結局はステーキ会食や銀座三兄弟や高級ラウンジの口にするでけでも汚れそうな自民党の為のオリンピックだった。
巨額の金が動くと本人は動かんでも親族が上手に動く
オリンピックももはやパンドラの箱はそこら中に埋まっており地雷もそこら中にあるだろう。
さ~さ~会長~そっちの箱は開けてはなりませぬ安全な道はこちらでございます。
なんだコイツラ誰もが人類史上歴史に残る大変な時に
陽が呉れるのが早いので地方に出ると戻って来るのが夜になってしまう。
夜に稲田線を戻る時にいつも思うのは単なる偶然なのかとも思うが
それともそこに住む事によって同じ考え方になる何かがあるのだろうか不思議なのだ。
あまりにも不思議なので昨年そこを通った時に当主らしき人が涼んで居たので車を止めて立ち話をした。
その場所竜西は車では行けないが北に歩いてゆくと留萌幌糠チバベリ沢に出る。
南に歩けば雨竜オシラリカ国領に抜ける山道があり山道と山道が交差する場所にある。
南行っても北にいってもどちらも空の狭い食ってゆくのやっとの土地なのだ。
その人はタオルを肩に掛けた、いたって普通の人でなぜと言う思いは聞かないで終わった。
増毛鉄道遭難の碑が建つ阿分から恵岱別峠までおよそ25キロある
増毛から道中には信砂御料殉難碑がありそれを越えると丸山靖生の小説D級地帯の舞台になった御料がある。
小説D級地帯は小説と言うよりは戦後開拓農家のノンフィクションと言っていい
のちに恵庭にお住いの丸山靖生さんとお話をする機会があって
やはり小説D級地帯はノンフィクションだったと伺った。
右手に小説D級地帯に出て来る信砂岳を見ながら走るとやがて恵岱別峠になりロックフィルダムが見える。
そこから4~5キロ坂を下がってゆくと右手に初めての人家が見える。
その家は暑寒岳の箸別側の避難小屋とよく似た外観になっている。
箸別側の避難小屋はどんな豪雪でも避難が出来るような作りになっていて一階が雪に埋まると二階の窓が出入り口になり俺自身も実際に冬の避難に使った事が何度かある。
なぜなのか恵岱別峠を挟む二軒は夜通しカーテンを閉じる事がないのだ。
夜道や荒れ地に慣れてる俺でさえも増毛に戻る時にさぁこれから峠越えだと思う時に
友との永久の別れを済ませ帰る時も辛い時も自分の力の無さを思い知らされた時も
この家の窓から見える灯りを見るとなぜかほっと出来るのだ。
この峠道を歩いて学校や買い出しに里まで通った人達は一寸先が見えない猛吹雪の日には道筋の人の家に泊めて貰ったそうで
その人達は春になると市街地に出たら土産を買って持って行ったそうだ。
増毛阿分から空知北竜和40キロの峠越えの道に四季折々の様々な人達の時間が流れ過ぎ消えて行った。
増毛側の一軒は以前からの知合いで普通の人 普通の農家のオヤジなのだ。
帰り道の竜西の一軒屋も逢ってみると普通の人 普通の農家のオヤジなのだ。