先週は幅1メーターちょっとの用水路を挟んだ隣にいた婆さんの通夜があった。
ここに来てすぐ全長14メーターほどの倉庫兼工場を用水路の横に建てたが
屋根から落ちた雪は用水路で溶けるので場所的にいいと思ったのだが
ところが融け切れなかった雪が用水路を越えて婆様の家の壁に掛かってしまい
「 父さんが生きていたらアンタなど生かしておかない 」と婆様は俺に言った。
ここはいろいろな映画のロケ地になった処で古くは三船敏郎の『ジャコ萬と鉄』や夏目雅子の『魚影の群れ』高倉健の『駅 STATION』や若山富三郎なども来ていた。
その影響とは思わないがイケイケ系の少々ヤサグレた漁師町ではあった
以前住んで居た炭鉱労働者と沖中氏の小さな街では俺は喧嘩に巻き込まれる事はなかったが
ここに来てすぐに身体を張った数回の喧嘩に巻き込まれやはり漁師町はレベルが違うなと思った。
雪は毎年降るしと悩む事に
雪は滅多には超えてはいかないが高さ6メーターから落ちる雪で振動はそこそこにするので例え雪が掛からなくても一人暮らしには家が押しつぶされる不安がある事はよくわかる。
揉め事の殆どはコミニケションの不足によって起きる事はすでに身を持って知っていたので
ヨイショに次ぐヨイショでコミニケションを取る作戦に出たが
婆様は14人兄弟らしく縁者が子から孫に曾孫とウジャウジャといてどいつもこいつもその名は西海岸ではちょいと知られたイケイケ系でヨイショ作戦は難航して行ったが
ここ崖下村に催眠商法が来て集落の老人殆どがザルや卵で引っ掛かった
これはチャンスと早速布団売りの一行を呼び説教して銭を取り戻してやって
婆様や爺様達には遠くの親戚より近くの他人と言ってやった。
それ以降はヨイショ作戦も軌道に乗り花や野菜を作るのが趣味の婆様から野菜や弁当を貰い快適な田舎暮らしが出来るハズだったが
今度は違うアニーや爺様や婆様の問題が起きて春夏秋冬が過ぎてゆく
葬儀で坊さんは婆様は私はここを終の棲家にするといつも言っていたと言った。
その言葉にここに来てよかったとグッと来た。
ここにはひととひとの暮らしがあった