北海道狩勝峠佐幌にある歌碑群 北海道ではこんな広々とした土地に作物の代わりに
言うは水に流し聞くは岩に刻むとばかりに恨み辛みから嬉しい事まで石に歌を刻み沢山置いてある。場所は分かりにくくサホロ酒造周辺を探すとある。
説明は聞いたがそれでも芭蕉は怪し過ぎるだろう。
大たい何食ったら一日40キロも歩けるのだと
古池とは旧体制を意味し、そこに飛び込む蛙とは蛙は水陸両用で忍者を意味する。
それは旧体制に忍者が放たれたと読むべきではないのかと・・・・・俳句と称して暗号文を・・・・・
そう思うと町内や周辺に怪しい くノ一が数人
主君を持たない出稼ぎ忍者集団の伊賀流は同郷の出であっても敵対した時に即断即決でバッサリと切るのが伊賀忍者の掟らしい
グズな俺に一番足りないものでもある。
おそらくこれが最後なるだろうと思うが全国アチコチ回って歩いたが紀伊半島ほど生活が厳しいと感じる土地は知ってる限りでは他にはない
その厳しさが甲賀忍者や伊賀忍者を生んできた。
それは太古の時代から宿命付けられ琵琶湖が大きく関係していて琵琶湖はドンドン動いてるが その跡地は農地には向かいらしい
芭蕉記念館ですっかり話し込んで遅くなり 今夜の寝床針テラスに向かう道中
チョットでも平らな部分があれば家を建て集落が出来る。
これくらいは状の口でなんで誰もいない処に車がチョコチョコと止まってるのかと思ったら道路に車を止めて今度は歩いて坂を登って山奥の家に帰るのが日課らしい
北海道はそこら中に平原があり種さえ撒けば食える野菜が出来るし
山に入れば山菜が豊富にある 今時は山の菜と言われるが要は山に生えてる雑草なのだ。
その山菜の種を畑に蒔けば雑草もびっくり過保護で育つわ育つわでなんぼでも生えるのだ。
紀伊半島ではその畑すら儘ならないで斜面に住む事で大雨で多数の犠牲者が簡単に出てしまう。
それでもそこに住む理由は江部乙出身の岩橋永遠の
故郷とは自分を記憶して呉れる人達の住む処と言う事に尽きるのではないだろうか
何処でも住めば都なのだろう
この紀伊半島には修験者から忍者やサンカと厳しい土地ゆえの奥行きがあり
北海道とは違うその地に生活をする根本があるような気がする。