謙遜,謙虚と卑下

謙遜や謙虚は明日食う米が米櫃に入ってる時に出来るのであってガザの様に子供達が今日食うメシも無い時に謙遜も謙虚もヘッタくりもない
不幸な状態に陥った時に誰かを呪うか、そこに生まれ落ちた自分の不運を呪うしか明日を生きる力が無くなる
誰かを呪う事はそれは相手が変わって呉れるか、変わらない限り自分には目が出ない事を意味する
そんなものは待っていられないから自分の不運のうち何か変えれる事、やれる事を探した方がいいのだ。
己の何が悪いのか人様より何が劣っているのかと己を卑下してどん底まで落とし込んで
そこから這い上がる
職人と言われる人達は理屈はわかっても手がその通り動かない事を知っている
出来る人と何かが違う事を認めてそこからまだまだと厳しい修行を続けていく
その中で卑下が生まれ卑下と卑屈は違う

花井組はなんか変だなと思ったら蹴られた方は社長の妹の甥らしい
親戚筋を仕事場に入れると周りはそこらの小僧っ子とはやはり扱いは違う
さらに血筋が繋がってると思うと自分の意を酌んで呉れるのではと過大な期待をしてしまう
その両者の大きな違いに苛立ちを覚えるのはよくある事なのだ。
回りの人間には最高の連中であって欲しいと願うのはどの経営者も同じだと思う。
その落差がつい怒りとなって手や足が出る事もよくある事で その程度は職業柄が出るのもよくある事なのだ。
浜では船が岸壁にぶつかりそうになると漁師の母っかさんは父さんに
「 ひとの傷は治っても船の傷は治らんぞ 」と怒鳴る
危険な現場ではいまそこにある危険に優しい小さな声などない
聞こえない優しい返事は返事ではない


自分の事は棚に上げてノコノコと画像に出るナマな御身内には他の若い衆に示しが付かない
お仕置きを
暴力反対~

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