ワ~ナ~


四国に一度は行って見たかったが四国で見る太平洋もここから見る太平洋もどっちにせ似たような海景色だろうと四国は諦めた
あと5年で野郎の平均寿命を越える俺が思うのは旅は道中がいいのだと思う

嫁さんに逃げられとうとう家族や子供と言うものを持つ事が出来なかったが
商いは銭と後継者こそ残せなかったがそこそこにやって来たと思う
ぱっと頭のいくない俺がいま思うのはこれからそこそこに食っていく商いをする為にはこれだけIT 化が進んだ今だからこそ
敢えて関わってくれた人達を家族、一家、ファミリーと思って顔を見て声を聞き、聞かせる泥臭い道を進むのもいいのではないかと思う
頭がいい連中は誰かが儲ければ誰かが泣くと言う株投機もいいか知れないが
所詮田舎の小商いをやっていくには「 なぁなぁのだきだき 」でお互いの利益が確保出来る商いがこれからさらに重要になっていくと思うのだ
すべては売る方も買う方も相手あっての商いなのだ
ブランズウィック、ラム、アソーシェーツ、ゾディアックなどとそこそこに商談をして来たがそれは人間臭い酒を酌み交わしての商いをして来た。

「 先生~係留してるボートが沈みそうなんですが~ 」とは手術で縫合中だったら手を止めさせるのも悪いので
幾ら緊急事態でも先生には電話はしないメールを打って終わりにする
どっちにせすぐには浜まで来れないからこちらで出来る限りの処置をするのが正解だと思う。
ITもいい物は使うが最後はやはり直接逢って顔を見て声を聞き、聞かせるに尽きる様な気がしてならない
長い商いの中には沈んで呉れた方がこや奴はスッキリすると思う奴も無きにしも非ずだが
実際には沈んだ方がダイバーやクレーン手配など後始末も大変なのでなんとかしてしまうのだが
家族、一家、ファミリー、袖振り合うのも何かの縁、と思えばこちらの精神衛生にも非常にいいのだ。


イワシ運搬船

青森の浜では船一艘買うにも「ワ~ナ~なぁなぁだきだきで」と価格交渉はこれだけで終ると言う。

皆まで言うな


早朝の釧路川漁港 毎年秋になるとサンマやイワシ漁に全国から釧路に集結する巻網船団


破れた網を修理してさやめている
若い漁師が多い何気ない一言二言の会話が楽しい


毎日イワシを食べる

川幅はおよそ200メートルしかない ここを船長70~80メーターある400から500トンほどある船がお互いに動きながら行会いをする
青い船は取り舵の左転舵の最中でその鼻先をかすめて緑の船が進む
船にブレーキは付いていない その船が相手船も動いてるのにこの狭い川幅でお互いの動きが阿吽の呼吸でわかるのがなんぼスラスターが付いてるとは言え凄い
海や広い現場では声が届かない相手が何をしようとしてるのか
どうして欲しいのか何をしたいのかを察する
「 兄弟皆まで言うな、言わせるな、俺の目を見れ 」が基本

足元にある暴れロープ一本で簡単に命が掛る現場を生きる若い漢達

海の傍で生きてると地上のぬるい仕草が気になってしまうのだ
車のウインカーなんの為にあるかと言うと相手に曲る事を伝える為にあり
自分の為にあるのではない
その為に早めに点灯させるのがいいので曲がる寸前に出したり
トンネルでライトを付けるのも相手に自分の位置を知らせる意味もあり出口に近づいた時点で消灯するなど法度なのだ

屈斜路湖は諦めたが気が済んだ戻ろう
ここは釧路河畔駐車場から右岸を歩いて数分下った道立釧路芸術館のすぐ傍にある。

釧路の夜


狩勝峠から十勝平野を見る
北海道の中心は札幌ではない十勝の農産物と釧路の水産物が北海道を支えているのだ。

あっち寄りこっち寄りと狩勝峠で昼になってしまって新得から300キロを離れた稚内に近い北の港から若き現場代人から一報が入る
これが修理業の辛いところで大半の故障やトラブルはいつ起きるかわからない
翌日の夕方まで来て欲しいと言う
帯広一泊予定を変更して釧路に直行して一泊し早朝に戻る事にした

今どきの海の工事会社は皆が敬語を使い誰もタメ口を聞くのを聞いた事がない
昔は潜水夫一人が綱夫など4家族を養うと言うほど高給だが
危険な現場は何かに付けて神経を使うのは今も昔も変わらない

帯広卸売市場で売っている好物のイカ塩辛を買って二階のふじ善で天丼か何かメシを食いたいのだが
今回は帯広の少々変わった名前の塩専門ラーメン屋で食す
北海道で鯛ダシラーメンは珍しい
俺にはこのラーメンは難しくて出来ない
自分で出来ない事を四の五の言うのは男として恥ずかしいのだが
そうかこう言うやり方もあるかと言う味でとても参考になった
今までプロの料理職人を使用して来た経験から
この店はラーメン屋だが絶対に和食か何かのプロの職人だと思った。
帯広に泊まって他の店も食べて見たかったが予定が変わり釧路に直行


釧路河畔駐車場で車中泊 24時間で1650円 トイレもすぐ傍にあり釧路に来た時は定宿


錦町で身体にドクを注入する

知らない街で一人呑む時は
何処に通されるかで自分の見た目の格付けが決まる場合があるので自分が試される場でもある
場末の薄ら暗いスナックなどはカウンターの端にヤサグレた風貌の客を座らせるとお客さんは嫌がるので比較的明るい場所に誘導しようとしたり
誰もいない店にはお客さんは入りづらいのでドアを開けたすぐ傍には見た目のいい客を置いたりなどなど・・・・・と
果たして俺が案内された席は・・・・・・
ひとが呑んで遊んでる時に働いている人に面白い話を聞かせ笑わせてやって歌ッコ聞かせてと
翌日は早朝に行きたい処があるので一軒で〆る。

いざ十勝に

仕事も一段落したので山陰から瀬戸内に行こうかと思ったが気力が出ない
それで釧路から屈斜路湖に行って見ようと富良野経由で出発

西達布市街地


ここでおばちゃんから落葉キノコと他を買うキノコ採りは好きでよく行ったが今は等々買って食う様になってしまった。


価格の安定したコメを作る事が出来ない土地で葉物農家が多い地帯

ここに来ると思い出すのは日の出と共に起きて手元が見えなくなるまで働いても甘い物を買う事が出来なかったと言う一家は
スイカの出荷が終ると売る事が出来なかった傷物のスイカを爺ちゃんと家族総出で畑から集め大鍋で煮詰めて甘い甘いスイカ蜜を作ったと言う

皆を愛し皆に愛される子と書いて愛梨と言う
家族はとうとう離農して札幌の何処かにいるらしい今頃何処に居る事やら

農家は朝から晩まで一家総出で働いても一人当たりの時給は200円程度にしかならないと言う
ここに来る度に思うのは
北海道の商人は生産者と消費者の等価交換の手伝いをする為にいるのではないかと

春まで休業


半年間土日だけやったラーメン小屋が6日でやっと終わった
今年は殆どの食材が思いっ切り値上がりした事で600円を維持する為に一人で店をやったが


それ以上の大問題が
海水温の上昇で内地のホタテが全滅して内地からの水槽付きの買付トラックがドンドン生貝ホタテを買いに来て地元では希望する大きさのホタテを買う事が出来なくなってしまった。
貝柱の体積は最初に使ったホタテの半分程度のものしか手に入らなくなって
来年はホタテラーメンが出来るかどうかわからなくなっている。
折角遠方から来て貰って味が落ちガッカリさせるのは申し訳がないのだ。
買付トラックも一回の運行経費は同じなら良い物を運ぶの当たり前なので地元にいい物は残らないのも仕方のない事なのだ。
いい物は売って残り物を食うのは商人の宿命


最後に賄いラーメン

醤油ラーメンは好みの問題もあるが自分の好みに少しはあっていると思う
600円は専業でやってる方には申し訳ないが本業がある事と家など設備も償却資産でやってる事と
ラーメン代が地域の最低賃金を超えると家族四人が父ちゃん半日働いてラーメンをやっと食えると言うのはラーメンではないと思っているので600円は守り通そうと思う。
問題は一人で出来る今の入り客数を越えてしまうとパートさんを頼まんといかんが人件費が出ないので一人でやり通す為の対策が必要になる
長ネギは高いので玉葱オジサンから貰った玉葱を使っているしチャーシューは安い鴨肉燻製を使っているので食っていくだけの最低限の暮らしなら出来る
一家で海になどと考える前に選択肢としてラーメン屋と言うのは証明したと思う。


ここに来てくれた殆どのひとが丼や皿を下げてくれる感謝感謝

食い終わったらラーメン代はカゴに入れて貰うこのシステムはレジも高いと言うのは表向きの理由だが
ほんとうの理由は修理業と言う本業と関わりがあり
修理業は品物を渡す商売と違い信頼があって商いとして初めて成り立つ
分解して組んでしまった物は本当に何があったのか部品は本当にダメだったのかと言う事を依頼者は確かめる術がない
それなのに仕事が終ると確認もせずに振り込まれて来る
100均で買ったカゴは今度は俺が相手を信じてみたいと言う印なのだ
野生と本能だけで生きて来た頭の悪い俺が断言できる
頭がそうとう良くないと人はダマせません 地道にコツコツと敵を作るなが一番

ホタテ塩ラーメン探索の旅に出ようと思う。

弱い犬ほどよく吠える

今回ばかりは何が何でも高市早苗が総理なる事を阻止する為に俺も自民党員になって反対票を一票入れようかと思った。
好戦的な高市早苗はロシアやイスラエル戦争から何も学んでいないのか
その辺の市井の小さな喧嘩でも一度手を出した時点で喧嘩する事自体が一人歩きをしてしまいドンドン大きくなっていく


どっちもどっちだと思うが組の会報で公然と安〇〇三を非難したナンチャラ組の縄張り駅裏

ロシアやイスラエルの戦争を見てこいつらバカなのかと思っているが
出来る事はロシアやイスラエルの不買運動や冷たく扱うしかない
ロシアにはドルークはいるがイスラエル人はまったく知らない
その為かイスラエルにはいい印象は無いしWW2で酷い目に遭っても今度は隣人の女子供を殺戮する様を見ると
やはり世界の嫌われ者なのかと思ったりする誰にでも嫌われていい事などほぼないのにだ。

さらに国同士あっても好戦的な主張をする奴は遠吠えなのかも知れないが危なくて安心して商いも出来ないし近寄る事も出来ない
その代表格が高市早苗なのだ
お~お恐れを知らずに言えば女は感情で物を考える事が多いと思う
野郎は感情で走ってその結果を身体で知ってるので一息呑む事も知っている

ニュースを見て野党が新内閣を口汚く一斉に攻め立てるが足りない処は補って共にこの国をやって行こうと言う姿勢が見えない
それが相手を責め立てる事で自分の立場を守る風潮を生んでる要因になってる様に思えてならないのだ。
揉め事を少なくするには立場や力が強い者が先に頭を下げるのがいいのだ。


上野国立博物館 人の獲った物を欲しがり吠える犬

弱い犬ほどよく吠える。

ラーメン小屋


そこらの余った端材を集め自分で作ったラーメン小屋での営業も
冬の準備が間に合わなくなってしまうので今週の土日で今年の最後の営業になる。

東日本大震災に支援物資を運んだ時に瓦礫の中でバラックで作った店が多数営業していたが夜になってその店の明かりが灯るのを見てから
商売とは通りに細々とでも明かりを灯し続ける事なのだと知った。


冬準備の点検作業

自分で売った物以外は仕事を断りだいぶ減らしたが冬の仕事が始まり毎日が忙しい日が続いている
除雪機の走行ベルトを交換するにのにも下からベルトガイドを外すさないといけないので持上げて下に潜って作業をする
これが屈むにもラーメンの食い過ぎで腹が出て屈めず結構大変でいっその事時間が掛かってもバラバラにした方がやり易いかも


電磁クラッチ付きのベルトは長持ちするが一番奥のオルタネーターのローエッジコックベルトは意外とダメになり易く明るい処でよく見ないとわかりずらくさらに交換も大変


これから雪が降るまでに次々と同じ作業の繰返しで飽きて来る
なので途中で10日ほど長期休みを取るのだが今年はなぜかワクワクしながら行きたい処がないのだ
なにか無気力と言うかおっくうになっているのだ。

あちこち行ったが日本列島を岐阜を境に西と東と分けるが空気も違うのだ
電気の周波数も変わるが西と東では工具のアタッチメントが違う物もあり戸幅や一畳の広さも違う
その違いが他所から行くから気付き面白いのだがネットなどの情報過多でドンドン無気力になっていくのかも

寅と翼

俺は9月の初秋が一番好きな季節で海も一年で一番澄んだ色になり山には食い物がなる
その一番好きな9月に次から次とこれでもかと色々起きていた。

寅と翼を毎日見てその時代にはそうだった思う事があって引き込まれて見ていた
昭和31年には「もはや戦後ではない」と誰かが言ったが昭和38年秋の初めの頃に北海道から名古屋に汽車で二日間掛けて行った時に上野駅から東京駅に乗換の上野地下道を歩いて移動した時に浮浪者の様な人達が地べたに沢山座り込んでいて
その投げだされた足を踏み付けないように避けながら歩いた
名古屋駅に着いて名古屋駅裏にあった人の背丈程度のバラック群を見た時に受けた衝撃は今でも忘れる事は出来ない
何をもって もはや戦後ではないと言ったのか言った者は何を見ていたのか

愛知県は多くの戦闘機を作った地で十代の航空機関兵を戦地に大量に送り出した地でもあったが
昭和38年はその元航空機関兵がまだ40代にもならずにそこら中に居た時代でもあった
一夜にして価値観がひっくり返り矛盾と暴力で生きて来た帰還兵は
今でいうPTSDだったのだろうと思う その人達の中に混じり暮らす羽目になった俺は
その結果は推して知るべしだった
そんな事を思い出しながら寅と翼を見たが大筋はそれほど変わっていず時代を忠実に再現してると感じた。
ただこれは少し違うなと思ったのは当時の法廷で裁判官も弁護士も誰も風呂敷包みを持っていない事だった
あの風呂敷包みには観念させる迫力があった


太閤通り

病人は職責を全うしようとする病院やスタッフにその病をかわりに置いて来て病から解放され
犯罪者はその罪を関係者や周辺者に置いて来て立ち直って来たが
置いていかれた方は何倍もずっと引きずる
犯罪に時効はないのだ

三大観光資源

留萌で定例会があって呑んで道の駅で泊まって朝帰りをして来た
あちこち旅して思うのは留萌の道の駅は歩いて数分の処に飲食店やコンビニがあり
こんな立地条件のいい道の駅は少ない
自治体が維持費の掛かる道の駅は何の為に作るかと言うとそれは地域の為に誘致するのであって
車の利用者だけの為に作るのではない
誘致する事で地域の活性化や商いになると思って誘致される
それが地域に銭が落ちないで唯々トイレを使われで終わる処は各地でも閉鎖に追い込まれている。


3年前に行った十津川村道の駅で食ったうどん

道の駅も町(まち)の為になると思うから誘致したので
町の為はそれは町の民の為になる事が大前提で町の民の為にならないものは要らないのだ
他所から来る利用者側もそこが大前提で有料であっても利用者は気を付けなくてはならないと思うのだが
それはここにある町営のマリーナーも同じで漁業生活者と同じ物を釣る場合はなおさらなのだ


紀伊半島尾鷲 おとと
ここは尾鷲物産と言う水産会社がやっていてメシ食うも並んで順番を待ってやっと食える
民間の店でもそこの店を目当てに人が集まるならそれに越した事はないし失敗こいても民営なら税金で救済しなくてもいい

観光は食い物、人、景色がほぼ三大要素で景色は一度見たらいいかなとなるが
食い物は魚の様にエサに釣られて何度も行く
今年の春は香川にうどんを食いに行く気になったが時間切れで断念したのだ

次は人で面白い人がいるとそれも何度も人を寄せる
ひとを寄せる席と書いて寄席と言うくらいでひとも重要な観光資源なのだ
旅先で普通のひとと一言二言かわすだけでその地の印象ががらりと変わる事は普通にあり
それだけひとは大事なのだ
三番目の景色や景観は
廃墟をわざわざ見に行く人もいるくらいで時勢や人の心境でも変わり何かの意味付けをする事で有難がる事もあり
景色や景観は騙す別刈には義経洞窟 積丹には弁慶岬と

永く人を集める事が出来るのは誘致に数億円かかるらしいモンベルより食い物で
留萌に思うのはやはり海産物だと思う
網走の道の駅は何を食いたいと条件を言うと案内嬢が数十軒ある店のカタログから選らんでくれる

いっその事 留萌道の駅の前にある東船溜まりを網で封鎖して定置の魚を掘り込んで海の釣り堀でもやったらコスパもよく人は来ると思うのだが
世話になった留萌のひとにはよくなって欲しいと思う

わけて貰う

土日ラーメン屋が
予定仕込み数が土曜日で消化してしまい日曜日は1時間ほどで終了に追い込まれてしまった
海の町なのに生きたホタテが足りなく当日買い足す事が出来ないのだ
仕込みを事前にもっと増やすべきか悩んでいるが食べれる物を廃棄も勿体ないお化けが出そうで怖いし
これを乗切る事が出来ない事が素人営業だと思う
あと10月6日までを営業したら例年通り長期休暇を取って再度呉か山陰道か東北か道内か悩んでいるが何処かに行こうと思う


美方郡新温泉町久谷字桑替周辺

いわゆる観光地に行く事はあまり無い俺は仕事以外の旅の考え方は
「 わけて貰う 」普段のその地の風習や生活をそっと見て わけて貰うという思いがあり
その為にはよその文化圏から来た者が主(あるじ)ではない
面々と続く歴史が長い内地など山ひとつ超えただけで建物の姿や瓦の種類も全然違ったりする 何故にそうなのかと思うと面白いのだ
そこには外から来た一見さんはお客さんであって その土地の主人ではない
そのお客さんを迎える為に地域の容量を超えた施設を作って廃墟と化してる温泉町などは多い

そうならない為にもあくまでもそっと覗かせて貰う お邪魔させてもらうが旅人の本来の姿なのだと思う


大釈迦村

そろそろ歳なので道内も再度と思って地図を見ていたら意外な事に一度も行った事がない町が近くにあったので先週行って見た
その町は雰囲気がどことなく小奇麗で富良野に似ているが富良野とは距離にして約50キロ離れているので内地であれば他県と言っていい
道の駅はあるのだが駐車場は何処にあるかわかりづらくあちこちに分散してあり離れた場所に止めて歩いて道の駅に戻りバス待ちしてる婆様とクッチャべる
「 昔は食べる店も沢山あってバスももっと本数があった 」と言う
その駐車場の狭さも受入れるのが旅する面白さなのだ

道の駅の向かいの小じゃれた食堂に入るが開店と同時に満席なってしまい蕎麦食ってもゆっくりも出来ずにオートマチックに外に
その後 ナンチャラ言うアウトドアの店を覗く
想像にするにはアウトドア用品を持ってるだけで満足する層と実際に使う層に分かれると思うが
装備の不備は命に係わる雪原や海などで稼いだ俺には秀岳荘のほうが用品は優れていると感じた

華美を排除して機能を突き詰めるとひとつの美となっていくのは機械物でも同じで
その差が航空機と車の違いなのだと思う


ローラン

そんなこんなで町にもその土地に住むひとの生活を極めた事による機能美を持った町が心を引くので
俺は海がある町に豪華廃墟プールを作った留萌にモンベルなど早晩廃墟と化すと思っている。
どうしても作るなら留萌駅を解体せずにそこに各種店を誘致がいいと思うのだが
さ~来月は何処さお邪魔するべ~