燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや

札幌は味噌ラーメン系が多く旭川は醬油ラーメン系が多い
およその分水嶺は砂川、深川辺りではないだろうか
白湯に何も入れないで味噌を入れて飲んだ場合と醤油を入れて飲んだ場合はどちらが飲めるかは個人差はあると思うが味噌は万能調味料で何にでも合う。
その為に味噌ラーメンは多少の違いも許してしまう醬油ラーメンが美味い店は味噌ラーメンも美味いが
味噌ラーメンが美味い店は醬油ラーメンも美味いとは限らない。
さらに食い歩く事を趣味にしてる者はベロが日々進化している 迎える側も日々進化をし続けるか変えないかの選択を迫られる。
ラーメンひとつ取っても何処の地域で誰に向けて営業するか 生業としてやっていこうと思うと難しく頭が下がるのである。

ましてや一国の指導者となると途轍もない重圧と高い志が必要なのだが
憲政史上最長と決まったらハイ辞めます~ハァ~なんじゃそれなのだ。
8年間の長期政権がもたらした弊害は桜や森友だけでなく、信介爺直伝のエセ宗教を使い自分の派閥を増やす為にフル活用して来たと想像出来る。
その後ろめたさを隠す為の右翼的言動を行い さらに隠し玉に使われたのナンチャラ水脈やナンチャラ早苗でこちらの言動にも何の一貫性も志もないタチの悪いタダのヒステリー婆なのだ。
交渉事で何も生まない守りに入った場合は言動に一貫性を持たせない事で長引かせ根負けさせる事は交渉術の一つの選択肢で悪質と言っていい

もうひとつは官僚機構をイエスマンに入れ替えて優秀な志や人材は死に追い込んだりした結果はロクデナシが残ったとみていい
その長期政権の残したロクデナシ達を一掃し入れ替えるだけでもまだまだ時間が掛かるだろう。
もし前総理や長期政権の残党が新総理になっていたなら統一教会やオリンピック問題や実は長期政権で国力が落ちて円安なってる事すら隠し騙されていたろう。
そう思う時に岸田首相が安倍長期政権の問題を表に出し右往左往する事は決して悪い事ではない

出来たばかりの政権の支持率などせいぜいラーメン屋の食べログの星の数程度の物しかないのだと思うのだが
星の数よりメシの数で場数を踏んだ町のラーメン屋が続くには凄い努力と理由(わけ)あるのだ。

留萌線廃線まじか

釧路の帰りは糠平温泉を通り上川に抜けて戻り旭川でもう一泊と思って糠平に向かう。


帯広から十勝三股に行く士幌線跡

糠平温泉郷にある上士幌町鉄道資料館 ボタンを押すと当時の映像とアナウンスが入る。
この映像を雨の中カワサキ緑のEX250Pで旅する
彼に出逢い言葉を交わせただけで今回はいい旅だったと思える若者と一緒に並んで見る。

ここだけでなく昔の映像と喋りを聞くと俺はなんか悲しくなるのだ なんでだろう士幌線が廃線したからだろうか
HNKの昔の映像を見てもそう思うのだ。
他の人は知らんが この時代も俺は食うのがやっとだったからなのかと思ったりする。

ここで不思議な事があり当時は請求書を一枚書くにもカーボン紙を挟み電卓で計算して切手を貼って封筒に入れて
ポストまで投函し集金に行った。
それが今じゃ項目を入れるだけで計算され請求書がプリントアウトされるかメールで終わり集金すら行かん
時間は大幅に短縮になったがそれでもクソ忙しいし収益も大したかわらん
収益が変わらんのなら週休4日になっても良さそうなもんだが一体どうなってるのだ。
タイムイズマネ~が本当ならその浮いたマネ~とやらは何処に行ったのだと、
どうも誰かに騙くらかされてる様な気がしてならんのだ。

釧路から白糠に掛けては廃工場や離農地がなぜこんなにあるのだと言うほどある。
農業や商売など夢を描いて始めた者や食って行く為に始めた者などいたと思うが
それが続かないで離農や廃業をしなければなかった原因は何処にあったのかと思考する時に半世紀に渡って商売をし今まさに終業を迎えようとしてる俺はなんの為にやって来たのか振り返るのはとても大事な事に思うのだが

終業をしなければならない大きな原因に夢と希望を与える事が出来なかった後継者問題は大きい
廃業は一代目が散々苦労して開拓した物がすべて地に帰る事になる
それは一代目が掛けた労働力や資本の元を取る事すら出来ないで唯々苦労に苦労をして終わってしまう事になりかねない
これは鉄道線路も同じで時代の流れと言って役目は終わったと言って 廃線をしてしまっていいのだろうかと
言う疑問と重なるものがあると思うのだ。
士幌線など道内には木材切り出しの為だけの路線は沢山あったが設備費と木材販売利益だけで貸借は吊り合いせば良かったのだろうか もっと違ったものもあったのではないかと

高度成長経済時代が1955年頃から始まった事によって農業政策も変わり工業生産物を輸出して農産物は安い国から買えばいいべやとなり
農村の次男、三男を金の卵と都会へと向かわせる人口流失が画策され便利な生活と三種の神器を手に入れたが
都会の貨幣経済によって代わりに自分の時間を売り渡して来た。

今になって思うのはもっとゆったりと流れる時間が必要でなかったのかと思うのだが
資本家と労働者と言う二極対立によって労働者にリゲインを飲ませ24時間働け、遊ばせてならんとやって来た結果が現在に到ったのだと思うのだが
三種の神器を買う事が自体が目的になり自分の時間を売り渡した次は車と物に依存させる事によって経済は回り楽も出来ると言うのは少し違うのかも知れん
ここ崖下村にも自転車しから乗らん一生をせいぜい数キロ内で終わる人達が居るが
それが毎日が楽しそうなのだ。
なんかよくわからんが留萌線ももうすぐ廃線なるが廃線と人々の意識や生き様や幸せは連動してる様に思えてならないのだ。

旭川に一泊しようと思っていたが日本海側暴風警報が出たので崖下村に戻る事になった。
いまや世界中の気象は連動していると誰でも知っている。
数百年後には地球上の人の思いや生き方や幸せは連動してると数式で証明されるかも知れん

塩分と言葉使いには

車を三年越しで正規に車検取って燃え尽きたのか最近は何処も行く気になれなかったが月曜日から釧路に呑みに行って来た。

釧路港はこの釧路川に沿ってありここは港と言っていい
車を止めた場所は市営駐車場で一泊1600円以下でトイレも完備して管理人もいて車中泊が出来る、
この閉鎖されたホテルの裏は昔は船員相手の飲み屋街でここに止めて裏の飲み屋街に呑みに出掛けた。
まったく知らない場所で呑むのは違った話も聞けて面白く
吞みに行くのは楽しく呑む為でお姉さんを触っていけません 場末の飲み屋さんのお姉さんは自給1000円程度で
自前の服を触られるとクリーニング代も掛かり少ない給金がさらに減るのです。
香川ナンチャラさんは苦労したらしいがその苦労が身になっていない
俺が思うにはやはり人は顔に出る香川ナンチャラさんと越後の付き立て餅の高橋英樹を比べると顔に品がなくコマーシャルなどで重要しされて来た事が不思議に思うのだが
コマーシャルに起用したメーカーは見る目が無かった自業自得


港町で育ったので懐かしくこの雑然とした処はどことなく性に合い落ち着くのだが
さすがに全く知らない処ではベロンベロンになるまで吞む事はなく節度を持って呑む

北海道の中心地はここ十勝で農産物や水産物の自給率200パーセントもあり北海道経済を引っ張っていて
札幌はその生産物を回して利益を頂いていると思っている。
そう考える時に核の処分場は北海道には要らないのである。
原発は電気を一番使い必要としてる場所に穴でも掘って作るのが送電などの無駄も無くたいしたいいと思うのだが

この時期釧路では日本海側では見る事がない大型巻網船団が全国から集結している。

船上では沢山のロープやワイヤーが動いていて整理整頓が出来ないと命の危険すらある、その為か知合いの漁船員は皆整理整頓が上手
さらに狭い船内で長い期間一緒に暮らす為に人間関係も上手に出来ない者は漁業は出来ない
一見漁師は板子一枚下は地獄などと言って毎日吞んだ暮れてる荒くれ者が多そうだが実際には居ないとは言わんが
広く騒音が酷い船上では小さな声では届かず言葉はきつく感じるが荒くれ者は少ないのである。

「 お兄さん何処から来たの~ 」
「 俺か~焼尻島と天売島が見える処から来た~ 」
「 焼尻の羊がなぜに美味いか知ってるか 」
「 それは生まれた時はメ~メ~と鳴いていたのが塩分の多い草食って高血圧で短気になり天売に向かってテ~メ~と鳴く頃には食い頃なのさ~ 」と
塩分と言葉使いには気を付けましょう。

呑みに出て面白い話を聞かせて楽しく呑ませて楽しい夜でした。ハイ

味より愛嬌かな

日曜日は9時4分に電波圏外から着信があった
アンテナから12~15海里離れると電波圏外になるが通話は出来なくても着信表示はある。
途切れ途切れの通話では異音がするとの事だったが
アウトボード艇はエンジンストップだけで済むがインボード艇はドライブシャフトの破損があった場合は浸水する事もある。
木は木自体に浮力がある為に木造船は沈まない FRP船も中に浮力体を入れる為に浸水しても滅多に海底には着底はしない様になっている。
その為に20トン以下の小型船の事故は大概はひっくり返り船底を見せて漂流し発見される事が多い

カリブ海や地中海で木造船が沈んで発見されるのは木と船の浮力以上に欲張って財宝を積んだ結果沈んで着底してしまったのだ。
佐渡から金塊を運んだ船は沈む事を想定して金塊だけは回収出来る様にロープを引きながら出雲崎に向かったそうだ。


出雲崎はやたら獄門跡がある 金を運んだ船なぞ沈めて船頭がのこのこ帰った節にはスミマセンでは済まずに獄門に!

船は常にこの浮力にたいしてこの構造と決まって作られるので海底に着底と言うのは珍しい分類にはいる。
少ない経験ではあるが実際に浸水し着底と言うのは見た経験がない
今年知床沖で着底した船は浮力以上に金儲けと言う欲を積んだと言っていい

まったくもう土曜日は店の前の歩道で蛇を見たのになんてコッタと電波圏内に入るまで戻る様に言って出港準備をして救助待機に入り電波が繋がるのを待った。
その後自力で戻るとの事で二時間後に一旦解散し
俺はラーメン屋に戻ったが山でも海でも要救助者は一人でもその数倍、数十倍のスタッフが待機に入るのだ。
今まで二桁の曳航を経験したが一旦動き始めると銭金ではない、もうそれは誰の為でもない自分に対する意地と一点あがりのゲーム感覚なのだ、
だから助けてやったと言うのは全然違い 誰かに手を差し出すのは自分の為で美味い酒を呑む為なのだ。


忠犬 今年行った南木曽 時間が立つのが早すぎてもう随分前に感じる。

すっかりラーメン屋の手順は狂いに狂いナンノコッチャと言う状態だったが
ラーメン屋はホタテラーメンが完売してシマッタ
ラーメンで生計を立ててる人には本当に申し訳ないが
店が忙しくなる事は望んでいない 安定した美味いラーメンが作れればそれで満足で目的も達成なのだが
最近のラーメンはどうしても納得がいかないのだ今月に入り札幌や旭川とそこらじゅうのラーメンを食い歩いてるが
人の作ったラーメンは旨いなと食うが有名店は土台が違うので参考になるものはさほど無かった。
そんな中でも地元に常に並ぶラーメン屋があるのだが、それはそれと思っていたが
先週地元のお姉様達が麵屋田中商店行け行けと言うので初めて食いに行ったが中に入ってびっくり
え~え~この田舎でこの設備と初めに驚く その後も参考になり今週から麵屋田中商店のやり方をパクッて自分の店のオペレーションを変えたが朝に出鼻を挫き売上はあったが結果は散々で
折角来て頂いた方に申し訳ないのである。
来週こそ美味いラーメンをと思うのだが

昔工具を持って現場を歩いていた時に栗東の山奥や三重の山奥で袋麺をゆでてネギを添えて普通に出す店があったが
それはその店の方針で別に何の異論もない
もうこうなりゃ~味より愛嬌かなと思ったり~

ニギリメシ

ワクチンを撃って副作用に苦しんだのは今回はほぼ36時間程度で終わり前回より短い
ファザーを3回撃ち4回目はモデルナで注射接種時間も短かったが
一番の原因は前回は食う物が無かったが今回は食う物があった事だと思う。


二日にまたがり苦しんで寝てる処に朝こっ早くから様々な人が来て早朝から起こされた。

土曜日早朝は常にブチ切れてる土方のプッツンオヤジに起こされ、これを飲めば治ると置いて行ってくれたが・・・・
コーラーや炭酸はゲップが出る度に喉と顎が痛く一本呑んで終了
九州筑豊から北海道旧産炭地に来たプッツンオヤジとは縁あって付合いは30年以上と永いが俺に対しては切れられた事はないが何度か仲裁には入った事はある。
プッツンオヤジの土方グループは出逢った時は5~6人程のグループだったが一人減り二人減りと亡くなって
やがてプッツンオヤジ一人になってしまって、何んでよ、何んでよ、と肩を落とすオヤジを何度も見て来た。
そのプッツンオヤジは切れたら自分でもマズイと思いホローする為か車には冷えた飲料水が沢山入っている。

本当は優しいオヤジで身体が弱ったヨレヨレった仲間を海を見たら元気が出ると山を越えて毎回乗せて来るのだった。
九州筑豊にもスルメがあるかどうかわからんが人の付合いは噛んで噛んで味が出るスルメの様だと思うのだ。
ただしスルメと付き合うには丈夫なアゴと歯が必要なのである。

今回はカップ麵を大量に用意して籠城作戦を準備したが苦しんでいる時はカップ麵は半分も食い続けられない事がわかった、
あれは健康な時に食う物だと


土曜日にニギリメシを3個貰った。
海が時化ない土日は毎回ニギリメシを3個持って来て呉れる綺麗なお姉さんが居るのだが
関節が痛んでカップ麵は半分も食えないのにニギリメシは2個を一気に食えた。

俺は食えない時期を経験したせいか食料は一気に食う事は出来ずに必ず残す癖があるのだが
後で食う一個が格別に美味いのだ。
時々なんちゅう性格だと思うのだが、この由緒正しい貧乏根性は治る事はないだろう。

幼い時に育児放棄を経験した子と一緒にいた時期があったが その子は必ず賞味期限を見る子だった。
その後も数人を見て来たが食事の仕方は様々だったが皆自分の身を自分で守る事に必死だったのだ
諦める事なく新天地を目指して欲しい
北海道の緑の大地 青の大海原は来るもの拒まず それが出来る大地なのだ。

コロナワクチン撃った。

金曜日午後からコロナの注射を打った。
夜中に関節が病み始めて朝には起きる事が出来なかった1回目2回目はなんともなかったが3回目は二日間苦しみ物を食べる事も出来なかったので
今回は簡単に食えるカップ麺を大量に買い込んで用意した。

回りでコロナに感染した人達は2~3日苦しかった程度と言う、だったら予防ワクチンで苦しむのと大したかわらんのではと思うが
俺が思うにはこの曲が流行った頃にもう一つ流行ったのが字もろくに書けない俺にも来た
不幸の手紙でコロナは不幸の手紙と同じで
予防ワクチンを打つと言う事は自分の為もあるが自分から連鎖拡大させていくチェーンメールを断ち切る行動だと思う。

2日目の夜になっても関節が痛むがこのまま寝ていたら寝たきり状態になるのではないかと思い無理くり動く事にして何か出来る事をせんといかんと思い起き上がった。
この具合悪いのは機械だったらアッチバラシこっちバラシと何かしらの行動が出来るが
人間の連れ添いが居る者なら自分より他の者を見る方が辛いと思う。
今週もいく旭川の整形の先生の右腕内側、鶏手羽で言えば最初にかぶりつく手羽元あたりに
たった今抜糸したと言う様に縦に10センチほどの傷とどす黒く腫れた傷跡があったが
これは集金先の背中の刺青ほどの効果があり 俺はすごく丁重に治るもんでしょうか、と聞いた。
その先生は「 私は魔法使いではないので何もかも良くなる事はありません 」と言ったが
ふんふん、なるほどその傷は自分でぶった切って治療して失敗コイタのですねと思った。
ふっとこれが外科だから外から見えて凄いが歯医者さんだったらどうなんだろう
連れ添いが歯が痛いとなったら、
あ~ん~アン~タ~と無防備に口を開けてる連れ添いをどんな思いで治療するのだろう
やはり特別な感情を抱くのだろうかと考えてしまった。
それともチャンと歯磨きせんからよ!とサッサと土方がコンクリーを砕く様に削岩機を掘り込んで済ますのだろうか
その状態により今夜のメシが変わるのではと

 神かまうな、仏ほっとけ

痛みもあるのか握りが甘く危なくて電動工具を持って使えなくなってから、
今はドライバーが回せない 回すと強烈な痛みが生じる。
ドライバーが回せないのでスクラップ解体作業が進まない

そんな日々の中で留萌の焼き鳥屋さんが心配してパンフレットを持って来て呉れた。
パンフレットはお買い得、多宝塔か、はたまたサターンを追い払うパンフレットかと思ったが違った。

ごく近い回りに奥さんのガンを直すために多宝塔を6000万出して買った八百屋が居た。
多宝塔を買って拝んでいた八百屋はその後奥さんが亡くなり
先に父親は行方不明になり出が内地で地元に身寄りのいない まだ小さい子供二人は家に残されていたがやがて何処かに行ってしまい家業も家もすべてが吹き飛んでしまった。
その場所は今でもわずかに痕跡を見る事が出来る
何処に行ってしまったのか返還訴訟とかなんとか世間に訴えられる者はまだましな者達なのだと思う。

別の新興宗教にハマってる一家が居て俺はそこの子供に言った
「 もし事故にあって輸血が必要になったら親に連絡をする前に俺に連絡をせ 」と
でなければ助からないと言った事がある。
俺はその一家に今でもサイトウ、サ~ンではなくサイトウ、サターンと言われている。

などと思い出していたら焼き鳥屋さんが持って来たのは旭川の病院のリハビリのパンフレットだった。
今まで何処に行っても加齢から来るものでと説明されリハビリの話は何処の病院でも出なかったが
その病院のパンフレットには自分で家でも出来ると書いてある。
この右半身が痛む様になって2年になるが病院には行きながら様々な方法を試みた。
ベットを三回交換しても駄目で結局は元に戻り
以前何かの本で読んだ人類発祥の地、アフリカに伝わる医療方法を試みる。
それは痛い処の物を食えと
右肩が痛いので鳥手羽先唐揚げを食い続けたが 空を飛べる事も肩の痛みも治る事は無かった。

今週そのパンフレットの病院に行ってみた。
やたら長い時間身体を固定されMRI検査を受けて結果は筋が固まって擦れているとの事だった。
2年前に痛み始めて別の3か所の整形に通ったが年齢から来ると言われてリハビリの話は一度も出なかった。
ここでは痛いので動かさないのは筋が固まる原因になるとの説明に機械も使わないと錆びるなと納得がいきリハビリをする事になった。
えええ~こんな簡単な事で腕が上がる様になるとわ
今まで車に乗っても右腕でディマースイッチを動かす事すら億劫だったのにと旭川からの帰りに思った。
3か所も行った病院はリハビリをする話は出なかったが何んだったのだろうと帰り道考えたが
俺の中で同じ距離なら旭川より札幌と言う意識があった事が大きな原因だと思った。
それか! 雪駄に七分でガラが悪いので病院に用心されたかも

マリーナーでも小樽のマリーナーで小さい船でもここのマリーナーに持って来ると大きな船の分類に入る。
何処かに小さい街はダメと言う思いがあるのかも知れないと深く深く反省した一日だった。

味覚、不覚、

納税者は日々「カモの水かき」状態にあるのに
国会で112回も嘘付いた元総理など噓つきは泥棒の始まりの様な政治屋達
前総理が「反社と言う定義は無い 」と言った言葉に統一教会で今更納得がいった。
不覚ではすまん人間の・・

 


ガソリンクーラー付きエンジン
最近多いのが
ボートのタンクは100~180リッターと言うデカいタンクの為に燃料を消費し切れずに持越し冬季間乗っていなかったタンク内の結露などの水分混ざりの燃料を使う事でデイトネーションが起きエンジン回転制御が掛かるなどの現象が多い
対策は燃料を使い切る事か添加剤を入れる酷い場合は燃料経路や高圧ポンプ交換もしなければない為に銭も掛かるので
作業をする側も悩む事が多いが高揮発性燃料は鮮度が命かも・・・・・

修理屋と言う仕事柄 細かい作業や考える事が多く仕事中に話し掛けられると部品の付け忘れや作業手順の狂いなど不覚の事態が起きる為に
来客が多く作業を中断させられる事が多い日曜日は修理はやってはいけないと思う。

作業中はただでさえ不細工な面がさらに面倒な面になってるし話し掛けられるのには対応は出来ない
何もしていない様に見えても机に向かってる時も作業手順を考えているのだ。

こちらの都合などお構え無しの近所の戦前生まれの元お姉様達などに声を掛けられると白紙に戻る事も多く作業を諦めるか
冷たい態度で追い出すと
元お姉様達は不貞腐れて今生の別れの様な帰り方をするのだ。

それでもこちらの都合のいい時間帯に懐かしい人やお世話になった人達の顔を見たいと言う贅沢な事を思っている。
それはラーメンを介した場所を作る事だと思って来た。
わざわざ遠くから来て貰う人に出せるだけの値するラーメンをと思うのだが
いま壁に突き当たって
二週休んでラーメンを作ったが満足がいかないのだ。
丼一食に300ccのスープを使うのだが36000ccの寸胴で作ると天候や日回りで余り近隣に貰ってもらってもほぼ廃棄する事も起きて来る。
さすがに最近は勿体無いと思い寸胴を半分に小さくしたが火加減がイマイチ分からないのだ。
香りも色も一瞬美味く出来る瞬間があるのだが
寸胴が小さいと5時間と言う営業時間の間、味が持続しないのだ。

色々ドッタラコッタラと考えたが
もはやラーメン屋ではなくただの趣味で
ラーメンで生計を立ててる人には唯々恥ずかしい限りなのだが
今週金曜日はコロナ4回目ワクチン接種でラーメンは休み
来週からは土曜日は仕込みをし日曜日だけのラーメンを作ろうと思うのだが・・・・・

味覚について

やっと時間が取れる様になったので今週はアチコチ食いあるこうと思うが一人なのでどんな先客が居るかは味の重要な要素になる。


メニューに学生ラーメンがある事に感動するが学生ラーメンはラーメン屋繁盛には必要だと思う
俺も目付きもガラも悪いがこんな先客が居たら味など吹っ飛んでしまい味覚も不覚もあったもんでない
常連になったら店は潰れる。
ラーメン屋繁盛の為に早く帰って貰いましょう。
小津 安二郎風にもっと普通に呑んで欲しい

用心して二週休んだラーメン屋を今週はやろうと思ってるが味の好みが変わっている。
若い頃は銭出してまで蕎麦やうどんを食べたいとは思わなかったが今は普通に食べる
スパゲッティは自分作って食べるがこれは一回に何千円も掛かる羽目になり食いに行った方が安く付くのだ。

美味いと言われるラーメン屋も店も月火は定休日が多く中々食いに行く事は難しい
蕎麦などは美味いと言われても未だに これはどんなに遠くても通うぞと言うほど美味いと思う蕎麦を食った事がないのだ。
何が美味いかわからんが蕎麦を食う様になった。
元々大した物を食ってないベロなので味覚がおかしいのかもしれないが
そもそもは味覚とは食ってはいけない物を見分ける為にありさほどの精度は要らないのである。
そこに美食だの美んまいだのと星を付ける様になって刷り込まれさらに味覚がおかしい事になったのではないか
星を付けるのは勝手だが自分がせっせと稼いだ銭払う側かも知れないが店もせっせと稼いでいる。
客も店も対等なのだ
食うにあたっての礼儀と言うものがあると思うのだ俺はテッシュを使ったら必ず持ち帰る様にしている。

味覚はどの状況で食ったかも重要で
安心して食える状況がもっとも美味いと感じるのではないかと思う。
子供の頃に味覚は決まると言うが
それは親と食った事で味覚が出来るのではないかと強く感じるのだ。

 華火


どこまでゆくのかガット船が黒岩で取られた大割砕石を積んで夕方出港してゆく
内航船の中でもこのガット船は一隻だけで経営してる零細規模が多く
その為かスピードも遅く機関音からも老朽船が多い様に感じる。

土曜日は花火だった、
花火は崖下村の港から打ち上げられ毎年ここから皆で酒吞みながらワイワイと見るのだが
今年はラーメン屋は諸般の事情で休業で観覧会は中止
外に出ると周辺で騒いでいる皆が寄って来るので家の中で音だけを聞いた。
花火は音とセットで音の無い花火は花火ではないと以前から思っていたが
家の中で音だけを聞いていると昔の花火とは様変わりをしている。折角だが音に風情がない様な気がし打上げる高さが低く感じるのだ。
前半と後半に分けて前半は最近風の花火で後半は昔風の花火にしてはと思う。
最近は機械装置で着火する為かやたら派手で早い

風情に付いて思考してるのだが
風情もヘッタクリも無く高さイコール価格で全体予算をどっちに振り分けるかと言う銭の配分の問題だと思うのだが
寄付は取に来るが希望は聞かれた事はないな

花火師が一発一発に火を付け夜空に広がる華火の後にドーンと聞こえる間合いがなんとも言えない風情があるのだ。
去りし日を思い、来る日はあと10回花火を見る事はないだろうと思う。
近くに居てもすべての人が華火を見れるわけではない
数発は思いっ切り高く上げて御料地の年寄り農家や沖の本船航路をゆく船などにも見える様にし音だけでも聞こえる様にしたら、いいのではないかと思った。
今年は見てはいないが例年通りなら600メーターほど目の前の堤防で打ち上げるのでサンイ、コサイン、ナンチャラから考えると打上げ高さは高くてせいぜい300~400メーターだろうと思う。
暑寒岳が1400メーターなので1000メーターもブチ上げれば山奥の人にもベットで寝てる人にもせめて音だけでも聞こえるだろうと思う。

ふっとやたら遠いと光より音の方が聞こえんのかと思ったが
花火の音の記憶はあるが音の無い花火の記憶がないぞ