暮れはせめて道南に行こうと思っていたが猛吹雪で留萌にすら行けなかったので
何処にも行かずに籠ったのでやる事がない
それならと一日も休まずに仕事をしまくった結果は、結構稼いだが
妹と親の仏壇を見ていたら母親にはボロイ小さな家は買ってやったが お年玉を一度もやった事が無かった事に気付いた。
なんてこった使ってこその銭と言う信念が新、年、早々ガラガラと崩れるではないか
いま現存生存して貧乏真っ最中の姉に母親代わりに人生初めてお年玉をやった。
さすが俺の姉で「 お~よ~よ~りょうじ~ 」と電話の向こうで小芝居を打ちやがる。
まったくロクでもない父親を持ったばかりに苦労ばかりだった母親と姉だったが
この男社会では女は可哀想だなと思う。
暮れのスーパーに行くと500円にもみたない僅かばかりの総菜をジッと見詰めて買わない年配の女の人を見ると男は何処にいったのよと思う。
俺は男尊女卑の見本のような男で男は女子供を食わす為に生存してると思っている。
成人した野郎は乞食しようがベンチで寝ようがすべての責任はそいつにあるのだ。
なにがあったのか新橋カプセルホテルから下を見る生きて生き抜いてこその男なのだ。
留萌港は下北半島風間村下風呂で生まれた五十嵐億太郎が中心になって私財を投げうった民間によって初めて作られた港で現在もあちこちに痕跡を見る事が出来る。
現在の大町に湊神社がある場所が五十嵐億太郎の私邸があった場所になり大町や本町の路地や建物に当時の面影を現在も見る事が出来る。
五十嵐家のその後を知っている人によれば慎ましい生活だったと言う。
もう時効なのでいいだろうが何を隠そうそれを聞いたのはすぐ隣住んで居た
その当時の小野小町か大町小町かと言われた美貌の持ち主から聞いたのだが
そしてその大町小町は逃げられた元嫁さんなのだ。
原石をさらに磨いたのは俺なのだがスミマセンでした懺悔
我らが貧乏人が住む原野二線のいつも川が氾濫する低湿地帯とは違い
海岸隆起によって出来た小高い大町や本町は事業家の住居や商家が多く点在していたが商売人の生活はやはり贅沢をせずに質素な生活が多かった。
昔の商売人(あきんど)の私生活は有事や災害に備えて大概は質素と言うのが本当の処なのだ。
コロナ、コロナと言ったって弾が飛んで来る訳でもない空からクラスター爆弾が降って来る訳でもない
従業員が従業員ガースと従業員を人質に取って銭寄こせと物言いする商売人も
我が事しか考えん背中のショボい政治家も腹括って私財は諦めろと言いたい
何処にもいけんで一人正月をした負け惜しみで失うものが無いのも一つの財産だと思うぜまったく