丹波黒豆大福


駅前 町の規模はさほど大きくなく4町合併して現在は17000人が居る。

俺は北海道で生まれ13歳まで育った。
生まれた場所は現在の西花園公園のある処で雨が降るとすぐ水に浸かる場所で周辺は朝鮮半島出身者が一塊になり住んでいた。
すぐ水が付く場所はどこも低所得が住む所でそこからさらに没落して留萌川の川べりの原野2線に移る。
そこからさらに訳ありで落ち目になり一人大江川沿いの海抜0メートル地帯で伊勢湾台風4年後で被害が一番酷かった元塩町に移る。
住んでいた2畳半のアパートは外壁の遥か上に茶色い線があり水害でそこまで水が浸かった事を示していた。

靴塚 ここの一角に伊勢湾台風の4年後に1年ほど住んでさらに落ち目に

流れ着き住む場所は殆どが水害に遭う家賃の安い場所で底辺の人達が住む場所を転々として暮らして来たが
自分ではその生活の悪くても良くても何ひとつ欠けても現在は無かったと40代頃から思っていた。

そのせいか現在は水を制覇して室内に500リッター以上で全長8メーターの水槽を持って淡水魚飼育を趣味にしている。


今回行った駅の横にすぐ氾濫する川の記念碑
この記念碑より下に暮らす人達がいる これは北海道ではあまり考えられないが内地はよくある。
京都市に通う人の為に駐車場がやたら立派

北海道と賢く厳格な母親とどうにもならん父親の間に生まれて何が一番良かったかは差別と言う言葉を知らない
北海道には差別は無いと思っていた北海道から元塩町に住んで差別を日常に見て聞く様になる
稼ぎが無く暇な時だけたまに行く中学ではここで書く事は、はばかれるほどの差別言葉が普通に飛び交っていた。
平助や〇遠登などそいつらが呼ぶ俺の呼び名は「 ゴンジュ 」で意味は蔑視語
そこで学んだ事は殴って殴られて蹴り倒してと
そいつらは自分達とたいした変わらん者を叩く事で自分の立ち位置を確認してるだけだと知った。
その中でも俺は並び順は後ろから4番目でそこそこのガタイだったので2日から3日に一回は交戦をする日々でなんの為に学校に行ってるかわからん日々を暮らすが
タバコは勧められるが一生吸わないと決めていたので人生で一度もタバコを吸った事はない
もっともタバコを買う銭など何処を探してもあろうハズがないのだ。


城南下

もう歳と片目が調子悪く駄目と言うほどなので車旅は最後に
佐高信の書いた人物評を読んで興味を持ちこの地を訪れ見たいと思った。
書いてある通りほんと綺麗さっぱり当人の痕跡は何もない麓で聞くが
皆は姓名は姓では呼ばず下名で親しげに呼ぶが
それ以上の事は明らかに余所者とわかる俺には言わないが
生誕の地を一見するだけだがその信条を貫き通した人だとわかる。
俺はどちらかと言うと革新系でバリバリの左翼でもないしゆるい右翼でもない
出自と育ちからどっち付かずの水の流れる様に流されるタイプなのだ。
さ~帰ろう~


これが内地の不思議なところで誰もいない車もろくに通らん処に突如現れる商店
それも結構お客さんが居る。
これから各種媒体が発達して来たので違うかも知れないが北海道ではあまり考えられない


この店で買った 丹波黒豆大福
ここが俺は心が無いと言われるゆえんで、もう誰の事も考えられないで買って道中自分で食ってシマッタ
やたら美味かった!
戻ってからお世話になってる人にお土産を買うべきだったと思ったが跡の祭り
薄情者なのである。

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