ラーメン今期終了


クラッチロッドが破断してしまったので交換する。
部品は数千円だがパワーブロックを外さないと交換出来ない
船をクレーンで吊って上架と船は本来の作業以外にクレーンの準備からと段取りに時間が掛かり本来の修理が終わると下架作業にほぼ同じ時間が掛かり
他のエンジンと違い船の作業は影の時間が掛かる。

部品待ちのあいだに

除雪機点検
同じ事を何十年もやってるので数メーター動かすとだいたいわかるが落とし穴はそこら中にあるのでバラシて目視確認をする。
これが毎回同じ事の繰り返しで飽きて来るのだ。

その飽きて来るのも月曜日から木曜日までやって金曜日から日曜日はラーメンを作って売る。

その副産物がこれ
すべて貰い物で皆健康を考えて呉れて四合瓶が多い
地元には國稀酒造があるので店で使う酒はすべて國稀佳撰を使ってるのだが
貰い物は全国の有名処の酒が多くここに居ながらにして各地の酒を呑む事が出来ている。
他にも季節事の魚や野菜やネギや玉ねぎやオニギリなども貰って生活の足しになっている。
そんな理由(わけ)でここ崖下村に移住して来てからは食う為の生活には一切困らない
食うに困らない生活は仕事のやり方も変わって来て
最近ラーメン屋の廃業がニュースになるが簡単に出来るラーメン屋は新規参入も簡単だが商いはお客さんあっての商いで
商人(あきんど)としての心構えは味以前に最低限必要だと思うのだが
ラーメン屋はその辺りは大雑把で許される傾向にある。
商人(あきんど)としてのその心構えが出来ていない者は良い時ばかりではないのでやはり継続は難しいと思うのだ。

俺はね、麺類と焼き鳥屋は家族と自分の食って生活して行く為の商いで儲ける為にやるのは少し違うと考えていて
大型スーパー店の様に何処にでも店を作り儲からなくなったら撤退をして荒れ野を残す商いではなく
簡単に出来る商いだからこそ食うに困った家族が三ちゃんで糊口を凌ぎ生きて行く最後の砦に聖域として残しておくべき商いで
酒ばっかり呑んでる訳ではなくこうしたら食っていけるを言葉だけでなく実践してみてる気がするのだ。

今シーズンも先週で無事終了であとはせっせと溜まった作業を片付ける事にして時間が空いたら
何処かに行きたい
半年ありがとうございました。

水田水脈≧頂きりりちゃん

このポスターは土と水に寄り添って地道に生き苦労したアイヌの人を象徴してるとはなんとなく思えない
北海道の厳しい自然と共に寄り添って暮らしていただけなのに和人の進出によって虐げられ続け
1670年には松前藩によって和睦交渉成立の宴会に集めたアイヌの女子供まで殲滅されている。
人の生き死にが掛かる約束事は守れや~と言うのは武士道でなくても修理屋としても最低限の条件でもある。

俺は男尊女卑ではないが男損女陽とは思っていて
水田水脈と言う女を見てる限りではこの国では女を国会議員にさせるのはまだ早すぎると思ってしまう。
この頭の狂ってる異常女を作り出したのは元総理安倍晋三で役目は使い捨ての斥候兵以下の鉄砲玉なのだ。
このイカレ女を世論操作に利用してるのでもし過激発言をしなくなったら
水田水脈はもう要らない それはこのバカ女もわかってるので確信犯的に繰り返す。

俺の姪っ子に「 頂きりりちゃん 」の様な子がいて
まった関わる奴もナンチャラカンチャラの枝葉が多く少しばかり苦労させられた。
もう歳でボインも何も人畜無害になってるが頭が切れて度胸もいいが自分より弱い奴や困ってる奴は騙すなよと言ってある
「 おっちゃんわかった 」と言って去って云ったがいまも関東の何処かに居ると思うが何せ明るいのだ。
女が明るく笑って生きていける世界を作るのが野郎の役目なのだ。

どっちもこっちもバカ女だが頂きりりちゃんは騙し損させる相手は野郎でせいぜい数人だが水田水脈はほんと悲しい可哀想な女で傷付ける相手は数は知れない
どちらさんも人事は棺を蓋うて定まると言うがどうなる事やら

来月は少し休みを取って今度こそ最後の貧乏旅行に行こうと思うのだが再度岐阜周辺か東北かで悩んでいる。
岐阜は夕方が似合う処で何とも言えない情緒がある一方東北は早朝がいいなと思う。
黄昏て来た自分をかえり見てるのかハタマタまだいけると思ってるのか
銭が少ないから悩んで工夫もするその時間を楽しむ貧乏人でありたいと思っている。

ラーメンあと2週ありがとうございました。

この怪しい店によく人が来るなと思うが5月から始めた土日ラーメンもあと2週で今シーズンは終わる。

今でこそ全国何処で食ってもラーメンは旨いが半世紀前はラーメンは北海道がダントツで美味かった。

少々ヤサグレ始め この歌が流行し始めた頃に名古屋で心機一転を目指し留萌駅から列車に乗った。
青函連絡船は函館のホームから直接、船に乗るので函館で北海道最後のラーメンを食う事が出来なかった。
連絡船が青森に着くと急行列車はそのまま上野駅に向かうが貧乏人が乗る鈍行2等列車は半日ほどたってから出発だったので待ち時間に青森で食ったラーメンと留萌の錦町3丁目にあった甚屋のラーメンとの味の違いに愕然として
ラーメンを食ってる最中にこれからの人生の選択はとんでもない間違えではなかったのかとラーメンを食いながら自然と涙が出た事を今でも思い出す。
それ以後中華ソバはあったがラーメンは食う事が出来なかった恨みか
今でも醤油ラーメンには執着してるのだ。

ラーメンは基本は醤油ラーメンと思っていてここでは醬油ラーメンとホタテラーメンしか作らないのだが
もっと美味ラーメンをと思って試行錯誤の連続で毎回同じ味にする事が出来ない
美味いと言って呉れる人もいるが今でも銭を貰うのも気が引けるのだが一応600円を貰っている。

人生の多くの時間を人様の苦労して作った物を四の五の言って直す修理業として過ごして来たが
ラーメンは作る作業になり修理業には無い面白さと
終戦直後の食糧不足時代ではないのでラーメンを食わなくたって誰も困らんし
不味いと言っても海の仕事と違い命までは掛からん気安さがあるのだ。
俺は思うのだが腹減ってる時に考える決断はロクな事はない人生で何かの決断をする時は自分の好きな物を食って
海見てラーメン食ってダラダラと無駄に時間を過ごす
その為にも数人が来て呉れたら充分


食って自分で清算してザル籠に入れるシステムでセルレジと呼んでいる。
ザルだけに収支もザルで儲からんが良い事は
機械修理業はその機械やボートを買う事が出来る人としか付き合わないので
自分の考え方や見方が偏ってしまう事があるが
不特定多数の人が来るラーメン屋は変な奴も来てその点は面白い

ここ来るお客さんは様々な物を忘れて行く白いストローハットも果てはジャンバーまで忘れて行って取りに来ない

エンジンオイル


オーバーヒートを起こした4番シリンダー


通常の1番シリンダー

エンジンオイルは安い物でも頻繁に交換すれば問題ないと言うのは間違え

オイルの一番の役目は金属と金属が直接触れる事のない様にするのが役目で
鶏手羽先唐揚げを食った皿を手で拭いただけでは油を落とす事は出来ない
それは表面に油膜が張る為で指でなぞっても皿を直接触っていないからで
オイルは温度が上がると柔らかくなり油膜が切れて金属同士が直接触れてしまうので様々な添加剤等で油膜切れを防いでいるのが価格の差になっている。
オイル交換をしたオイルをゆっくり掻き混ぜると筋の様なものが出る時は金属が直接触れて相手側を削っている金属粉がオイルに出てるのだ。
そうなってから幾ら良いオイルを入れてもジエンドなのだ。

船と車の違いは惰性がない事で常に水を押し続けていて これは常に空気を搔き分けている飛行機も同じで
エンジンには常に負担を掛け続けている。
車の場合はタイヤが回転する事によって惰性で回り続けて勢いが加速されていく
その為に発進時に使ったローギヤは惰性と共にシフトアップが出来るのだが
船も飛行機もギヤは前進一速しかなく常に負荷が掛かる為にシフトアップは出来ない
さらに船外機の場合は速度制限の無い広い海原を毎分6000回転で何時間も走り続ける。

これが車なら街中を6000回転で30分も走ったら
天国かどうかわからんがこの世にはいない

船は過酷な状況で使われ続けているのでオイルはいい物を早めに交換する事が重要になっていく
オイルが悪いとスムーズに回転をしなくなりオーバーヒートの原因になり
このオーバーヒートで何が問題になるかと言うと熱によってシリンダーヘッドの歪みを招く
通常は歪み交換目安は0.05~0.08ミリで
歪みが起きると吸入行程で海水の冷却水がシリンダーに入ってゆき膨張行程では
今度は逆に排気がウォータージャケットに入り冷却水を押し出してしまう。
これを繰り返す事によって内部は塩漬けカーボンが出来上がって塩が空気中の水分を呼ぶ事によって

こんな事が起きてしまう。
左が4番シリンダーでガスケットが漏れている事がわかる。
結果は部品代だけでエンジンの6~8割になってしまい直す価値はない
ちなみに部品を一個づつ買ってエンジンやバイクを一台組むとおよそ新品価格の2~3倍ほど掛かる。
昔し紅顔の美少年だった頃にバイクが欲しくてたまらん時にパーツリストで全部品の価格を積算した事があったがその時は新車価格の約2倍になった。

何度も水没エンジンを整備したが塩水に水没させた場合は脱塩は難しく通常のやり方ではほぼ出来ない
それは鉄であってもアルミであっても原子構造にナトリウム原子と塩素原子の入る隙間がある為で
水没したエンジンはバラさずにエンジンを始動させて最初は毎日エンジンオイル交換をしてそのまま壊れるまで使い切る方が得策になっていて
処置の仕方では10年以上使う事も出来る場合もある。

ただしその使い方をするのは仲間がすぐ傍に居る港内作業船のエンジンで一人単独で気ままに何処にでも行って釣りをする船はエンジンが塩水に水没した場合は捨てて買え替えるしか手段はないと断言出来る
天国に行って戻って来れるのは帰って来たヨッパライだけなのだ。

整備では対象者が使い方や使用してるオイルなどの質問に対してどこまで本当の事を言って呉れるかに掛かっている。

玉葱とほたてラーメン


ラーメン屋もここに来て問題が発生
日曜日は滅茶苦茶忙しく
外は座る席は3~4人が座れる長椅子が三脚で中も入れると18人が限度で日曜日12時頃になると座る処が無くなる。
ここの場所に来るには公共交通機関は無い 土日はタクシーもないので自家用車で来るか自転車で来るしかない
土日は必ず来てくれる人は自転車2人 歩き3人であとは自家用車で来るが
一見さんが自家用車で来てくれるが一気に3~5人が入ってくれるので1人で対応が中々出来ない

ラーメン食ったら一日居ていいと言うのがコンセプトなのだがお客さんが入り過ぎてそのコンセプトが崩れ始めている。
月曜日から金曜日は本業をやってるのだが
その本業は鬼瓦三蔵の様なオヤジなどに対応してるので
いまは完治してると思うが7月に胃の血管が切れて思いっきりチ~が出たが胃潰瘍にもなるってもんなのだ。
そのストレス発散の為にラーメンをやってるのであまり忙しいのもストレスになるのでよろしくはないのである。
人もろくに通らんこの場所でなんでこんな事になってしまったのかと思って考えてみたが
この店がナンチャラマップに載っているのだ
それも間違えて少し離れた旧倉庫の場所にそれでナンチャラマップから店を削除したのだ。
ラーメン屋を作っては壊しと数軒やったが最近のラーメン屋は本来のコースから外れている様な気がしてならないのだ。
俺が考えるラーメン屋は生活に困ったらラーメンで店主や家族が食って行く為に生業としてやるのがラーメン屋でラーメンで一旗上げようと言うのは少し違う様な気がしてならないのだ。


ここ崖下村に来る前からもう30年以上の付合いがある。
強面の鬼瓦太蔵の様な玉ねぎオヤジから玉ねぎを大量に貰った。
九州から北海道の旧産炭地に流れて来たオヤジは心の友と次々と永訣し自分一人が残って意固地になってしまった。


いま時期は北海道はそこら中が玉ねぎの収穫時期だが貰ったのは土の付いた無選別玉ねぎで
石狩川沿いの広い空知の何処かの玉ねぎ畑から自分の手で一個一個とひろって集めたのだと思う。
玉ねぎを
「 悪かったな 」と一言いって置いていった。
その一言で春からの問題がすべてが解決していくのだ もうそれ以上の言葉は要らない
どっちにせ型あるものはすべていつかは壊れる。

ラーメン屋営業も今年はあと4週で終わる
ホタテ塩ラーメン一番の味付けはお客さんと潮風

福田村事件映画感想2

人は生まれて来る場所も環境も自分で選ぶ事は出来ないが
それでも日々生きていく中で喜びを感じさせる社会であって欲しいと思うし
自分でもそうあるべきだと思う。
内地にいくとその場所から一歩も外に出た事がないと言う人に出逢う事があるが
その中でも春には黄色い花が咲きと四季の移り変わりを楽しむ事が出来る。

永山瑛太が演じる被差別部落出身者で薬売りの行商人一行15人の親方沼部新助が
朝鮮人の娘が立ち売りで売るアメを買う処から結末に向かってゆく布石が打たれてゆく様が出来すぎと思ったのは
ひねくれた俺だけなのだろうか
映画は原作を読んでからだとホント面白くないので最初に見てしまった。

この映画は問題が問題なだけに淡々と進む日常が少々出来すぎたと思ってしまったが
最後の集団心理は現代でもありえるだろうと思って
俺なら如何にしてその場を止めさせるかと深く考えてしまった。
若い時に何かの危険な状況に落ち入った時にかわす術(すべ)を教えられたが
かわす時には身体を前に出して斜めにしてかわす事が肝心で一歩下がって体をかわしてはいけないと教わった。
これは次の体制を維持する為に必要で下がると次の攻撃が出来ないからで
格闘技でなくても何かトラブルがあった時は一歩前に出て解決をするのがいいかなと思うのだが
現実は中々出来ないが心構えはそうありたいと思っている。
いま抱えてるトラブルも一歩前に出てサッサと終わらせたいのだが
相手の作戦なのか四の五の言って日にちを一日伸ばしにされて中々逢う事が出来ないでいるが
頭に登りに登ったチ~も少しづつ臨界点が下がり考えも変わって行っている。
普段冷静な時はどんな相手でもそれなりの理由(わけ)があるのだからと理解をせと自分を説得するのだが
今回ばかりは容赦勘弁ならんと月を跨いでも怒り続けていたが
天丼は食えなかったが映画を見て少しだけ怒り方が変わった。
ガソリン代は別にしてもミニパーク駐車場の駐車料金400円と映画の木戸銭1200円
普通は1400円だが受付で年齢を聞かれ割引料金になったので
セコイが合計1600円で
クッソとは思うがバカ野郎に俺の愛の手をホンの少しだけ差し出してやるかと考え方が変わったので、いい買い物だったと思う。

逆に自分が詫びを入れる気持ちがあるならすっ飛んで行って逢って顔を見て一時も早く詫びるのが一番いい方法になる。

バカ野郎をいま工事中の天塩川に掛かる橋工事の人柱にしてやったらスッキリするべと思ったが~


天塩川近くのぱっと人も車も通らん ここで商を続けていく店は婆さんか爺さんか知らんが品物にその人の年金が乗っかってる。
店の維持費に店主の年金で維持している場合が多いのだ。

福田村事件映画感想

先月からトラブルを抱えてこのままでは行き付く処までゆくのではないかと思う事があって気分転換の為に大都会に行って来た。


狸小路 シアターキノ 福田村事件

開演時間 9時15分に合わせてここを車で出て2時間半ほどで映画館に着く
場所は狸小路6丁目にあり上映は11時半頃には終わるので大好物の天丼を食って帰ろうかと予定をして雪駄にダボシャツで大都会をズンズンと進む
上映時間は137分と映画としては長いがこの問題を扱うには短いと思わせた。
感想は下地に韓国併合と被差別部落出身者が絡んで淡々と伏線が続き結末へと向かう
よく出来た映画で(よく出来たと言うのはこの場合は褒め言葉ではない)
記録映画ではないので割り引いて見る事が必要と思うが日本でこう言う事があったと知らせる事には良かった。
B館は100席あるが8割ほどの入り客だった。
北海道には被差別部落問題は見聞きする事はないので実感はないと思うが
昭和38年当時の愛知県では見聞きする事は普通で北海道人としては逆に不思議でならなかった。
俺の生まれた場所は花園町3丁目で朝鮮半島出身者が寄り集まって住んでいた場所が40~50メーターとすぐ傍にあったが
母親が良く出来た人で人を差別する事は絶対に許さない人で
その環境で育ったせいか愛知県に住む様になっても差別するとかは実感としてなく蔑視語を喋る人を見る時には成りは立派でもちょっと違った見方をしたりして
お蔭で名古屋弁ではない俺が得をする事が多かった。

物語は韓国併合と被差別部落出身者が上手に絡んで進む映画で
起きた事は事実でもノンフィクション映画や映像を見る時の注意事項で
もし登場人物がすべて史実通りで時間軸を動いていたなら
山の頂上は何処から誰が登ってもひとつで その状態がすべて本当なら藤井 聡太に睨まれた通天閣の詰将棋の様に逃れる事は出来なかっただろうと思うが
人間はそこそこにバカだと思うが必ず反作用も持っていると希望を持っている。

いま俺自身が抱えてる問題の臨界点を映画を見て参考にしたいと思ったので見る視点が違っていたのだと思う。
何か間違え問題が起きる時は経験則としてそこに行き着くまでに様々な要因が絡み
引き返すべきや立ち止まるべきターニングポイントも何度もあり意外とこれだけが決め手で一気に奈落に落ちると言う事はないと思っている。
その予兆を如何に早く気付いて早く逃げるか対処をするかが重要と考えている。
その為に茶柱が立つと良い事が起きて雪駄の鼻緒が切れたら悪い事が起きるを信じていて
これが仲間内や義理も含めて兄弟連中より俺が長生き出来た秘訣と思っている。
福田村は現在の野田市で事件の場所は三ッ堀にあり
この野田市は人生どん底の時に何線か忘れたが人を訪ねて行った時に松戸、柏、野田と列車に乗って通り過ぎている。
やっとの路賃を持って頼って行った先では暫く厄介になり更に奈落に落ちる羽目になっていって
当時利根川沿いをトボトボと歩いてハクレンだったか草魚だったか知らんがジャンプを繰り返していた。
ロクデナシなど頼ったらいかん一旦故郷に帰ろうと心に決めた時期でもあった。

俺は少なくとも九分九厘この様な事件の加害者にはならないと思った それは通信網が発達してる現代に生きてる事と臆病でチ~を見るのが大嫌いだから
11時半に終わる映画見てから狸小路の西鶴で天丼食う予定だったが店の前を通っても
幾ら集団心理とは言え
なんか女子供まで手に掛ける事が日本で本当にあったなどと胸が一杯で食う気になれんかった。
人前になったら声のデカくなる奴は信じるな、が俺の経験則

関東大震災とプロペラについて考える


現在においてこの4枚ペラを釣りを目的としたボートに使用するメリットは無い


普通に使うにはメリットは無い事を一枚10万以上するステンレスの4枚ペラも5枚ペラも45ノットを超えるこの船で試している。
結果は4枚ペラや5枚ペラの使用条件にあう航行をする事は波の日もあり朝から晩までスピードを出しっぱなしで走る事も普通の海では難しい

 
浜松 ヤマハコミュニケーションプラザ

ヤマハはこの木製プロペラを作ったのが最初で戦後この木工技術を生かしてピアノを作り始める。
一本通しの木から作るので2枚ペラを作る方が強度的に良く木製ペラは2枚ペラが主流になる。
プロペラは羽根の枚数が少なければ少ない方が良く
それは最初の1番羽根が搔き乱した後を次の羽根が通るからで
1枚ペラも実在するがバランスを取る為に反対側にウエイトを付けた重量物を回す為にそれもメリットは無い


岐阜かかみがはら航空宇宙博物館 飛燕

飛行機は自動車と違い見た目より常に効率を重視する
プロペラは長い方が効率は良いが長いと地面にぶつかる為に枚数を増やす
その中でも殆どが3枚ペラで
少ない風でも動かす風力発電も3枚ペラになり長い
ではなぜにこの船には4枚ペラが付いてるのか

扇風機に5枚ペラなどがあるのは
お肌に優しい~爽やかな~風が~で用途が全く違う。
何の根拠もない新しい物好きの誰かさんの勧めで船主が取り付けたが
一応プロが言う事を聞いて呉れない人は他の人の話も聞かない
そうなると自分の我を通す事が多くなり回りの人は何も言わなくなる。
それは人生の見えない処で多大な損や間違えをしてゆく事になっていく


仕事終わってから写したので雪駄が写っている😅

今時のエンジンはコンピューターで管理されていて運行記録が残っているので
ある程度の原因は掴めるのだ。
結果はたった数年で間接原因も含めて百数十万がパ~になった。
思い込みや我を通す事で失敗こいても銭で済む場合は銭で解決一件落着になるが
これが震災時に流言飛語やデマだったら
結果は自分だけでは済まない果ては回りの人の命まで掛かる事になってゆく
そうならない為には自分の眼で確認する事と平時から人の話を聞く耳を持ち平衡感覚を鍛える。
修理工は故障原因を思案する時は右と左と極端な原因の仮説を立てて
右と左を消去方式で消してゆき故障原因の中心を探り当てる。

オホーツクミュージアムえさし

ここ2年は病院通いが続いたが待ち時間が暇なので人間か機械かの違いはあるが修理業として観察してるが看護婦さんは大変だなと思う。
先生は「 私は魔法使いではない直すのは貴方です 」と言ったが
『 そりゃ~そうだ真におっしゃる通りでございます。』と
医者先生としては気休めの嘘は付けない
患者は真実を知って言われた事を守るしかない
ガキの頃から遊ぶ間も惜しんで勉強して専門医になりまた24時間勉強してる
先生の言う事を
知ったかぶりからの聞きかじった程度の知識であ~したらイカンだの
この薬はドッタラだのと言って先生に言われた事を守らんなど病気も治る訳はないのだ。
これは機械修理業も同じ
対して看護婦さんは真実を告げる事だけが仕事ではない
「 私もお手伝いします一緒に頑張りましょ~ 」などと我儘放題の言う事を聞かん患者を相手にする。
さらに一歩職場を離れ家庭に戻ったら主婦となる。
自分の夜勤の隙に乗じて茶髪のガキは夜遊びで亭主もメシも作らんで焼肉食いにいって酒カックラい
そんな中でも患者に愛想笑いとヨイショを呉れて気休めも言わんならん
その匙加減など難しいのは医者先生よりも遥かに難しいと思う。
修理業の俺は以前は直す先生役と経営者と言う仕事もあった。
この経営者になると政治家とほぼ同じで結構いい加減で
ナンチャラ大学の理事は優秀な経営者なのだろう
知る限りでは薬物に関しては回りに伝染しない事はかなり難しく
いわゆる腐ったリンゴなのだ。
「 いち部員の行いで他の部員は潔癖です 」などとしゃ~しゃ~と嘘八百をノタマっても職責は出来る。
ほんと人間様を治すと言う看護婦さんや安月給の助手さんは大変な仕事といつも思う。
感謝感謝です。


美深でチョウザメを見る 何度見ても飽きない


枝幸 千畳畳公園 ここはやたら広く車中泊にピッタリでいつもここで寝る
ここは数十台のキャンピングカーが集まっているが軽は俺と二台だけだった。
旅は銭が無いと無いなりに面白いのが旅
銭はまったく無しも困るが見えるものは多いかも知れない


朝9時開館 もう何度も来てるオホーツク文化を今に伝える
オホーツクミュージアムえさし」を見る。
ここは2016年5月リニューアルオープンしたが以前の博物館にも来ている。
これだけ凄い博物館が無料で見られるのは凄いが
それだけではない館内には町内の子供用の設備もあり町民と思われる人も多い
町民が多い館(やかた)は地元の生の声を聴ける

博物館は一度見たからと次を行かないと言うのはダメで同じ物を見ても
自分自身も成長か退化か知らんが
感じ方や捉え方が変わったりするし展示内容が充実したりして
博物館は何処もそうだが無機質と思われる博物館が人の様に育ってゆくので何度見ても面白い


オホーツクミュージアムえさし」にこの展示は前回来た時には無かった。
ラムはラム酒もあるがインドではラムは「 こんにちわ 」と言う意味になる
何かアイヌとの関係があるのだろうかと思う。
長い事大変お世話になったラムさんに心を込めてこんにちわ


擦文土器 この他にも多数のオホーツク文化の資料があり無料で見る事が出来る
ここは何処かに賽銭箱でもあったら入れようかと思っても無いのだ。

振り返ってみると我が町の資料館が永寿町4丁目にあるが町民はタダだが町外者は確か300円か400円の入場料が掛かる。
大目に見積もっても日に数人も入るかどうかで
稼ぎが少額であろうが公金は入金処理をするだけでも大変だろうと思うのでセコイ事せんでタダにせと思うのだが
確か入場するとカァ~とカラスが鳴いてお出迎えして呉れる。
カラスの声を聴いた時にどこのコンサルがやったのかと思ってしまった。
北海道はタダで見れる博物館は多い

275号線朱鞠内

最近DJソダとかがセクハラに逢ったとかドッタラコッタラと言ってるが
ライオンの群れを横切るトムソンガゼルの絵が見える。

16歳からバイクに乗り始めて60年近くになるがそこで学んだ事はバイクは車と違い事故に遭ったらなんぼ自分が正しくても
青信号であっても事故になれば命を落とすのはほぼバイクの方だと言う事を学んだ。
今から40年ほど前に高校生にバイクの免許を取らせない、乗らせない、買わせないと言う三ない運動が始められた。
当時居た地元に工業高校と普通高校と二校合わせて210台ほどを高校生が乗っていた。
事故を起こす前にエンジンを掛ける事が一仕事と言うスクランプに近いバイクが多くアルバイトなどをして買っていた子が多かった。

事故を起こせば必ず自分の身体に確実に跳ね返る事を学ぶ事と社会人になったら中々出来ない交通安全教育を授業の一環としてやれた機会を学校に私生活まで責任を押し付けて父兄はすっ呆けた。
結果は自分の身は自分で守る事が出来ないでいつまで立っても親に守って貰え権利ばかりを主張する社会人が出来た。
DJソダに提灯を付けて著名人かどうかわからんが自分はどんな服装も自由で電車にもその恰好で乗るのと言ってるが
就職面接にもその服装で行くのですかと言いたい
ま~面接担当は喜ぶかもしれんが
ライオンの胃袋に収まるトムソンガゼル


ポンカムイコタン鉄橋 幌加内政和 雨竜川に掛かるレールを外された深名線鉄橋跡
ドライバー不足や地域の高齢化を考えた時に1人の運転手で何千トンも運べる列車と駅チッキを考えられないのかと思うのだが
セコイ


ポンカムイコタン鉄橋 殉職者弔魂碑 昭和6年
以前はまだ案内版が立っていたがいまはこの弔魂碑のみが橋梁工事の大変さを伝える。


朱鞠内湖 殉職者慰霊塔

朱鞠内湖は日本で2番目の人造湖で一番は天竜川にある佐久間ダム湖だが
ここが有名なのは大きさより朝鮮半島や国内から集められたタコ部屋と殉職者の多さで有名になり実態は未だに正確にはわかっていない


願いの像
「 命の尊さに目覚めたすべての人々の思いを込めてこの像を建立します。 」とある。
北海道には明治初期から昭和終戦後までにかけて朝鮮半島出身者や内地からの周旋屋によって集められたタコ部屋がそこら中にあり歴史修正主義者は北海道に来て現実を見た方がよく
日本人は武士道がドッタラコッタラ言うが状況が変われば鬼もなる。
完全や完璧などはない事を踏まえていつも自分を見直す事が大事で
その為には誰が書いたかわからんネットなどよりやはり自分の目で現地を見たり本を読む事でないかと思うのだが


森村誠一で有名になった笹の葉墓標 旧・光顕寺があった辺り
旧・光顕寺は雪で倒壊してしまいすっかり変わり跡はわからないが確かこの辺りと思う。

森村誠一は社会派と呼ばれた小説家だが二回り年上に同じく社会派と言われた松本清張が居る。
森村誠一は書き出しに訳あり老人が誰ぞの家を訪ねて来るのが多いがこれは元ホテルマンだった事が関係あるのかと推測してる。
松本清張の書き出しは最初に誰ぞわからん死体が見つかり訳あり人妻が亭主を探しに出るのが多い
もう目が悪くなり文庫本を読むのが辛くなってハードカバーがいいのだが一冊が1500円で
二日で読み切るので1日750円は一日1000円あれば暮らせる崖下村に住んでると高け~な~と思う様になってしまった。