移動の途中にヤンマーミュージアムの看板発見で寄って行く事に
感想は幾つかの企業ミュージアムを見た俺にとっては
綺麗だったが創業者崇拝風でうん~だった。
エンジンはダイムラージーゼルエンジンとヤンマーが一台のみの展示 もう一台は俺も持ってるのとほぼ同じ物
世界最初のジーゼルエンジンだがOHCでスイッチを入れると回転して動きが分かるがせめて部品の説明や行程の説明が欲しい
このエンジンは創業者がダイムラーと仲が良かったから貰ったとかナンチャラカンチャラと書いてあった。
夜になり雲の動きが見えないさらに風と霙が酷くなる確か風の方向は西からだったと思うので山を越えて福井県に入る事にしたが
琵琶湖は海ほどではないが大荒れと向かい風でバイクは時速30キロ程度しか出ない暴風域を抜けるのはいつのコッチャと思いながら走るがやっと敦賀の駅に到着 ずぶ濡れでまず風呂に入らないと宿探しをして宿に入る。
一息ついてから、ここまで来たらと街の探索に出る。
おっと北海道知事賞などと書いた大きな木の看板発見 北海道でたまに見るチェーン店のラーメン屋
入って見ると俺よりはるかに若いのに可哀想なくらい疲れた風のそこそこの年齢のお姉さんが一人でやっていた。
俺はこうなるともう駄目で 色々想像してしまう。フェリーで新天地の敦賀に来たのか、連れ合いはどこに、置き去りされたのかなどと思ってしまった。
さらに決して美味いとは思えないラーメンとやたら品数の多さ ラーメン屋は品数が多くすると作業の流れが悪くなりさらに材料が無駄になる。
儲けていたら品数は少ない方がずっと有利でタコ焼きがいい例で一品物の店でパッとせん店やパッとせんタコ焼き屋などは無い
駅前のせいか数人のお客さんがいたが値段も800円とかなり高かった。
きっと年金も払っていないだろうに先が見えるようで
あまりにも可哀想で北海道に連れて帰ってラーメン屋をさせたかった。
疲れか今日は呑む気にもなれない さっさと宿に戻り寝ようと街を探索しながら歩いてると喫茶モンシェリーの前でいかにも田舎の子と思われる女の子が安物のビニールバックを持ち手を振っている。
藤木海運ビルの前で 六番町のガード下で 三の丸の前でと 中に入って待ってればいいものを、こんな光景を見た事が何度もあった。
沢山のものを捨てさった人生がよぎる。
その子は似たような年代の女の子と待ち合わせだった。
どんな子でもささやかな幸せを送っていって欲しいと思ったし、それを保証するのは後の無い年寄の仕事かもしれない
4月5日人生ケジメの日 朝もやはり雨だった。
けじめとしてどうしても琵琶湖を一周せんといかん
内地の運転手はみなバイクが邪魔だと煽る事もなく走る、
後ろに渋滞が続くのでバス停などがあると除けて走るが申し訳ないのでなるべく国道は走らないようにしてるのだが。
滋賀県に入りさらに雨が酷い地図を見る状態ではないが標識を頼りに高島に向けて走る。
高島境に来てさらに暴風で雨が酷いこんな時は山に入るのが一番と空の晴れてる方向に走る。
スノータイヤを履いて来るべきだったかも思いがら近道と思わる 通行止めを無視して突破する先にあった場所は