日本自動車博物館

 
大野を5時に出発して永平寺に向かい自動車博物館を目指す時間にして1時間ちょっとだが例によってアチコチ寄り道して着いたのは10時だった
 
日本最初の自動車博物館 創業者は前田彰三さんと言うから
加賀百万石前田家と何か関係あるのかと思ったが全然関係ないとの事だった。
莫大な資金が掛かっただろうに北陸の一企業が保持できる事も凄い
 
最初に所有し乗ったスバル初期型 チェンジのH型パターンが運転席側に動かして1速 助手席側に動かして2速と90度横向きだった
右のS4 当時の車はバイクの様にエンジンの上にガソリンタンクがある車が多くオーバーフローをさせると火事になる事もある危ない車が多かった
セルモーターは発電機と兼用でセルダイナモ方式が多く充電性も良くなかった

 
水冷4気筒クロスフローヘッド5べリングと先進的なキャロル 銀行員が集金した銭をシート下のトランクに入れて運んだラビットスクーター当時としては珍しいトルコン仕様
 
T360 軽でありがらDOHCで負圧可変バルブキャブ 右フライングフェザーは走ってる処は見た事はないが
この時代の面白さは定番と言った車はなく各メーカーが好きなように作った時代で面白かった

当時としては珍しい乗用車にディーゼルエンジン いすずベレル
エンジンは組む人によって走りが変わった エンジンを組んだ直後は固くセルで始動させる事は難しく始動に苦労をした
一番の原因はメタルの精度が悪くバックメタルを削って調整したが削り過ぎるとメタル打音などが出た
当時のエンジンは軸受けはボールベアリングよりメタルかブッシュが多く焼付いたり減ったりすると町修理屋でもメタルなど作ったり出来た
今では電卓で計算してメタル選択をするが手の感覚に頼った職人技が必要で組んだ者の技量が問われる時代だった。
 
ダイハツオート三輪 パワステも無くこれを操作する人は凄い腕力だった思う

アホで生意気盛りに事故の借金を返す為に稼ぎのいい会社に移って
毎日毎日同じ物を作り続け朝は手はバンバンに浮腫むほど稼いで借金を返した
後にさらに稼いで21歳頃に所有して乗った三菱デボネア
人生の最大の変り目を経験したがいい車も乗ったので今は動けばなんでもいい
様々な経験をさせて貰った名古屋や愛知県には足を向けては寝られないし
思い出すと恥ずかしい事ばかりで行く事は中々出来ない

亀山湯から居酒屋亀平に

美濃加茂市から郡上白鳥に行って九頭竜湖を通り越前大野を通って日本で最初の自動車博物館に初めて行く事にしたが

郡上白鳥から九頭竜湖までの158号線が冬季通行止めでいったん金沢に出るか敦賀に出て回れとカーナビには出るが1時間で行ける処がそのコースなら4時間掛かる
迂回路が必ずあるはずと探すが無い 九頭竜湖には小さな集落がありそこまで10キロほどの処で行く手段が無いのもおかしい
いったん郡上白鳥の道の駅に戻るがそれにしても山の上から車が下りて来るのはおかしい
また行くとE67号線があるではないか
なんの案内も無いのだがどんどん進む

 
158線E67延長工事中 案内が無いのはこの工事中が・・・ ロックフィル式ダム九頭竜湖
このコースを走ったので夕方には越前大野に着いた
何処かで風呂に入ろうと探した先がここ

明治35年創業で途中で建て替えてるとの事
横に廃材のマキを沢山積んでいた青いトラックで集めるのも苦労だろうに
入浴料大人490円 10円の事なのだが釣銭も用意せんならんのに500円にしたくないと言う強い意志を感じた
子供160円 幼児70円
こう言う主が進める店はきっといい店だろうと
番台の爺様にどこか居酒屋はないかと聞くとしばらくアチコチ探して

亀山湯と居酒屋亀平(きへい)このチラシを持って来た
亀山湯から聞いた言ったら何かサービスしてくれると言う
カーナビがあるなら行けると言ったが心配なのかチラシを持って行けと渡してくれた
まずは寝る処は駅駐車場にして居酒屋まで歩いて行くが
なんと以前越前大野に来た時にそばを食った久ちゃん食堂の隣だった
これも何かの縁と俺には場違いな店構えの居酒屋亀平に入る


入ってびっくり小上がりから椅子席と大人数で満席、中は普通の居酒屋だった
亀山湯から来たと言ったら椅子を用意してくれて座る事が出来た上にいきなりサービスですとズワイガニ半身を出してくれた
 
お勧めの越前の酒を二本呑んでフグ唐揚げやなんやらとたらふく食った。
タコ唐揚げ800円になぜか「たこ八郎」の写真が載っていた
たこ八と言うと太平洋戦争が始まった頃に当時の軍部に退廃と禁止された
高峰三枝子の湖畔の宿を替え歌にした「たこ八」の唄がある

きのう召されたタコ八が 弾丸(タマ)に当たって名誉の戦死
タコの遺骨はいつ還る~ 骨がないから還れない~
タコの母さん悲しかろ

いまのご時世は昔の替え歌と笑ってはいられない
亀山湯とコラボをした50代後半と思われる店主は「たこ八」の替え歌を知っていたのかも、
明治35年創業の亀山湯は日露戦争、日本ドイツ戦争、日中戦争、太平洋戦争と戦地に行く若い人達も湯につかっただろうに
俺が言うのもなんだが次の子供達や孫達に平和を手渡す為にも喧嘩腰にならず我慢辛抱も大事

株と物つくり


俺は株式すべてダメと言っている訳ではない
往々にしていい物を作る人は金儲けが下手でそれは仕方がない事なのだ
何度も何度も試行錯誤をして実験を繰返す それは高価なオシャカの山を作る事になってゆく
オシャカとはお釈迦様から来ていて海外ではスクラップにする事をサンタマリアと言う
どちらも神様仏様に頼む様になったらお終いと言う意味なのだ。

「 ここまでやったら壊れる事がわかった、うんうん 」などと喜んでいるのがいい物を作る人達なのだ
そんな人を理解して銭で応援、支援しようとするのが株の趣旨なのだ
それが現在ではまったく何もわからん奴が売った買ったと金を転がしてハゲタカのように儲けようとするから
長い先を見据えたいい物を作る会社は潰れて行く
その足を引っ張ってる投機連中は株を転売して稼ぐ究極の転売ヤーで株ブローカー
コンサート入場券のダフ屋と株投機と何処が違うのだ チマチマと稼いでいたダフ屋は食い扶持を取られ闇に潜る事に

株を公開していない製造業は沢山ある
ヤンマー、ヤマザキマザック、富士ゼロックス、シチズン時計、サントリー、などなど


物作りの本懐を遂げた山崎製作所創業者どうだこのドヤ顔

「銭は俺に任せてあんたは物を作りなはれ」と本田宗一郎に言った藤沢武夫、
トヨタには大番頭石田泰三と物作りを支える者達がいて初めて事がなっていく
これは国民を守る政治も同じだと思う金儲けがやたら上手で税金を集める自民党、
下々に気配りし税金を使う立憲民主党と
どっちが社長をやったらどっちかが番頭をせんといかんと思うのだが
10万円の商品券の争いに貴重な時間を使い続ける
その真意はやってる感を見せるセコい気持ちはないのか
そんな些末な事は場外乱闘でやってくれと、
そこが立憲が票を取れない原因では
三木武吉は懐にピストルを入れて国会に行ったと言う


国道158号線がなんのコッチャ冬季通行止め 国道だぞ~
新潟小樽航路は休みが多いので銭と時間の都合で日本海に出る事に

ヤマザキマザック工作機械博物館2

アメリカの工作機械メーカーが衰退した原因は大きく二つあり一つは投資家に短期の株価上昇と利払いを要求された事で長い先を見据えた開発と人材育成が出来なくなった事と
その苦しみから逃れる為か
もう一つは流通機構を無視してメーカーが直接販売をした事で売る物が無くなったアメリカの流通機構は
今までのお客さんが必要としてる情報を元に世界のメーカーに機械を作らせアメリカで販売をした事でアメリカのメーカーその物が無くなってしまった。
アメリカの自分ファーストが結局は何もかも失ってしまったのだ
アフターサービスも兼ねた流通機構はクレームのクッション機能も兼ね添えてるので
その地に住んでユーザーと同じメシを食わないメーカーではすべてをカバーする事は出来ないのだ。
これは機械に限らず食品であろうがすべてのメーカーに共通する事なのだ。
次世代に継がせるだけのマージンやシステムを無視したメーカーはいずれ衰退する事をアメリカの機械メーカーは見せ付け
日本でもあのメーカーがと思うような機械メーカーが倒産や撤退をしようとしている
どんないい機械もすべては感情を持った人間が使っている事を忘れたメーカーは衰退する事を
いま現在見せ付けられているのだ。

 
機関車実機もシリンダーは動き運転席に乗る事も出来る T-6実機スケルトン

腹減った~車中泊した道の駅「とよおか」を朝5時に出発してからここまで何も食べていないのだ
少し舐めていて豊田佐吉記念館の様な小さな木造家屋に先代の苦労を語る物がある程度と思って来たのだ
北海道ならどんな田舎でも郵便局と信号機があれば地元資本のセコマがあるが
新潟からここまでの路線はコンビニがないのだ
コンビニが無いのは地元店がやっていけるならそれはそれでいい事だと思うが
何も食べていないで この広い館内を登ったり下りたり何周りもして腹が減った~


ここには送りが10メーター汎用旋盤もあったが画像に入りきらないのでこれを

 
プラット&ホイットニー空冷9気筒 シリンダーやピストン、ホイルなど究極を目指す美しさがあり芸術と言っていい

思うに物を作るにせ、売り子をするにせ、働くと言う事はどんな分野でもそれぞれの分野で究極を追求してるのだと思う
そう思うと殆どすべての人は生きてる事、働く事が芸術家といっていいと思う。

博物館大好き男なので様々な博物館を見て歩いて思うに
展示物も変わり、説明書きも変わり、職員も変わる進歩もあれば後退もあるが博物館は生きている。
だから再度見ても発見があり飽きないで見る事が出来るのだ
その中でも事務所に座ってる人よりは毎日モップを持って裏まで隅々まで知っている人はほんと面白いのだ
モップを持ってる人に声を掛けると博物館が大きく変わる事うけ合いなのだ。
また来たいがもう事故を起こせば名前より先に年齢を言われる年代になったのでこれが最後だろうと
ここから何処に行こうか滋賀に行くか日本海に出るか悩んだが
実は今回だけは旅の行程を詳しく書いたのだが書いたノートを忘れてシマッタのだ。

ヤマザキマザック工作機械博物館

あちこち住まいは点々として来たが勤務先は3回しか変えていない
それも機械関連で本当は何かしら作る仕事をしてみたかったが乱暴な性格から向いてない事がわかって人生の殆どが修理業で
北海道に住んでからは半年も続く冬の端境期に様々な仕事をやって来た
いまでもこれはどうやって作るのだろうと見るもの見るものに思ってしまう
今回の旅行は各地のラーメンを食べる事と岐阜県美濃加茂にある
世界でも珍しいらしいマザーマシンの博物館ヤマザキマザック工作機械博物館博物館を見る事

 
左は足踏み旋盤 右は昭和2年制作ヤマザキ汎用旋盤

 
左はアメリカ製1921年 自動傘歯切り盤  右はベルト掛けフライス盤1927年ドイツ製
動いてる処を見る事が出来る
ここに展示されている機械はマザーマシンなので田舎に行くと今でも使用されている物を見る事がある

 
T型フォード T-6G練習機実機

アメリカには工作機械の父と言われる人が何人もいる
イーライ・ホイットニー、フレデリック・テイラー 、ヘンリー・モーズレイ、
ジョン・ウイルキンソンと

何代もの職人に使われる工作機械は寿命が長く一台買って貰うと次はしばらく無い
それなのに開発や制作には人を育てる莫大な資金を必要とし短期の利益は見込めない業界と言っていい
数秒で株価が変わるせっかちな株式投資と程遠い産業で
アメリカに6大工作機械メーカーがあったが現在は一社も残っていないと言う。
物作りと投機株は相反するましてやニーサだかなんだか知らんが
日銭を自分で汗も掻かず手を油で汚す事もなく
株で儲けようなどと言う浅ましい奴は自分で国を滅ぼしに掛かっているのだ
1988年公開のアメリカ映画タッカーを見るとその辺りがよくわかる


機関車の実物

地下に作られた巨大な博物館で出来たのは6年前と新しい
マザーマシンの精度が悪いと当然製品も悪くなるので温度差の少ない地下に制作工場を作ったのが現在の博物館になっている。
機械を作る機械を見る事が出来てそれはもうワクワクで

国道418号線

日本のマチュピチュらしい佐久は大きな街だった 街飛チュと聞き間違えたのかと思ったが
何も知らない俺には標高700メートルに大都会がある事は驚きで
スノーモービルで冬山資材運搬の仕事を何十年もやったが標高700メーターは酸素が薄い
この場所で車やバイクがEFIになる前に普通に使用出来たと思えないのだが
きっと人は粘り強く忍耐強いだろうと思う

佐久は車も多く通り抜けるだけでも大変で写真を撮ってる暇がなかった
佐久から諏訪に抜けるが標高の標識があちこちにあった。

人が暮らす秘境を探しに千曲川流域から天竜川流域に行く事に
距離にして約40キロこれは凄い事なのだ
信濃川は日本海に流れ込み天竜川は太平洋に流れ込む それは日本海側文化と太平洋側文化がわずか40キロで交差する事になる
この地域には表日本だの裏日本だのと言うのはおかしい両方のいい所どりをしてる旭川や富良野のような地域ではないかと思うのだが
さらに新潟から京都にまっすぐ線を敷いた地域は日本有数の機械工業地帯でもあり有名機械メーカーが点在しながら京都に向かい伸びていっている。


道の駅とよおかで車中泊
車中泊のいい処は夜明け前の一瞬の朝焼けが見る事ができ
町がこれから動き出すその前の瞬間が好きなのだ。

飯田市山本交差点 朝6時半頃 通る車に手を振り続けている
いまの世界の情勢を見ると何かしらせんとイカンとは思うが行動は出来ない
できるこのおじさんは凄いといったん通り過ぎたが戻って手を振り直した。


トンネルだけが立派な国道418号線を通り

トンネルを抜けるとまた道が狭くなる


国道418号線 上矢作 だいたい400番台の国道は全国どこもこんな感じ
ただ厳しい気候だけが理由だとは思えないがで北海道ではこの様な集落には人は住んでいない


国道418号線 モンゴル村 若い時は愛知を中心に工事機械関連修理をしていた時はずっと荒くれ飯場暮らしをして来たが
道路を作る時は先にトンネルを作り出た残土処理を兼ねて道路を作るのだが道が出来て便利になると人はいなくなる
新幹線で言うストロー効果なのだ。
様々な処に住んだが道が出来て便利さ豊かさと幸せはイコールではない

天動説と火焔型土器


昭和11年に初めて発見された鶏冠状火焔型土器のあちこちの説明書きには新潟にしかないと書いてあるが
新潟以外には無いとされた物が県堺をわずか400~500メーター超えた信州長野栄村堺で昭和46年に発見され
長野はよほど嬉しかったのか説明書きも詳しく書いてある
どんな関係か信濃川も長野に入ると千曲川と名前を変える何かの因縁があるのかも知れない


兵庫朝来 古代あさご館

稲の種を蒔く時期を知らせ雨乞いをした村の賢者が祭祀に火焔型土器を使いやがて権力を持つ様になったと想像するのだ。
弥生時代前はストーンサークルなどで暦を知り季節を知り種蒔きの時期も知った地動説が一般的ではと思うが
自分を中心に回る天動説それは日本だけでなく唯一の神キリストの世界も都合がよかったのではないかと想像するのだ。
やがて刀を振り回し権力を持った信越グループと北九州や山口などのグループが争い
勝った賢者が太陽の日もすべてが自分を中心に回っていると言い出し自分だけが神でこれからは日ノ本は神国だと
それは1945年8月は6日9日14日しかないと言われる8月まで続く事になった。


信越地方になり千曲川と名前を変えた流域を遡上し日本のマチュピチュらしい佐久望月に向かうが
どんどん関東が近くなるのだ一番近い処はわずか10キロ程度の山越えで関東平野に入ってしまう地域に入る。
言葉では難しいがなぜか空気が変わる
それは今まで慎ましく暮らしていた我が家の隣に超大金持セレブが引っ越して来た事を想像するとわかるそんな感じがした。

信濃川十日町市

いまや世界は弥生時代末期の状態に入ったと言っていい
縄文時代の出土品は生活に関連した土器が多いが弥生古墳時代の埴輪には刀剣を持った物が多くなり
刀剣それは誰かの不幸の上に自分の幸がある事になる
プーチンやネタニヤフ、トランプ 国内は兵庫県知事や元安芸高田市長やNHK党など
誰かを攻撃する事で自分の幸を手に入れようとする
他人事でも事故が起きた時に人は無事かと瞬時に思う
だが彼らは自分の直接でなくとも因果で亡くなった人がいてもカエルの面にションベンで
その状態は人格末期症状で、すでに人ではなくヒトデナシなのだ。


北方文化博物館と言うので見に行ったが伊藤家と言う滅茶苦茶でかい個人の住宅を開放してる
展示物は個人の取集した物で何が何だかわからんかった


新潟一番の大地主 宝暦13年から8代続いたが跡継ぎがおらず現在は市所有になっている。
何処かに誰か居なかったのかと説明お姉さんに聞くが兎に角真面目な8代目だったとの事
山の向こうは魚沼地方

本日の目的地 十日町市 通勤は雪上車かな?

普通は市まで言わないで札幌とか旭川と区切るのが
ここでは十日町と区切ると十日町は市ですと言い直される。
う~んよほど気にしてるのか
まずは居酒屋を探すが案内所で地図だけ渡され自分で気に入った処を探す事に
観光を重視してる町との違いなのだろうと思う。
適当に奥まった処の居酒屋「いっぷく」に雨だからか一人だった、お勧めを食って地元の話を沢山聞いて楽しく呑んで
十日町市は絹織物が盛んで買えば数百万すると言う絹の暖簾をよけて外に出たら
隣の「スナックPassim」が丁度シャッターを開ける処だったのでそのまま中に
秘境を探してるなら日本のマチュピチュ佐久望月に行けと言う
北海道にも佐久と言う地名があり町の雰囲気が何処となく北国ぽっかった事を覚えている
何処でも日本酒しか吞まないが新潟のお勧めは間違えない!
その後道の駅に戻って車中泊をする。
俺はヤサグレ感のある呑み屋が好きだが十日町市はどこも品がある店が多くかといって一見さんに冷たいかと言うとそんな事は全然ない

日本列島は縄文人に割って入った渡来人によって大きく変わっていった
それは大陸から対馬海流で流れ着いて福井から紀伊半島に進んだグループ、富山から濃尾に進んだグループ、新潟から信濃川沿いを進んだグループと今ならまだハッキリと違いがわかる。
そのひとつが縄文後期の信濃川火焔型土器なのではないかと思うのだが

新潟


3月11日新日本海フェリーあざれあ 小樽から出航
今回はホントのホントで内地旅行は最後になるだろうと思うのでアチコチ行きたかったが
雪のある所はもういいかと新潟か敦賀と思ったが予算の関係で新潟に決まり
夕方5時出航で新潟翌日朝9時に着き今は16時間で着く
今のフェリーはほとんどが一軸反転ペラを使うのでとにかく早いし揺れない
料金はドライバー込み24800円船室は最低クラスでも何も不自由はないが
最低クラスの部屋は乗船前にちょっとしたコツがありそれで快適に過ごせるかが決まる


新潟は道路がどこもかしこも赤茶けた色をしてる
融雪に使っている地下水に鉄分が混ざっているからで地球の3割が鉄である事を実感してしまう
その鉄が地球に磁力を生む元を作って
その磁力がコンパスを生み大航海時代になってゆく



火焔型土器は新潟で多くが出土してどこからでも出て来るらしく少学校でも普通に教え誰でも知っている
北海道では縄文土器はそこら中から発見されるがこれほどハッキリした炎型は見る事はない
実際の煮炊きにも使ったらしいがもし何らかの祭祀的な目的に使われたとしたら
縄文時代が1万6千年も続いたのは狩猟が主で土地に対する執着が無かった事が長く続いた理由と思われる
そこに農耕民族が大陸から渡って来た事によって土地に対する意識や季節や天候に左右され始めた事で
季節や天候を占う事に火焔型土器が使われたのでないかと思うのだ。
大型ストーンサークルも真中に柱を立てて太陽の陰を利用し季節を予測した年時計だったのではないかと思うのだ
そう考え始めるとさらにさらになのだ。
日本最長の信濃川流域上流を目指しどんどん進む

申告した

申告が終わった
沖縄本島より広い場所に人口が4万人程度の所に税務署が一か所ありいつも待ち時間が1~2時間ある
待ってる間にいつも思うのだが

一つ目は期日まで申告に来てじっと待つその人達はどれほど真面目な人種なのだと思ってしまう
海外ならきっと申告などしない国もきっと沢山あるだろうにどうやって年貢を徴収してるのかと
モンゴルやパキスタンなどは羊の頭数で問答無用で取ってるのかも

二つ目は税務署職員の対応が全然変わった
以前に売上180万の呑み屋さんの婆様が家事消費の事で責められてるのをまじかで聞いて
責めるこいつは鎌倉時代の地頭かと思った。
婆様が店で残った物を自分で食ったら家事消費扱いになるがそこまで言うなら政治家にどんどん行けって思う。
俺自身も休眠会社になってから自分で申告してるが一度だけ税吏の態度が悪く一言いった事があるが
今や待たせてすみませんなどと言うようになった。

三つ目は自営業は様々な実質的な所得控除がある例えば車などに掛かる経費は控除されるし家なども仕事兼用であれば控除されるなどなど
サラリーマンは問答無用でおよそ1割は天引きされさらに食い物まで消費税が掛かり通勤に使う車も税金が掛かる
稼いだ銭の3~4割は消費税など各種税金として納めているがそれでもサラリーマンよりは恵まれている
自営業や経営者は景気はよくなって欲しいと願うのは給料を払う為に当然と思うが
その為に自民党よりになってしまうが日本は圧倒的にサラリーマンが多いのに
あの手この手で稼いだり血税をゴマかしたりするのがお上手な自民党が第一党になる事は
サラリーマンはいい風に騙されてるのだ。

日本はやはり真面目な国民で「NHK党」や「躍動の会」などは為政者でも異端者でほんと頭は大丈夫かと
日本でよく暴動が起きないなと思う。
密かにどっちにせ先は短いので暴動が起きたら参加など・・・・