのだ。
そこでは小さな話を膨らませ盛って盛って同じ話が延々と続き旅人などいいカモなのだ。
旅人も笑いの一発も出ん様では唯々排気ガスを残していくだけになってしまう。
北海道人が内地の田舎に行って使えるギャグは
「 サルを見た 北海道はサルは金出さんと見れん 」
大概は喜んで呉れる。

イジメ

非常識と常識が戦うと常識は勝てない
それは当然の事なのだ常軌を逸しているロシア、ウクライナ戦争を見ても世界中の結構悪い奴も沢山いるだろう指導者、政治家でさえも誰もが
非常識な侵攻を許してしまった。

JR恵比寿駅がロシア語標記を隠したと非難されてるが
久しぶりに電車に乗ったが秒で動く鉄道会社の仕事は乗客を安全に適切な価格で運ぶ事が仕事なのだ。
その線路屋に世界情勢がドッタラコッタラと言い本来の仕事で無い事で右往左往させる非常識な奴の方が悪いのだ。
狼狽えてアタフタと紙を張ったり剥したりして当たり前なのだ。

旭川はここから1時間半でいけるしいい奴も悪い奴も知合いは沢山いる。
そんな近くでイジメが起きて亡くなってしまう。

学校は良識の場であり
人を見たら悪人と思え、隣の席の奴が、お前の財布を狙っているとは教えない
イジメ問題は良識、常識、性善説の元に成り立つ学校と言う組織の本来の仕事ではない
そもそも学校は隣人を疑う事を教える場所ではないし
善人出身の先生そのものが悪い奴に対処出来る様にはなっていないし
悪い奴に慣れてはいけない
イジメ問題をいつまでも学校や教育組織に解決を迫っても解決しないのではないだろうか

悪い奴には悪い奴の論理と訳があるが
多くの善人が普通の生活を続ける限りは
そんな奴の論理を理解したり共感する必要は全くない
学校は学校本来のやるべき事をやり
イジメ問題は二度と起きない様にまったく別の組織を作り対処する道を探すべきではないのかと思う。

ラーメン食わしてやりたかった。

三河紀行 7


北海道と東北の山は富士山の様に独立しそびえる山が多いが北陸道と東海道との間に東北道があり何処から見ても壁の様に山々が見え これが北海道との大きない違いではないかと思う。
シェルパ、テンジンの住んでいた村ではエベレストは登ってはいけない神の山だと言う
テンジンが登った事でエベレストは銭になる山として変わっていき多くの犠牲者が出て来る。
スノーモービルでそこらの山を散々登った俺が言うのもなんだが
足を踏み入れていけない領域と言うものがあってもいいのではないかと思う様になった。
モービルは目的に合わせて3機種5台持っていたが今年は水源地を見に行く為に最後に残していたBR250Tを車の改造費の為に売ってしまった。
もう二度とモービルには乗る事はないだろう S300からやや40年
冬山は恐い 山からは色々な教訓を得たが一番は自分の足で行った処しか歩いては戻れないと言う事だった。

何処を走っても山が壁になっている。
野麦峠で時間が掛かり高山に入ったの夜だった 駅に行って見たかったが
記憶にある高山とは全然違い車の量が多すぎて流れに乗れず駅処の話ではなく端折って飛騨の道の駅にゆく
なにせ左目の視野が狭く左折も大変なのだ そろそろ車での旅行は止めないといけない事を今回思い知らされた。

夜は走るのを止めて飛騨道の駅で寝ていたが
俺のキャリーはFFヒータが付いてる為にエンジンを止めていてもヒーターの音がするので車中泊は隅っこの車が居ない処に駐車をする。
明け方前の4時頃 その俺の車を挟む様に新型ハイラックスサーフやハィエーやなんかわからん車がドヤドヤと数台止まった。
エンジン音はどって事ないのだが話声がやたら聞こえて来た。
この夜中の話声は耳障りで気になって仕方ないのだ。

こそっと外を見ると若者が何やら荷物を積みかえて身投げがドッタラコッタラと聞こえてくる。
夕闇の日本海で身投げと言えば東尋坊か金大中事件である。
それもそこそこに聞こえる声で物騒な話が続き 離れてはいるがトラックや車中泊の車が居る中で うるせぇな~と思い始めた。
相手が自分より弱ければ見過ごすと言う事が出来ないと言う 都合のいい性格なのだが人数も多くさらに若い上に身投げがドッタラコッタラと笑って話す集団なのだ。
どうする このまま去るまで待つか注意をするか悩んだ。
注意して頭を踏み付けられるのも嫌だし顎の骨にひびを入れられるのも折角日本海で回転寿司を食おうと思ってるのでそれも嫌だし
しばし悩んだが
今までの人生でコイツは根っからの悪党だと思う奴に逢った事がないし
俺は根っからの商人兼修理工で交渉事には慣れている。

誰かに注意をする時に気を付ける事は注意する側は俺は正義の味方と言う正義の大看板を盾にしてはいけない
どんな奴にもそれぞれの考え方と理由がありまずは聞いてみなければわからない
言ってもわからん理解出来ない事はありそれは仕方のない事なのだ。
だが見過ごす事はその場では反感を持たれるかも知れんがその後に何年後か知らんがその本人に生きて来る事もある。

金大中の様に拉致されるのも怖いが思い切ってドアを開けた。
俺の車は中でとても人が寝てると思えない作りなので そこから人が出て来て相手はびっくりこいている。
「 あの~も少し寝て居たいのですが~ 」とスリスリと揉み手をしながら言った。
普段から人様に迷惑を掛ける奴は生まれてこの方
褒められた事や認めて貰った事も一度もないと言う奴は沢山いる
その相手には正義の大看板を背負っているからこそ下手に出る事が必要なのだ。
若者は「 すみません 」と謝る 若者の怪しげなクーラーボックスの中はバラバラにした遺体ではなく
ホタルイカで獲物を分け合っていたのだ。
ホタルイカがどっさり入っていて四方漁港に行くとホタルイカが網に身投げをする様に飛び込んで来て面白い様に獲れるのだと言う。
その様子をホタルイカの身投げと呼ぶと教えて呉れた。
日が昇ると身投げは終わるらしい
今から行っても獲れるかも知れんと言われ
その場を四方漁港を目指して脱兎の如く去ったのは俺の方だった。


残念 神岡鉱山まで来て夜が明けてシマッタ
それでも欲の皮が突っ張ってる俺は鹿部間欠温泉の様なオシッコタイムの後にひたすら四方漁港を目指し走るも
ホタルイカの身投げは終了していた。
浜にテントを張ったり車で住込んでいるのではないかと思う北海道の鮭釣りの様だった。

知多半島では生シラス丼を食って見たかったのに

3月30日に行った 師崎港
ここはシラス漁は4月1日からで生シラスは食い損ねていたので
今度こそホタルイカを自分の手で獲って生で食うぞと意気込んだが朝になって時間切れアウトだった。
後日聞くにはホタルイカは生で食ったらいかんらしい


初めて来たが一応富山ナンチャラ県民なので
どんな処なのか近くに行ってみたい気もしたが
顔を見せん、知らん、行かぬのが華なのだ。

三河紀行 6


野麦峠に行ってみる。

剣が峰の大日岳か大日岳だとしたら標高2500メーター
山を見る時に何処の山を見てもなぜか北海道の山とは全然違う様に見える。
北海道では一番高い山でも旭岳で2290メーターで横の広がりがない 内地では標高1500メーター位なら普通に車が走る道路が付いているが北海道では標高1000メーターを超えて道路があるのは層雲峡位ではないかと思う。
キャブ仕様のガソリンエンジンでは変調を来たす標高になる。

野麦峠5キロほど手前になんと集落がある 阿多野郷集落 現在の村民は居ても20~30人程度と思う。
生計は林業か越中から諏訪地方への昔の街道なので旅籠か木賃宿で生計を立てたのか
現在は年金で生計を立ててる集落だと思うがノンビリして良さそうと移住する人も居るかも知れんが
そこにはそこの年月があり都会から突然行って生活するのは問題が多い
俺は田舎暮らしの先駆けとしては田舎で暮らすには家を直す木を切るロープを使うなどあらゆる事が自分で出来る事が必要で
田舎者が都会で暮らす事は出来ても都会人が田舎で暮らす事は中々出来ないと思う。
さらに集落の事は冠婚葬祭も知らん顔は出来ない
寄合も手ぶらではいけない
集落すべてを面倒を見ると言う位の気構えと銭も必要になってくるし
地籍もゴロタ石を置いただけでハッキリしない場所ではジェロニモかアパッチ族の生まれ変わりかと思う婆様や爺様の先住民にされるがままなのだ。
集落の会合もまず長老が分かり切った事を話し、
それと同じ事を次の長老が一言一句違えず皆に聞かせ
次に班の長老が同じ事をシャベルまで誰も口を挟む事は出来ない
そうでなければ長老達はあ~う~で終わる日常で口を開く何かを言う事が無いのだ。
会合は会議ではなくレクレーション大会なのだ。
それでもいいと言う ヌる~い考えの者以外は田舎に暮らす事は難しい

学校か


村の守り神には逆らえませんがな~


ガビ~ンあと僅かで通行止め 戻る事に内地の林相はわからんが標高1500メーターは軽く超えていると思う。

山の雪が消えてる処とある処の境目は標高線を引いた様にハッキリとわかる。
盆地特有の現象なのか

アチコチ点々とした俺は思うけど住んでる処が一番
今住んでるそこで一生終えるのも素晴らしい事だと

三河紀行 5

4月1日 予定より早く用事が終り愛知県を離れる事に愛知県も田舎に行くと瓦屋根にはこだわりがあり小屋根と言うのか小さな屋根が付随してる。
いまで言うデコトラと同じ感覚なのだろうか
時間があるので岐阜県を回り一旦富山市に出てから海岸線を南下する事にして岐阜県を目指す。

中山道 中津川宿

馬込の宿などは以前に旧街道を歩いた事があるのでナンチャラ協会で疑問に思ってる事を聞いてみたがハッキリとした回答は無かった。
人通りもあまりない山道の街道を稼いだ大金をどう持って歩いたのか不思議なのだ。
両替商による送金手形があったのだと思うのだが それとて安全なものではなかったと思うのだが
街道特有の御法度があったと思うのだが中でも東海道と中山道では山賊は中山道の方が多いと思うので中山道は全然違う仕来たり御法度があったハズだと思う。
ここで3度目の挑戦の大平宿の入り口の場所を聞くが大平宿は聞いた事が無い知らんと言う。
北海道では買い物圏だが内地では60キロ離れた場所はすでに異国なのだ。
この辺りが北海道人との違いがあり道民は良くも悪くも土地に執着がない
プライド高めと思われる爺が本を持って出て来て大平宿と中津川の宿を一緒にするなと言う。
爺は「 中津川の宿は幕府が認めたパブリックなもので大平宿は木賃宿なのだ 」と
知らんかった中山道や東海道は幕府が認めた宿で誰でも泊まれなかったらしい
う~ん今で言う高級旅館の様な物でその辺の木賃宿と中津川宿を一緒にするなと言う事なのか
一度知らんと言った手前力んでるのかと思ったが内地の國境では現代でもよくある話なのだ。
先祖を身近に感じ過ぎるのもそれはそれで大変だなと思う。

時代はドンドン変わり付いて行ける者と付いて行けない者との乖離が大きくなってゆく
俺は今だにガラ携帯なので今回はガラ携帯ではフェリーにも乗れない ホテルにも泊まれない場合もある事を知った。
浜厚真から出るフェリーをパソコンで予約したが3Dカードがドッタラコッタラで支払いが出来ない為に現地でスマホで再度予約せと言われるが俺のガラ携帯を見て受付が
何処から来た田舎者かと言った顔で困っていたが窓口は悩んだ末に手作業で再度予約して乗船
豊田市の宿は宿帳にあるゴチャゴチャしたQRコードを読み取り宿泊完了になるとの事で
寝る事もスマホを持っていない田舎者は出来なくなりつつあるが
こうなったら意地でも使い続けると思うのであります。

南木曽 空き家
家の作りが今では防犯上考えられない作りだが昔だってそんなに治安は良くなかったし村まる事巻き込んだ事件は沢山あった。
今と何が違うのか
来るな来てみろ返り討ちにして呉れるわと思ってるのか
無手勝流の極意で無防備だからこそ襲えないのか
結構そこそこ危ない目に遭うと強そうで弱い奴は沢山いるし一見無防備に見えて強い奴もなんぼで居る事を知る。
プーチンの様に相手を見くびってはいけません
これからは北海道が標的になるとの論評が多いがロシアとの国境は函館に行くより近いここで今更実際どうするのよと思う。
核ミサイルを7000発も持っているロシアに対抗する核を長さ1500キロ幅200キロのこの狭い国土の何処に何千発置くの
地政学的に今更どうしょうもなく ある程度の海上と陸上での防衛以上は出来ないのだ。
それよりは一般住民はいち早く逃げる方法を考えるべきで空き地になった北海道はお互いにやりたい放題に気が済むまで空き地に撃ちまくったらいい

いつ来るか 来ない可能性が多いのに毎日恐怖感を持ってなど暮らせない
内地の安全な場所に居て北海道はもっと恐怖感を持てと言う奴らに虫唾が走るのだ。
戦争は政治の最大の失敗なのだ まずは政治で外交努力が一番先に来るのがスジなのだ。
戦争はどれだけ酷いか毎日見てるが平和の為なら二枚舌も使うヨイショもする裏も掻く
引き延ばし時が解決してゆく事は沢山ある。
敵地となった うどん屋が誰に使われようが当たりまで些細な事で
もともとロシアやプーチンにはそう言う危険性はあったのだ。
覚悟の無い うどん屋に言いたい うどん屋など呉てやれ北海道民を煽るなと


南木曽

江戸時代は木地師は師と付くだけに幕府から特別な待遇があったらしい

耕紡工房 この人里離れた場所にパン屋が
ここで大平宿は冬季通行止めで行けない事を聞いた。
親切に折角調べて貰ったのでパン買って食う。
三度目の挑戦で大平宿は諦める事にして高山に向かう。

三河紀行 4


道徳 色々訳あってここに14才から15才まで住んだ。

内田橋 この周辺は水産加工会社や小商いの水産工場が多くあって
道徳のすぐ傍にあり その後ここの川っぷちに日銭を稼ぎながら3カ月ほど住んだ。
ほんとここでの生活はその後に色々影響を受けているが まだまだ他人様に迷惑を掛ける時ではなく普通に懐かしいなと思う。
当時は銭もなく電車も乗れず何処に行くにも歩いて移動していた。

変わっていない場所が今でも残っている。
当時は銭が無いので熱田神宮に行きベンチに座って唯々時間を過ごしてい居た
当時と違い今は最低限の生活は出来ているしほんと感謝感謝しかない

改めて昔住んでいた場所を訪れると触れたくない事も多いが どっちにせ今の自分を作って来た事は間違えない事を確認する。
関わって呉れた人達が今は幸せな生活を送って呉れてる事を願ってやまない


俺が居た時は熱田神宮に宝物館など無かったと思うが あったので入場料500円を払って見学する。
その中でも剣の宝庫 草薙館は数々の真剣が展示してあり見応えがあったが撮影は禁止で唯一この体験コーナーだけは撮影OKだった。
大太刀は重量1.2キロあり真剣の大太刀を初めて持った
刀はカッパワれ無い様に鎖で繋いであるが
以前から真剣を持った経験者数人に聞くと真剣は重たいと言うが俺の感想は意外に軽いなと思った。
山や海にはよく行くので刃物は結構数持っているし大太刀と脇差の模造刀をある人から貰って持っているので大体の重さはわかる。
この人を切る為に作られた刃物は日本独特の型ではないかと思う。
入口に来館者を監視してるのか そこそこの年齢のオヤジがハシビロコウの様に椅子にじっと座っているのだ。
一日ずうっと座り続けて居るのも凄いなと思い
「 真剣は思ったほど重くありませんね 」と声を掛けた。
ハシビロコウオヤジは目がキラッと光り
「 それは心の重さです 」と何やら意味深な事を言う
「 真剣は人を切ると言う覚悟の重さなのです 」と
俺はそんな危ない物を持って歩いていた時代は危なくて安心出来ないと言ったが
その言葉にハシビロコウオヤジの目は更にひかり
「 江戸時代は鍔と鞘の穴を紙縒りで結んで簡単に抜けない様にして
一旦抜いた限りは相手の息の根を確実に仕留める事が出来ない場合は死罪になった 」と言い
刀は簡単に抜く事はないと言う。
その後もハシビロコウオヤジの話は理路整然と延々と続き聞いた。
仕事とは言え一日中椅子に座り続けるのも大変な事だなと思ったが呑み屋ではあまり逢いたくないタイプかもと思った。

人は真四角な重箱にキチキチに詰め込んだ きちっとし過ぎた性格は危ないなと毎日にニュースを見て思う。
重箱の隅に隙間があって揺れると中のあんころ餅の形が崩れる程度の性格が聞く耳を持ちまたその場に適応して やりたくない事は適当にずらしてゆく余裕を生むのかもと思った。
これから一週間後にはついでだからロシアは地球上から消えてくれと思い
武器援助をする国が増えるだろう。
もうプーチンの手は離れて戦争は一人歩きをし始めて恐いなと思い始めている。
刀は抜いたらイカン忍耐我慢も時が過ぎたら笑い話になるかも知れんし
その程度にせんといかんと思った。

三河紀行 3

吉良の仁吉は本名、太田仁吉と言う 二つ名はま~いいとして
たった180年前の実在の人物の歴史を寺社がこれほど変えるのもどうかと思うが
歴史は都合のいい方が書き換える事はよくある事なのだ 国会議員などそれなりの立場に居るいわゆる歴史修正主義者が真実の様に実しやかに発言する事に問題があるのだ。
真実はひとつとまでは言わんが出来る限り正確に記し残し後は解釈を読み手に任せる事も大事なのだ。
公文書破棄や偽造などに関わった議員や役人は腹を召されよ


豊田市名鉄駅前 ここを根城にしてあちこち行ったが物凄い考え違いをしていた事に気付く

閉鎖してる店がやたら多い ひどいのになるとビル丸ごと閉鎖もあったり
閉鎖した店に
この店の知合いが居たら連絡して欲しいと張り紙なども数件あった。
北海道に住んでやや40年数年になるが
豊田市はトヨタの本社があり他にも沢山の製造会社がある。
あまり名の知れていない会社でも建物の中で今現在働いてる人は俺が住んでる町の全人口4000人より多いだろうと思う会社が沢山ある。
そこで働いてる人達が一斉に退社し家路に付く時も自然の土も水も一切見る事は無い
仕事中も右手にはこの部品を持ち左手には工具を持ちと一日中行動が決められている作業員は無駄口など許されるハズは無く ラインに並ぶ人達にとっては一杯ひっ掛ける居酒屋は唯一のオアシスで癒しの場だったのだ。
俺が税金を掛けても自然は大事に守ろうと言う事と同じなのではないかと
そのオアシス癒しの場を残す事に税金が投入される事は必要だったのだと
今まで飲食店に税金を投入する事に反対だったが深く深く陳謝する。スマン

 

あさはサテンでモーニング400円を食す
これでも質素だとの事で実は名古屋のモーニングは岐阜県との県境 一宮や大垣は凄いとの事だった。
愛知県のサテンは何処も早朝7時など普通に開店してる。
昔の少々イカレた若者は喫茶店の事をサテンと呼んで
冷~子~などと言ってアイスコーヒーを注文した
懐かしさで胸が一杯になる。

昼はスガキヤ担々麵 490円

俺が考える旅とはその土地の人の話を聞く事だと思っている。確かに景色や食い物はあるかも知れんが景色など写真があり食い物など一人で食っても大した美味くない
食いながら話を聞く地元の方言を聞く その時間が好きなのだ。
それがどうだ黙食と言う早くコロナが終って欲しいと思う。

最近見直された 宿場 有松
これは保存がいい方だが朽ち果てた家は軒数あった。
先祖からこの場所に家を残された子孫は回りに合わさんとないし辛いだろうなと思った。

うだつと白壁 瓦はこの地方特有の白みがかった三州瓦
町並みは数百メートルで終了
次は3カ月ほど住んだ内田橋に行き その後に真剣を見にゆく

三河紀行 2

誰がどう見たって悪いのはプーチンだ 誰か狂ったプーチンにハンコでなく印度を渡す奴はおらんのか
自分達が選び作った怪物なのだ手段は色々あるだろう
このままではロシア国民の国民性が問われソビエト時代に戻る事は確実なのだ。

1キロ程度なら確実に狙え一般市民の背中越しに何処から撃って来るかわからん狙撃や一般住宅のそこら中から飛んでくる火炎ビンなど
戦う者にとっては兵士も一般人も関係ないのだ。
戦争とはそう言うものなのだ。
通常の喧嘩でも集団でとなれば状況は全然違い最初の理由は関係なく勝手に一人歩きをしてしまう。

その怖さを身を持って知らん奴は口先だけの勢いだけは元気がいい
118回も国会で嘘をつき続ける奴よりは今の政権は遥かにましなのだ。


北海道には無い たいら貝を買って初めて食ってみた。味はさっぱり味

伊勢湾は北海道と比べると獲れる魚種が豊富にある。

北海道はこれから鮭鱒や昆布漁や水産物輸入や生活物資輸出などで苦難の日々が続く
俺の処でさえ海外も国内向けもすでにそんな気分でないのか動きが悪い 10日間も休んでもさほど支障がなかったがそれも仕方がないのだ。

画像では飛んでいって数羽しか写っていないがもっと沢山のサギが水産加工場の魚を狙って集まっていた。
食って行く為にはプライドなんかクソくらえなのだ。


三州三河一色 ガビ~ンせっかく行ったのに定休日だった。
下調べ一切無しで何処にでも行くがいい面では予断偏見なしで見る事も面白いのだ。
漁が休みで少々ヤサグレた風の散歩中の漁師のオヤジ達に色々話が聞けて良かった
三州と言えば吉良上野介 塩の専売特許で赤穂と元々因縁があったらしいが現在は吉良の塩田は無く赤穂が塩で有名になった プッツン来ても判官びいきで後世には多少の役にたった。
も一つ知られたのは吉良の仁吉 近くだったので行って来ました。

源徳寺
義理と人情に生きてドッタラコッタラとよく言うが いっちゃなんだが義理と人情は両立しません
国でも同じで人情があったらジェノサイドは起きません給料貰ってる国に義理を果たした結果が戦争で起こるべくして起こったジェノサイド


侠客として後世に名を残したが ヤクザ家業の人達に弱い者に堅気には手を出すな一つの目安を与えてる事はいい事かなと思うが28才で鉄砲で撃たれさらに切られてオッチンでは勿体ないのです。

折角で身も蓋もないが18才の女房お菊は実際には居なかったらしいので
これは尾崎史郎のかっこつけ


嫁さんは逃げられたので元義理になるが村田英雄は元義理のオヤジによく似てる。

俺は思うのだが男心は男でなけりゃわからんと言う それは本当だと思う
一国の指導者の孤独や不安はバイデンならわかるかも知れんと思うのだが
プーチンとバイデンはなぜに会談しないのかダメ元でタイマンで話をして欲しいと思う。

燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやか 鴻鵠安んぞ燕雀の志を知らんやかも

三河紀行 1


3月26日 23:30分発の敦賀行きフェリーに東苫港から乗船する。
着岸が遅れた分で出港も30分遅れで出港するが定刻で出港しないのは初めての事だったが帰りの敦賀出港は60分遅れで出港したがなんとなく理由がわかる。

仕事を過密スケジュールで片付け10日間から14日間の予定で豊田市を目指すが体力が落ちてるのか酷い船酔いで薬も効かない食ったら吐くで下船後も後遺症か2日間絶食状態が続き漁師は出来んとつくづく思った。

今回は今までと違い遠くに行けない待機なので豊田市周辺を離れる事は出来なかったので名古屋にも行ったが不義理と不始末中途半端の愛知県は今更顔を出せる処もなく三河周辺を回って歩いた。
自分の考えの浅さを知る事も何度かあったので良かったのかどうかわからんが
知った事はま~ま~いっかと思う。

28日 師崎漁港 豊田市からここに来るまでたった58キロに半日も掛かってシマッタ

最初の三日間はこの車をトヨタレンタカーで借りて移動した。
オートマはま~良いとして信号待ちでエンジンは止まるしウインカーはなぜかオカシイし新しい車には付いていけない事を実感した。
これは危ないと思ったのは左ミラーでギリギリの道を左折する時に小さな子供だったらミラーの裏に入ってしまうので左はフェンダーミラーの方が優れてると思う。

カーナビも次の信号を左折ですと言うがオイオイ道が旭川のロータリー状態で5差路6差路など普通にあり何処に行けばいいのだと迷ってばかりだった。

地図を見て走る時は主要道路を走り目的地に一番近い道を右折か左折一回程度で着くように走るのだが
カーナビはスピードが出る有料道路や高速道路は走らない設定なのでこんな狭い道を走る事がよくある。
北海道なら積雪で通る事は出来ないし雪のやり場が無いので家も潰れると思う。
処変わればなにもかも違うが
遥か向こうでも突っ込んで来る事は無く運転者は北海道と違いマナーは良く
割り込みも一台毎に交合に入れてくれる。

一週間の予定を車をボコボコにする前に3日間で返却して徒歩に切替えるが電車もコロナが怖いのですいてる時間帯で移動は行ける処も知れていたが
何十年振りの電車での移動はなるほどと思う事も多かった。
俺が言うのもなんだが愛知県は服装がイマイチダサいのだ。
野郎はボロ着ても馬子にも衣裳と言う 女を綺麗にするのは男の甲斐性なのだ。

停戦を

俺は男尊女卑とまでは言わんが男女は同じではないと思っている。
女のリスクは子供産む幸せもあると思うがリスクは確実に男より大きい
中には野郎より強いメルケルの様な女もいるがメルケルは首相退任後は潔く政界を退いて今は科学者の亭主と自分の人生を生きている。
一方糞味噌に言われて首相を止めても国会議事堂椅子に座り続けクッチャベル元首相もいる。
帰る家もない国会にしか生きる場所がない趣味は政治と言う偏狭な爺なのだろう。きっと

毎日テレビ画面から逃げ惑う女子供の姿が映し出され
この女子供に手を出す奴には吐き気がもようすほど険悪感を覚える。
皆自分の大事にしてる者に何かあったらプーチンは取りにはいけないから近い処でロシア人なら誰でもいいと思い始めるだろう
そこには復讐報復の連鎖が始まりそれが現実に起きている
戦争は超法規の世界で人の命を取る事が許されてしまう。
普段でもその時に自分の手に何を持っているかで刃物なのか飛び道具なのかである程度決まってくる。
アメリカでは自分自身を守る為に銃の所持が出来るが その守るハズの銃で年間2万人を超える人が犠牲になっていても
それでも一度持つと持たない時の恐怖を考えると手放す事が出来ない
これが過剰な武器を持つ事の現実なのだ。

一般家庭にでも自分の身を守る程度の武器は幾らでもあり自分が使うかどうかと言う自分自身の構えになっていく
修理屋などはドライバーの果てから拷問器具に使える物まで凶器は沢山ある。
俺なんかプラグの電圧は2万ボルトもあるのでコイツの手にプラグコードを持たせてセルを回してやろうかと思う奴や
正座させて膝にディープサイクルバッテリー を積んでやろうか思う奴も数人いる。
後は天井クレーンに逆さ吊りして足の裏をクスぐり笑う度に縄がドンドンしまってもいいかもなどと
すぐカッとなる性質で自分でよくわかっているのでカチンと来たら数秒だけ目を閉じる様にしてる。
それが結局は自分の身を守って来たのだ。

国とはいったい何なのか個人の命を何処まで差出し またそれに見合う値はあるのか小さな者の集合体が村で村の集合体が都道府県でその集合体が国だと思うが
その根本になる小さな者の命は国と天秤に掛けられるものなのか
俺なんか雪が降るからムッタシ来るが北海道はまあまあいいなと思う程度でましてや国に命までは掛けようとは思わない
守らんならん者の為に成り行きでそうなってしまう事はあるかも知れんが
そうなる前に荷物をまとめてまた身体を張って住める新天地を目指すだろうと思う
またそうでなければ行った先に失礼かと