三河紀行 5

4月1日 予定より早く用事が終り愛知県を離れる事に愛知県も田舎に行くと瓦屋根にはこだわりがあり小屋根と言うのか小さな屋根が付随してる。
いまで言うデコトラと同じ感覚なのだろうか
時間があるので岐阜県を回り一旦富山市に出てから海岸線を南下する事にして岐阜県を目指す。

中山道 中津川宿

馬込の宿などは以前に旧街道を歩いた事があるのでナンチャラ協会で疑問に思ってる事を聞いてみたがハッキリとした回答は無かった。
人通りもあまりない山道の街道を稼いだ大金をどう持って歩いたのか不思議なのだ。
両替商による送金手形があったのだと思うのだが それとて安全なものではなかったと思うのだが
街道特有の御法度があったと思うのだが中でも東海道と中山道では山賊は中山道の方が多いと思うので中山道は全然違う仕来たり御法度があったハズだと思う。
ここで3度目の挑戦の大平宿の入り口の場所を聞くが大平宿は聞いた事が無い知らんと言う。
北海道では買い物圏だが内地では60キロ離れた場所はすでに異国なのだ。
この辺りが北海道人との違いがあり道民は良くも悪くも土地に執着がない
プライド高めと思われる爺が本を持って出て来て大平宿と中津川の宿を一緒にするなと言う。
爺は「 中津川の宿は幕府が認めたパブリックなもので大平宿は木賃宿なのだ 」と
知らんかった中山道や東海道は幕府が認めた宿で誰でも泊まれなかったらしい
う~ん今で言う高級旅館の様な物でその辺の木賃宿と中津川宿を一緒にするなと言う事なのか
一度知らんと言った手前力んでるのかと思ったが内地の國境では現代でもよくある話なのだ。
先祖を身近に感じ過ぎるのもそれはそれで大変だなと思う。

時代はドンドン変わり付いて行ける者と付いて行けない者との乖離が大きくなってゆく
俺は今だにガラ携帯なので今回はガラ携帯ではフェリーにも乗れない ホテルにも泊まれない場合もある事を知った。
浜厚真から出るフェリーをパソコンで予約したが3Dカードがドッタラコッタラで支払いが出来ない為に現地でスマホで再度予約せと言われるが俺のガラ携帯を見て受付が
何処から来た田舎者かと言った顔で困っていたが窓口は悩んだ末に手作業で再度予約して乗船
豊田市の宿は宿帳にあるゴチャゴチャしたQRコードを読み取り宿泊完了になるとの事で
寝る事もスマホを持っていない田舎者は出来なくなりつつあるが
こうなったら意地でも使い続けると思うのであります。

南木曽 空き家
家の作りが今では防犯上考えられない作りだが昔だってそんなに治安は良くなかったし村まる事巻き込んだ事件は沢山あった。
今と何が違うのか
来るな来てみろ返り討ちにして呉れるわと思ってるのか
無手勝流の極意で無防備だからこそ襲えないのか
結構そこそこ危ない目に遭うと強そうで弱い奴は沢山いるし一見無防備に見えて強い奴もなんぼで居る事を知る。
プーチンの様に相手を見くびってはいけません
これからは北海道が標的になるとの論評が多いがロシアとの国境は函館に行くより近いここで今更実際どうするのよと思う。
核ミサイルを7000発も持っているロシアに対抗する核を長さ1500キロ幅200キロのこの狭い国土の何処に何千発置くの
地政学的に今更どうしょうもなく ある程度の海上と陸上での防衛以上は出来ないのだ。
それよりは一般住民はいち早く逃げる方法を考えるべきで空き地になった北海道はお互いにやりたい放題に気が済むまで空き地に撃ちまくったらいい

いつ来るか 来ない可能性が多いのに毎日恐怖感を持ってなど暮らせない
内地の安全な場所に居て北海道はもっと恐怖感を持てと言う奴らに虫唾が走るのだ。
戦争は政治の最大の失敗なのだ まずは政治で外交努力が一番先に来るのがスジなのだ。
戦争はどれだけ酷いか毎日見てるが平和の為なら二枚舌も使うヨイショもする裏も掻く
引き延ばし時が解決してゆく事は沢山ある。
敵地となった うどん屋が誰に使われようが当たりまで些細な事で
もともとロシアやプーチンにはそう言う危険性はあったのだ。
覚悟の無い うどん屋に言いたい うどん屋など呉てやれ北海道民を煽るなと


南木曽

江戸時代は木地師は師と付くだけに幕府から特別な待遇があったらしい

耕紡工房 この人里離れた場所にパン屋が
ここで大平宿は冬季通行止めで行けない事を聞いた。
親切に折角調べて貰ったのでパン買って食う。
三度目の挑戦で大平宿は諦める事にして高山に向かう。

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