モップおじさん

春から秋までの今シーズン仕事はあと数日で終了する 後はのんびりと秋まで待機なのだが待機は無収入で拘束されるので何処にも行けないムッタシ

伊賀上野忍者屋敷
市営駐車場でクソ高い駐車料金600円を払い見に行くがコロナでドッタラコッタラで3時で終了、着いたのが3時15分頃
遅れて来た情報など大した役には立たんのはどの業界も同じなので忍者は時間を守る事は重要だとは思うが
うんだら駐車場のクソ高い駐車料金返せと思ったが手裏剣でも落ちてないか駐車料金の元を取る為に周辺を散策

伊賀上野城石垣
だけどこの石垣を積むにも銭が相当掛かると思うが
その銭をどうやって集めたかが商人としては興味深々なのだ。
「 胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり 」
と言ったのは
江戸時代の神尾 春央だが百姓と違い商人(あきんど)は儲からない事には銭は出さん
賄賂も戻って来るから出すのであって、それは現代も何も変わらんタダで酒を呑ませてくれるなどと呑気な事を言ってるのは最近では総務省の役人くらいのものなのだ。
江戸時代の侍人口比率は一割程度だったらしいがそれは現在の役人の比率から比べると大層多いが半農武士も居たろうから一概に比較は難しいが
そう考えると城は農民から見るとムッタシ来る事も多かったのではないかと思う。
弥生時代に始まった農民はその後も近代まで食管制度でいい風に絞られ続けるのである。
物事をどっちから見るかで大きく違うが困った修理ほど左右から見るのが修理では大事な事なのだ。
「 人は城、人は石垣 」と言ったのは武田信玄だが聞き位置や立場によっちゃ~結構残酷な話になる。
などと思案していたら

入館出来る建物発見で300円払って
300円払ったら蕎麦食えるぞ思いながら入館
博物館は大好きでかなりの数を見て来たが
俺は思うのだが博物館の着眼大局を見てる一番の関係者は学芸員や事務所に座っているネエチャンやオヤジでないと思う。
以前朝から晩までフィルムの現像をしてるカメラ屋のおばさんと話をした事がある。
亭主はチョットは知られた写真家ではあるが
自分では一切カメラを持つ事はなく
お客さんが持ち込むフィルムを現像し写真を確認してお客さんに渡す作業を数十年続けたおばさんが
意外と素人の方がこれはいいと思う写真を撮る事が多いと言っていた。
博物館で一番の着眼大局を見てるのは掃除のおばさんやおじさんだと思っているので見掛けたら必ず声を掛ける。
この建物を見掛けたら入館してモップを持ったおじさんを見掛けたら
それはラッキ~でこの博物館空間が何倍にも広がる事は間違えない


俳句にまったく興味はなく
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」しか知らんが
芭蕉は伊賀上野の生まれである 俺は芭蕉は俳句と称して情報を集めた忍者ではなかったのかと想像して博物館に入った。
木戸銭を払いながら学芸員らしいネエチャンに聞いてみたが
『 そう言う本も出てますが一切そう言う事はありません! 」
と言ってモギリを渡した。
入館後にモップ持ったおじさんが居たので同じ話をした。
そのモップおじさんは自分では俳句はしないそうだが
芭蕉はなぜ忍者でないのかとその後閉館まで様々な展示物を使い現代と比べて説明をしてくれた。
平均して一日40キロ歩いたそうだが奥州路のある場所は通り抜けているがその理由はなどと説明してくれたが
資料としてはさほどの量ではないがモップおじさんが居た事で
この博物館は大きく広がる。
毎日毎日同じ事をしてるからこそ見えて来るものがあるのだろうと思う。
ちなみにこの芭蕉記念館を寄付したのが間組だった。
間組うん!間者か忍者か!などと思ってしまった。
忍者と間者は違うらしいが忍者とは逃げる事にありと悟った。
幾らいいい情報を掴んでも捕まる様では話にならん

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