最初に通った、近江今津に出て琵琶湖をやや一周したが途中に琵琶湖大橋を通ったので正確には比叡山を端折った。
40年ほど前に高給に引かれちょっと危ないオヤジがやってる職場に変わった。
数週間後にはその会社は破たんして身一つで山奥のトンネル現場に数人と一緒に堀投げられた。
現場に入る修理屋はメシも宿もすべて会社持ちなので 金は無く飯場の冷蔵庫をあさりしまいにはアユの稚魚をすくい春菊など野菜をカッパライ食い繋いだ日々だったが どんなに困っても会社も変わり今更泣き言は言えない
やっとたどり着いたのは大阪の日本橋のある場所だった落ち目になる時はとことん落ち目で
そんな大阪も転がり落ちる落ち目の日々
そんな中でも大阪人の商人の誇りと東京に対する二番手の誇りを沢山教えて貰った。
最後に国に帰れと渡された金で気が付くと飛騨高山の駅に居た。
チョットだけ不良になった恥ずかしく真っ暗闇な一時期だった。
すっかり変わりどこがどこだかわからない
来て見て他の選択肢は沢山用意されていたのに選択肢は自分にあった事を確認した。
行く先々でみな桜が綺麗だと言うが色合いだけを言えば北海道の方が綺麗だ。
だけど食う訳でもないし色がどうでもどっちにせ誰も困らんので綺麗ですねと愛想をいい続けてきた。
言っておくが昔の大型バイクに乗ってる時のヘルメットなので顔はかなり狭められて実態と違うと思うのだが 足はヅブ濡れ状態で買い物袋をガムテープで防水してからなんとか少し暖かくなった。
最近の内地旅行は天気に見放されてる。さっさと圀に帰れと言ってるのかもしれない
もう内地には来る事は無いかもしれないと思いながら舞鶴のフェリー乗り場に3時頃着くが待合室に休む椅子が全く一個も無い
二階の通路は閉鎖されている。小樽とは全然違うセコイ内地人のセコサがもろに出てる。
深夜0時5分に出航まで時間があるので何がなんでも休む事にした 玄関先のアスファルトに杭を打ってテントを張ってやろうかと思ったが面倒なのと帰る間際になって天気が晴れて来たのでキャンプシートを玄関先の外に敷いて防寒着のままテントをかぶり寝てやった。
疲れが出たのかすっかり気持ち良く寝ていたら強面風のどっかのオヤジに寒くないかと起こされた。
フェリーの職員は誰もが中に入れとは言わないが、そのオヤジは声を掛けてくれる。
俺は名古屋の駅裏で声を掛けられて道を変えたし大阪の天王寺公園で声を掛けられて生延びたし何時も声を掛けられて生きて来た。
この年になって
「お前に義理を返して貰うほど安くないぞ そう思ったら困ってる奴がいたら声を掛けてやれ」
と言われた栄生のオヤジや大阪のオヤジに少しでも近づいたのだろうか
大シケで運行が遅れてるフェリーに4月7日深夜乗船