孤高の除雪機と野武士の除雪機


等々本格的な雪が降って来た
毎年雪が降り厳しい冬がやって来るのは決まってるのに
除雪機エンジンが始動しないと電話が来るのは多い
セルが回らないのはバッテリー上がりとセル自体が回らないと二つあり
ヤマハは遅くまでサイドバルブを採用していたが利点は構造が簡単で修理が容易に出来る
ホンダは早くにOHVを採用して少ない排気量で馬力を出せたが構造が複雑で高い
バッテリーは大丈夫なのにセルが回らないと言うのはこのOHVに多い
原因は長期間放置しオーバーフローしたガソリンがシリンダーに入ってしまい圧縮出来ない為に
セルが回らない
なぜにそうなるかは除雪機に燃料を入れるのは携行缶で買って来て自分で入れる為に保管状態に問題がありオーバーフローの原因になる
サイドバルブエンジンは構造上オーバーフローした燃料はエンジンには入らず外に漏れてしまう
オーバーフローでOHVとSVでどちらが危険かと言うとどちらも同じくらい危険なのだ
SVは外に漏れる事で早くに気付く OHVは中に入る事で処置によって一気に大量のガソリンが噴き出す。
バルブ交換で治らない事が多くもう高いが危ないのでキャブを交換するしかない


除雪機業界ではホンダとヤマハは両巨塔だが会社の在り方で除雪機ですら違う
ホンダは農機具を作っていて農機具は農家のとっあんがハンマーとモンキーがあれば自分で直せると思わせる作りをする
一方素人の使い易さも念頭に置いてるのか同じ会社なのに使い易さは群を抜くハイブリット除雪機とプロでも修理は苦労する機種もある
まるでひとつの会社の中にもう一つ会社があるのではないかと思うほどなのだ
ヤマハの故障が少ない理由は製品の品質で鉄板の厚さや強度も違い30年たっても普通に使われている一番はオーガー羽根でヤマハは曲がる事はほぼ無いが今期で販売は終了になる。
スノーモービルも販売終了になって2年が立ちカナダや北極圏の国では相当困ってると思う
なぜなら大雪原を走る時は故障の少なさは大事な事なのだから
世界のヤマハがなんでこんな事になってしまったのかと
半世紀以上両方のメーカーを見続けて思うのはホンダには野武士の逞しさがあり
ヤマハには何処か毛並みの良さを思わせる処がありその格式の高さが一介のバイク屋や田舎の鍛冶屋では付合いは難しいと感じる事は多かった。
俺にもっと資金力と毛並みがあったならヤマハを売り続けたと思う
確かに販売と利益に2/8の法則はあるが日本は上総介広常を始め野武士が主流なので大衆を忘れたらいかんと除雪機を見て思うのだが
孤高の除雪機と野武士の除雪機と両立しない事は世の流れなのかも知れないが競争相手を失ったものは滅びる。

野武士の食い物「道の駅 しもつけ」の幅広手切りうどんは美味かった。

うどん文化を考える

こちらに戻って来てまだひと月も立たないが
いつものパターンであれはどうだったかと思うともっと深く見たり味わいたいとまた行って見たくなる。
今迄は内地に行ってもラーメンばかり食ったが今回は最初に栃木の手切り幅広うどんが美味しくて
栃木や群馬お切込みうどんなどスーパーで買ってゆで麺を車内で調理して食ったが
帰って来てからあちこちのスーパーに行って、うどん麺を買うが気に入った麺がなく
北海道には、うどん文化が無い事がハッキリした
幅広ゆで麺でも価格は2食で100円くらいだが
うどん店で食うと北海道のラーメン並みの値段がするが北海道とは全然違う
これなら讃岐や稲庭うどんはどれほど美味いのかと思う
北海道ではラーメン屋や蕎麦屋はあってもうどん屋は滅多にないし
ナンチャラうどんチェーン店で食ってもスーパーのゆで麺を超えていない

内地はなんでこんなに味が違うのだろうと考えると
うどん屋や蕎麦屋の店主は白い上っ張りを着て袖には涙の跡がと
苦労してやっと店を持ちましたと言う感じの人が多いが
ラーメン屋は頭にスポーツキャップなどを斜めに被って
店が終ったらハーレーなど乗ってチョイと飛ばして来ます
みたいなヤサグレた感じの店主が多いし
ラーメンは中にカニが丸ごと入っていようが天ぷらやパイナップルが入っていようが
店主がラーメンと言うならラーメンなのだが
うどんや蕎麦で変わった具材はせいぜいニシンくらいで
うどんや蕎麦はシンプルさゆえに味に誤魔化しが出来ないので修行が大事なのかもしれない
山脈によって國境を決められた内地はそれぞれの伝統や文化の違いが食べ物に出ているのだと思う
それももうすぐAIやSNSとやらで搔き混ぜられて食文化も旅の面白さも半減されるだろう
稼業以外を知り過ぎて一杯一杯になるより知らない事が多いほど人生が面白いと思うので
旅も行き当たりばったりは面白い
食べ物に順番を付けるのもなんだが美味いうどんが又食いたい

 
日本工業大学博物館 蒸気エンジン
北海道では博物館でも蒸気エンジンを見る事はほぼ無い ここにも歴史の違いを見る

12431243153624153624

士農工商も回すとどれが一番かわからなくなるのだ。
1243や153624と聞いてわかるのは古い修理工で
デストリビューターやバルブ調整を頻繁にやった時代にはエンジンを止めた時に
何番ピストンが圧縮上死点で止まったかを確認しないと手順がまったく変わるので覚えておかないといけない数字なのだが
エンジンが快調に回ってる時は何も変わらないのでどれが一番などはあまり関係ない
エンジンも世間も絶えず回り続けているので、いま自分の立ってる位置も絶えず変わる
止まった時にどれが圧縮上死点、自分が止まった位置なのかが重要なのだ


日曜日に札幌に行ったついでに
ハッピーケバブセントラルキッチンで食ったナンが美味かったので
江別のここで昼メシを食った。
ここは最先端で注文から会計までスマホですべて終了する様になってる
日本人経営の店でも下手すりゃ~日本の金でも一切使えない店もある中で
スマホを使えこなせない俺に店の外にいたインド人かパキスタン人か店員かも
わからんオヤジが口頭で注文を聞いてくれて自分のスマホで注文してくれた。


出て来たのはチキンナンたらカレーで選択肢が沢山あり何がなんだかわからんかったが
適度な辛味らしい2の辛さで美味かった。
現金で払おうとしたら伝票も何もないので会計に苦労していた。

いま江別では外国人がドッタラコッタラでとニュースになるが
それは日本人対外国の有色人種と言う立ち位置だと思うが
問答無用で火を付けようとしたりユーチューブでデマを流す人達は
いま自分が思い通りに行かない位置で止まってる事を誰かのせいにしてるのではないか
それはひととして情けないと思うのだ
エンジンも世間もクルクルと回っている、生きていさいすれば
いつかいい立ち位置に付く時が来る
その時に自分に恥ずかしい事にならんようにと思うのだ。

士農工商士農工商士農工商工農士

毎日が忙しい 留萌の車検場が閉鎖になり仕方ないので自分で朝6時にここを出て
旭川で軽トレーラーの車検をして午後からは道の駅のそばにあるナンチャラアリーナーで船の免許更新講習

エンジンも慣性ブレーキがある訳ではないトレーラーなのに散々な目にあって
1ラウンドなのにやっと車検が終ったのは12時頃
軽自動車は日本独自の制度で特別民間法人の軽車検協会はほぼ日本車しか車検はしない
アメリカの普通トレーラーの強度計算をして保安基準を日本規格に合わせてから陸運局に持込み予備車検を沢山やって来たが
軽と違い普通車は外車も沢山あり取扱いを間違えると地方の陸運局では余す少々困った事になるが
軽車検協会にはない!事の発端は

 
これトングジャッキ、これは立てた状態で車検証記載高さまでジャッキで調整するのが正解なのだが
的場浩司似はガンとして違うと言う
走る時は使わないので折り畳み検査と言う
皆んなが集まりドッタラコッタラと言い出し今度は非牽引車から簡易で付いてる物までドッタラコッタラ言われる始末

 
この斜板は扱いはスキーキャリアやヒッチメンバーなどの扱いと同じになる簡易な工具で
外せる部品に入るが蝶ネジが錆びてるからダメで外せと言う
アメリカのトレーラーにこれをやったらトランプも怒る大問題になるのだが
俺はトランプと違い大人なので理路整然と反論する。


明治5年 富国強兵の為に殖産興業政策の代表例 富岡製糸場

日本の行政は基本的にはトリクルダウンで殖産興業を助ける為にある
その為に起業や企業には手厚く『特段のご配慮を・・・』と助けたり目を瞑る傾向にある
その結果がノースサファリやメガソーラーなどで特段のご配慮は明治からの行政の慣習でもある
何から何まで型もわからんうちに性悪説で見る事はギクシャクした世界を作り果ては密告社会を作ってしまうが
それだけに苦労は多いだろうが大方はいい方向に向かわせるのも日本の行政の手腕、器量なのだ。

最後は色々調べて誤りを認めてくれて車検は通過したがこんどは車税が未納だと言う
いまは納税証明は必要はなくオンラインで確認されるはずだが
役場に直接電話をして貰い確認が取れOKに
原因は軽トレーラーは型式類別区分が特殊で役場のパソコンに入れる事が出来なかったと言う
途中で気づいたらお互いに治す事を躊躇わない事が大事なのだと思う
旭川の的場浩司似の貴方勉強になりましたか?
昨年は役場からこのトレーラーの税金を取り過ぎていたと数年分戻って来たが
旭川480でも二輪車なので税金は安いらしい
本人さえ気付かないのに気付いた事が凄いなと思っていたのに

すっかり疲れて旭川道の駅で泊まり翌朝に帰る事に


旭川道の駅は歩いて数分の処に飲み食い出来る処が沢山あるので
全国的にいい道の駅と言える
それでなければシッコばかりに利用され地元に銭は落ちない

『回転寿司ちょいす』旭川神楽岡店はそんなに込んでいなくて
店員さんと適当に話をしながら食える店でいいのだ。
いい加減呑んだ処でタブレットで酒のコップを倒してしまった
すぐにお姉さんが来てカウンターを片付けて呉れたが迷惑を掛けたので
店員さんに反省写真を撮って貰った。
俺も土日だけだが飲食業の端くれとして使ったテッシュは必ず持って帰って来る。

この辺りの暑寒山系では羆に人が襲われたと聞いた事がない
すぐ傍の元舎熊駅周辺に出没していた羆問題は一定の解決を見た
そこにはたった一軒の店、セイコーマートがある
店のおばちゃんに羆が店に入って来たら『セコマカードありますか!』と聞いたら
『舐めってるんかい』と言われ店はグチャグチャにされるよと言っていたが
羆親子の親が先に駆除され残った子熊2頭が罠で昨日捕獲された
親熊を先に駆除するのは順序としては当然なのだが
親を失い食う物もなく数週間周辺を彷徨い続けた子熊たち
造船場が沢山あった船場町で舟釘を拾い、人造石油で鉄屑とコークスを拾い、
有楽トンネル界隈で酒瓶を拾い今も看板だけが残る雑品屋に持って行き買って貰い
大和田炭鉱でその日の暖を取る石炭を拾い担いで兄弟が待つ家に帰る
周辺を彷徨う日々を過ごした子供達が沢山いたのは
たった70年くらい前の事なのだ。
熊達に見てはいけない世界を見せたのか、食ってはいけない物を食わせたのか
それは命を持って終結となっていくのか


暑寒山系を浜益側から
この南北に40キロ、東西に60キロ四方に広がる山々には人は殆ど住んでいない
ここを北に超えた40キロ先にやっと人が住む処があり
熊問題も北海道と内地では事情は変わる北海道の山々は兎に角広いのだ
大自然を相手にシノギをして来た人達が多く住む舎熊の
セコマの兄ニーはどうなるか分からないが子熊は山に返してやりたいと言った
暑寒の山々にその器があるのかどうかはわからない
仕方ない、仕方ないと言う中でも僅かでも、
どうにかならんのかと思う気持ちを持つ事はあってもいいのではないかと

昭和40年前後の都会は返還前の沖縄県人や道産子が集まるアパートなどは沢山あった
言葉も通じないあきらかに違う人達が集まる事は当然の事なのだ
ましてや熊とは違う排除や隔離だけで上手く行く事などない
ひとの排外主義は人間とは言えない ひとには知恵もあり情もあるのだ
生まれ育った母なる国を捨て救いを求めて来た人達を羆の子に重ねてしまった。

20日夜間航路勝手に想像する

全走行距離1385キロ
後半は戻る日にちが決められた為に走り過ぎた
もっとゆっくり旅をしたいが田舎に住んでると階段など上がる事はなく
公共交通を使うには足腰が弱ってしまっている。
旅で一番の贅沢は歩く事で次が何処でも止まれる自転車など二輪車で
車が良いのは車中泊が出来る事くらい


暴露甲板を飛び越えて窓に飛沫が掛かるほどで先が思いやられる。

蛇を轢いた祟りか19日夜からの雨と風の大荒れで船酔いをする
それは見た目や他人の話より自分の五感のうち4感をフルに使い
必ず自分で納得がいくまで確認してから分解や仕事にはいるので誰が言ったかわからん事は信じない
ひとの噂や何国人などと一纏めにもしないのも修理業だからだと思う
それが船ではエンジン音やプロペラ音や振動やローリングに五感が敏感になって薬を飲んでも船酔いにもなるってもんなのだ。
欠航してくれたら遅くなる理由も出来るし新潟に一日居れるのでアチコチ食い歩きでもと
思ったが出航してしまったのだ。

船酔いは遠くを見るに限るので左舷通路の椅子に腰かけ外を見てるのだが
その通路には結構な人がいる
毎日が石を投げたら海に届く場所で生活してるので、海を見てもなんの感慨もないが
暇なのでこのひとは何を生業にしてるのか、何しに北海道に行くのかと勝手に想像する
この時期には北海道のスキー場で働く若者や北海道に戻る者などが乗り合わせる
俺のように雪駄に半袖は北海道に戻る人とトラックドライバーで
がっちり着込んでいる人達はこれから北海道に行く旅行者

通路にある椅子に座っていると3席ほど前に町内か何処かのサークルでも知り合ったのか
夫に先立たれたと思われる肉食系のおばさんと
前職はそこそこの地位で妻に先立たれたと思われる白髪でアイビールックを思い出させる
VANジャケット風の襟を立てた男性との古希らしいカップルが聞こえる声で話をしていた。
「私の年金は充分だけど冠婚葬祭がね~」と言っていたので夫婦ではない事はハッキリしている

やがて左舷に平甲板型船の明かりが見えると肉食系お姉さまが
「あれはロシア船でないの攻撃してこない」かと
アイビー男は船型が違うと言葉少なに返答していた。
ロシア船は貨物船でも三島型が多く平甲板型は少ない
それを知ってると言う事はそれなりの戦闘系業界人と思った。
「北海道に行ったら美味しい物を一杯食べようね」と言うが何処か上の空の様だった。
勝手に想像するには昭和の男は大方は先妻に未練タラタラで情も残している。
女は先立たれたら10歳は若くなるのとは違う
野郎の死に別れには後妻に行ったらいかんと昔の人は言ったし
熟年離婚はほぼ女側が言い出し野郎は渋々応じるのが多いらしい
そう言う事からアイビー野郎が夜の海に見ようとしたものは肉食系お姉さまとは全然違っていたのだろうと思う。
船旅は面白いのである。

20日小樽行乗船ザップンピュ~

携帯が出来た事で何処にいても稼げる時代に入ったが
何処にいても働く事になってシマッタ
新潟から小樽航路は月曜日は運休なので20日の新潟12時に乗船する為に急いでる途中で蛇を轢いてしまった
10月に道路に蛇がいる事が考えられないが祟りがなければいいがと思ったら帰り船は揺れて船酔いに

 
上越 質素な中華ソバだが280円は凄いお客さんはそこそこ入っていた。
青森のラーメンはも少し豪華かも
道の駅越後まで走って車中泊をする
 
幕府直轄天領地 出雲埼ここは炭で焼くサバが美味しく朝早くやっていたので買って食った美味い
 
出雲崎らしい店名
間口に税金を掛けた為に間口は狭いが奥行があるのは古くからある町の特徴
佐渡金山から取れた金を出雲崎に運んで北國街道を通り追分宿、横川、高崎、埼玉と金を運んだらしい
狙うなら横川かなと思った連中は多かったのではないかと思うが御用金盗賊で実際にあったいう話は聞かないなぜだろう
 
無事乗船出来た 出船優先だと思うが構わず侵入して法令通り右転舵 結構なうねりがあっても44ノットは滅茶苦茶早い
滑走型のボートが30ノットでいきなりエンジンが止まったなら海に叩きつけられる乗員はタダでは済まない
それが44ノットで走るのは凄いとしか言いようがない
明日朝5時には小樽に着く 何度も乗ってるが小樽行は苫小牧東とはまた違った乗客に一定の傾向があり勝手に想像すると面白いのだ

 
作家などと言う職業の人達は目の前に居る人を勝手に逃亡犯や捨てられた女にしたりと
好き放題に書くのでストレスなど知らんだろうと思う
特に船旅など密閉空間の豪華客船で起きる「ナイル殺人事件」アガサ、クリスティなどは相当性格が悪くならんと書けないだろうと思う
作家の特権で近所のイケ好かない奴などはモデルして書き巻頭で〆殺されたり男に捨てられたと書いてると思う

遠藤実記念館
歌謡曲も山の唄は「与作」くらいで少ないが海の唄は多い
さらに太平洋側は岡晴夫の「憧れのハワイ航路」くらいしか知らんが
圧倒的に日本海側の唄が多い
日本海側は「哀しみ本線日本海」から「津軽海峡冬景色」ザップンピュ~と
ひとは他人の不幸と苦労を喜び、ひとの不幸は蜜の味、私の耳はロバさんよとなっている
それが今までは聞くだけだったのが文明と共に加害者側にもなっていく
何事も加減が必要かと思いながら退屈なので船内探索に

19日千国街道

ひとり旅をする事は今迄の人生であれやってはいけなかったとかこうすれば良かったと反省と対策を考える時間がある
恥ずかしい事ばかりだが
山梨にも行きたかったが電話が来てシマッタので千国街道塩の道を通る事に
この道は春に日本海側を通った時に北アルプス連山に切れ目を見つけどんな生活があるのか一度通って見たかったのだ。

 
何処のお寺か忘れたがひとが沢山いたので武田ゆかりの寺かも
甲府や長野の連山は見慣れないせいか何か違う

 
きっと町自体の標高が高い事があるのだと思う
北海道でひとが住む標高の高い処は富良野老節布で標高およそ400メートルほどあるが住んでるひとは数十人程度と思われる
松本は標高およそ600メートルあり都会で普通に人々が暮らしている
その標高が高い事が景色が変わって見えるのではないかと思うのだが
一気に1000メートルを駆け上がるスノーモービルでは酸素が薄くなる為に途中でキャブ調整が必要だったほどなのだが そこに生活してるひとがいる
いまはEFIになり問題解決

 
回りの車に迷惑を掛けない様に高齢者マークを大町で買って貼った
首都圏に入る前に貼るべきだったが運転がやっとで店を探す処ではなかった。

 
上杉謙信が武田信玄に塩を送った義塩の塩街道 道の駅おたり
性格が悪い俺が思うには武田の槍や刀が錆びるのを期待したかも
塩の道は全国にあり冬になると歩荷と言われる人達が一俵60キロの塩を背負って数人が組んで冬道を歩いたそうだ。
何食ったらそんな体力が出るのか
冬の仕事がない時に30年以上モービルでチームを組み各地の山にある測量所や観測点に燃料補給や観測機器を運び続けたが
猛吹雪で閉じ込められたり滑落や落水したりとしたがひとりの犠牲者も出さずに終われた事は良かった
それぞれが集まるチームで学んだ事は大自然に度胸など危険を招くだけで自分の知力体力に沿った仕事するに尽きる。
登山家や冒険家と言われる人達は大概の場合は陰に数倍の人間がいる特にカメラマンはカメラを担いで先に登っているから登山家を撮れるのだ。


道の駅おたりここでタイムアウトになる

19日塩街道

 
ここは春に千曲川を遡る旅の続きになる千曲川支流の抜井川になる佐久穂古谷渓谷
ここに熊はいても乙女などいない絶対いない、
乙女の滝などと言うのはアチコチあると思うがないものねだりなのだ。
名称やスローガンなどはないものねだりの象徴で
中京ドヤ街の一角にあった正直屋のTシャツは一回の洗濯でヘソ出しルックになり
「余計な事を言わない男」は余計な事を手一杯言う

 
佐久は室町時代から続く篠澤家と言う豪商が殿様以上の力があったそうで現在もホテルを運営してるらしい
室町時代から500年も商いが続くのは家訓や教えが徹底されているのだと思う
考えようでは商人が納める地域はメンツと力を重んじる武士よりは庶民は暮らし易かったかも知れない
それでなければ500年も支持され続かない
自分自身を振り返ると拡大や売上重視でなくもっと丁寧にしておけば良かったと思う
メーカー品を売ってる販売店が集められる時は売上順に席順が決まり
それが競争心に火をつけて売上をあげる結果になったが
その席順を得る為に能力を超えたかなり無理な販売を続けて来た
当時のメーカー側にしたら椅子をずらすだけで売上あがるので可笑しかっただろうと思う。
経済売上優先競争から離れてみると投資資金も運転資金も要らない結果は借金ゼロになり
気持ちは考えられないほど楽になって怒る事も無くなった
逃げられた嫁さんや従業員にも苦労を掛ける事を減らせただろうと今頃になって思う。

18日国道299号十石峠

 
小鹿野町から国道299号線をどんどん進む旅籠か峠の茶屋かと思われる廃屋がアチコチにある
昔の木賃宿や峠茶屋は諸藩を跨ぐ情報交換の場所になり、その店主はひと方の人物だったと思われる
当然山賊もロクデナシも居ただろうが朝ドラのトキがどの道を通って女ひとり松江から東京に行ったのかとても興味がある
鳥取の貧農の出のおっかさんは離れ離れになる別れ際に騙す人より騙されるひとになりなさいと言ったが
旅の安全は儒教「五常の徳」や誰も見ていなくとも「お天道様が見てる」と言った教えが旅の安全を守ったのだと
英語などでこれらにピッタリハマる言葉はなんだろう
God is looking over youとも違うような気がする
「思いやり」がマナーとも違うし「誇り、矜持」がプライドともやはり違う日本や儒教独特の文化なのかと思うのだが
改めて日本語の大切さを知る

 
秩父小鹿野真福禅寺 ここから山奥に入っていくが途切れ途切れに集落がある
記憶ではセコンドギヤでなければ登れない国道は初めてで止まって車を降りると思っても
サイドブレーキは効かないので止まる事は出来ないほどの坂

 
それでもそのさらに山奥にまた集落があり何で食っていくのか不思議
ま~何処でも住めば都と言うのは本当だと思うが
平家の落人だろうがなんだろうが何百年もの歴史があると思うので田舎で余生をなどと移住しても慣れるまでは苦労するのは当たり前の話
北海道とは違い家々が大きく立派
増毛などはこれがひとの住む家かと思う様な小さなバス停より少しましな家はまだ沢山あるが
考えると周辺市町村の中でも増毛は小さな家が特に多いがそれが貧乏とは違うような気がする
なんでだろう
俺の家は13畳一間で台所風呂便所も納まってる、
趣味の旅行を取るか家を取るかと言ったら・・・

 
日本航空123便で有名になった上野村

 
国道299号線 十石峠 軽がすれ違うのがやっとなのだが物好きが酷道に挑戦してくる
大きな4駆からバイクそれもトライクまでがいる

 
俺はカメラマンにはなれない事がハッキリした
う~んあっちはナンタラ山でこっちはカンタラ山でと見ていたら下から赤いフルカウルでサイドバック付き大型バイクが登って来て砂利の駐車場に入って左にコケた
足を地面とに挟み起き上がる事が出来ない
ついうっかり大声で何やってるのだと言ってしまって階段を急いで下りたが着いた時に駐車場に居た
たった1人も加勢するがフルカウルは掴み処が無いので起こせない
大型バイクは自力で起こせないと免許は貰えないはずだと思ったが・・・・・
増毛の乗車切符をやりたい様な頭のそこそこの歳のオヤジは恥ずかしいのか緊張してるのか
一応大型バイクのインストラクターを持ってるので起こす前にチェンジをローに入れて起こさないと言うが聞かない
ニュートラルで起こすと勝手に走って行ってしまうしサイドスタンドを出したら後ろに引かないといけない
十石峠を無人のバイクが走るさまも面白そうだが
オヤジに手はここにと言いやっとバイクを起こし後ろに引いた
終ってからや~上から写真を一枚撮っておけば良かったと、
俺はカメラマンにはなれんと思った。
そう言えば何十回も船を曳航してるのに曳航してる写真は一枚も撮っていない