令和米騒動

以前一緒に働いた仲間に農家が二人いた事と今はNさんのお陰様で米を最後に買ったのはいつだったか忘れるほど米を買った事がないし来年食う分もある俺が言うのもなんだが

米問題を重量で考えると60キロで3万とすると普通に魚でも野菜でも60キロで3万で買える商品は少ないと言うか記憶ではほぼ無い
安いジャガイモでも1キロ800~1500円はする
さらに食べ物以外の商品でも中はほぼ空洞の洗濯機でも重量30キロで3~5万はする
350キロある船外機は420万する。
米は価格に対して輸送コストの割合が高い商品と言う事になり
その米をアチコチ移動させる事は無駄が多い事になる
まさに米ほど地産地消をした方がいい商品と言っていいのに移動させるのは何が或のだろうと素人は思ってしまう。
60キロは成人一人が一年で食う重量で1日3食で米代は1日およそ83円前後になる
それが高いとは到底思えないのだが
それより米が足りない事が問題でこの米騒動は米流通過程に色々問題が隠されている様な気がしてならないのだ。
随意契約を言い始めると今度は精米所が足りないと言い始める
今まで順調に市場に白米が出てたのに精米所が足りないと言う
米不足で精米所の倒産が急増していたなら不足はあっても仕方ないが
あれ~それは滅茶苦茶可笑しいのでは
誰かが価格が安いコメが市場に出回る事を阻害してるような気がしてならないが
この状態は投機株取引と似ているが株はただの紙で今は電子データーで買い支えてなんぼ有っても保管も流通も困らない
だから素人でも簡単に手を出してしまうが流れを変える事が出来るほどの資金力を持った者が勝つのは自然の流れなのだ。
それを上回るほどの情報力と明察力がなければ素人は損をするのは当たり前なのだ。


新潟伊藤家
米は風通しのいい場所に保管され壁に直接付かない様に米倉は二重壁になっていた。

米は湿度温度ネズミなどの対策をした米専用の保管倉庫が必要で何処にでもある訳ではない
が~北海道はそこら中にある
その北海道が今年は肌感覚でやたら水田に水を張っているのが多く感じるのだ
ただ救われるのは倒産してしまえばタダの紙切れになる株や誰が考えてもおかしい1637年のチューリップ・バブルと違い米は日持ちし実際に食える物なのだ
この騒ぎによって末端の米農家は救われ邪な考えで食い物でぼろ儲けを企んだ者は10月には痛い目を見る事になるだろう。
自分の手を土でよごし汗を掻いた者が生き残る事を証明する秋がもうすぐ来る。

 
北空知北竜案山子

話は変わるが定価がある商品が市場に出て売れ始めると簡単には値上げは出来ないので卸価格が変わったり取引条件が変わったり小売店の選別などはよくある事で
さらに生産調整をして市場に不足感を持たせるのはメーカーの常套手段なのだ
魚組にせ農協にせ各組合は組合員の為にあり問屋も必要な物を必要としてる人に届ける流通業の真骨頂を試される時にある
欲を掻くと大損するのはバブル崩壊でも証明したが古来からの商いの定め

算数2

算数が出来なかったので殆どを感覚だけで生きて来たのだが
エビ祭りはここの道路は通行規制が掛かり暇になるのでラーメン食いに来た悠の字に算数を教えて貰った。
かなり理解出来たが0をどう解釈するかが大問題でまだなんかシックリ来ない
算数が凄いなと思うのは無駄を無くする事が出来る事で無駄の塊のような俺になったのは
ひとえに算数が出来ないからだと思う

 
大和ミュージアム 91式射撃盤
大きさは縦4尺ほど 昭和6年に艦砲射撃をする為に愛知機械で作られた計算機
動く物に対処する時は相手の動きを予測しさらに自分も動いているので両方の動きを計算する必要があり最初はこれで計算して敵艦に試し打ちして当たると打ちまくるのだが
試し打ちなどかなりの無駄があり搭載してる弾も限りがあるので無駄に先に気づいた者が勝つ
時代はすでに航空戦に

一発勝負の月行きロケットは闇雲に満月のウサギを目掛けて打ち上げていたら
月も地球も両方動いているのでいつまで立っても月に着く事は出来ないと思う。
ロケットを打ち上げて一発到着させてしまうのも算数あっての事と思う
その優れた算数技術の現代においての米騒動は誰かやましい邪悪な心掛けの者がいるからだと推察するのだが
いまの時期は峠を越えていっかた空知平野の沼や川に魚を見に行っているが
感覚だけで生きて来た野生に近い俺は米生産地帯の空知平野を峠の上から見て思うのは10月に米は大暴落すると思う。

算数

最近パソコンを開くと暗算が表示されるのでついやってしまう
実社会では掛算と割算のどちらが多いかと言ったら
6尺材から4尺を取る場合は12尺材を使った方が無駄はなくなるなど圧倒的に割算を使う事が多く
掛算は数字の配列に関係なく答えは同じになるが割算は配列の後先で答えが違う
割算を簡単にしたモノが分数だと思うのだが
算数をやると面白くて紙とボールペンだけで考えるのだが夜も寝れないほど色々考えてしまった
1/2×1/5は0.5×0.2だと思うのだがこれを1メーター四角の土地で考えると
1/2は50センチで1/5は20センチだと思うのだが、なんで掛けたのに0.1と土地面積が減るのかわからん
他のものはそれぞれの考え方や経験で答えが違う事はよくあるが算数だけは誰がやっても答えが同じなのが面白いが
俺がエジプトに生まれていたなら算数の見本のようなピラミッド作りに何も考えるなとムチでバシバシと叩かれ10トンもありそうな石を押してる側だろうと思う。
現代に生まれよかったぜ~
丸暗記や与えられた情報を鵜呑みにする事はそれは何も考えるなと指示する側とされる側になり
いまのスマホも使用料の銭だけ払えあとは何も考えるな思うなと使わせる側と使わせられる側になり
スマホの使い過ぎはアホになると
もしもう一度生まれる事があったなら食う為に鉄屑や空き瓶ん拾いで中途で終わった義務教育の小学生をやって字と算数を習ってみたいと思う。


それにしてもこの何不自由ない時代にわざわざ他の国に行って戦争する意味がわからん

謙遜,謙虚と卑下

謙遜や謙虚は明日食う米が米櫃に入ってる時に出来るのであってガザの様に子供達が今日食うメシも無い時に謙遜も謙虚もヘッタくりもない
不幸な状態に陥った時に誰かを呪うか、そこに生まれ落ちた自分の不運を呪うしか明日を生きる力が無くなる
誰かを呪う事はそれは相手が変わって呉れるか、変わらない限り自分には目が出ない事を意味する
そんなものは待っていられないから自分の不運のうち何か変えれる事、やれる事を探した方がいいのだ。
己の何が悪いのか人様より何が劣っているのかと己を卑下してどん底まで落とし込んで
そこから這い上がる
職人と言われる人達は理屈はわかっても手がその通り動かない事を知っている
出来る人と何かが違う事を認めてそこからまだまだと厳しい修行を続けていく
その中で卑下が生まれ卑下と卑屈は違う

花井組はなんか変だなと思ったら蹴られた方は社長の妹の甥らしい
親戚筋を仕事場に入れると周りはそこらの小僧っ子とはやはり扱いは違う
さらに血筋が繋がってると思うと自分の意を酌んで呉れるのではと過大な期待をしてしまう
その両者の大きな違いに苛立ちを覚えるのはよくある事なのだ。
回りの人間には最高の連中であって欲しいと願うのはどの経営者も同じだと思う。
その落差がつい怒りとなって手や足が出る事もよくある事で その程度は職業柄が出るのもよくある事なのだ。
浜では船が岸壁にぶつかりそうになると漁師の母っかさんは父さんに
「 ひとの傷は治っても船の傷は治らんぞ 」と怒鳴る
危険な現場ではいまそこにある危険に優しい小さな声などない
聞こえない優しい返事は返事ではない


自分の事は棚に上げてノコノコと画像に出るナマな御身内には他の若い衆に示しが付かない
お仕置きを
暴力反対~

暴力反対

最初に言っておくが俺は暴力反対で暴力などイカンと思っている


俺も魚の飼育が趣味だが出来るだけ小さい魚をその辺りの川や沼からタダですくって来て大きくするのが
面白いのさ何時間見ても飽きる事はなく
地図を見てこの地形にはこの魚が居るかもと想像して自分で川や沼に採取に行く
推理が当たるも外れるもそれが面白のさ


いまや何処にでもいるニジマス 最初は何かわからん2センチほどの稚魚が大きくなる

川カレイ地域によっては沼カレイともいい河口や海にも大量にいて網に入ると廃棄される
最初は3~4センチほどをすくって来て育てるが川でも採取地域によっては淡水水槽では育たない

錦鯉を飼育してる花井組が話題になってるが四半世紀前には普通に何処にでも存在する会社だったと思う
ここからは俺の勝手な推測
ニュース動画を見ると幾つかの違和感がある
1 動画流失した経緯が何となく不思議そこにカメラがある事を誰と誰が知っていたのか
カメラに聞こえる様に泣いてる様にも感じる
2 傍に居た連中は止めようとしていたし後ろで羽交い絞めにしてるのは自分の手で守ってる様にも見える
3 被害者と加害者は普通の関係でないように見える もしかして協力雇用主かも
本気で〆に掛かったならもっと違った展開があるような気がしてならない

花井組は三笠で昭和14年創立とあるが三笠と言えば北海道大炭田地帯で北炭の幌内炭鉱、幾春別炭鉱、住友の奔別炭鉱があった旧産炭地
幌内は昭和50年にガス事故で坑内に仲間を残したまま注水をした その悲痛な経験は言葉などでは表す事など出来ない
ここでも船火災で防火壁を閉じる事故が起きてるが残された家族や助かった者には掛ける言葉はないし
どんな言葉も軽い上滑った言葉になってしまう
その思いは常人には決してわかる事はない

その後幌内炭鉱は平成元年に閉山している
いまでも奔別など炭鉱立坑櫓を見る事が出来るが奔別は人影を見る事のない街と言っていい
漁師や港湾工事の潜水夫や炭鉱夫もDNAなど無かった時代に何ヵ月もたって発見された時に自分を識別して貰う為に肌に印(いん)を付ける事は普通にあった
いまは公共事業は入れ墨があると現場に入れないので入れ墨はしなくなったが潜りの潜水夫はイニシャル入りの指輪などをしている
それは事故があった時に嫁や子供達に早く保障が降りて家族の生活が成り立つ様にと願っての事なのだ。
危険な現場で働く者達の入れ墨には家族を思っての物も多いが昨今は見せる為の入れ墨となって意志の弱い自分を守る為の文化として残り続けているが
痛い思いして入れた墨入の社長はまだ修業がたりんが
花井組は子供達に絵本を318冊も寄付してる絵本たって高いのだ 安く見積もって1000円としても31万円
何処かの知事の様に死人を出さないだけまだマシ
これから大変な時期を迎えると思うがもっと修業して己は卑下し社員を守るのが男の覚悟

青い鳥


やっと連休が終わった
営業時間の午後3時過ぎたらその場にいる人達とお決まりのたわいもない宴会

土日だけの十人も来てくれればいいと言うラーメン屋なので月曜には食材の廃棄をする為に余分なスープや食材用意は難しかったが
今年は祭日4日連チャンでラーメン屋営業を初めて出来て一定の評価も貰った。

なぜ4日営業が出来たのかは
それは町内に行列が出来る麵屋田中商店があるので初めて食いにいって
そのシステムやローテーションを見てから連日営業が可能になったのだ。
今までラーメン屋の経営を何店かやったが俺自身がラーメンを店頭で作りお客さんに出す事はあまりなかった
それが本業の終末期に来た事とラーメンを値上げせずにやっていく為に人件費削除で自分ひとりでやる事になったが
自分の手を使い初めてわかる事も多かった
そんな中で田中ラーメンを食いに行ってその合理的なシステム、ローテーションに初めて気づいた
ラーメンは全国アチコチの有名店も食って来たし厨房もローテーションも観察もして来たハズなのに気づく事はなかったが
なぜ今更気付く事になったのかと不思議なのだ。
考えられる事は普段からよく見掛ける店主ですぐ手に届く身近な町内の店と言う事なのではないかと
田中ラーメンの店主は幼い時を想像してもどう贔屓目に見てもチルチルにもミチルにもまったく見えないが
青い鳥はすぐ傍にあると言う事なのだと

同じ物を見ても見る目と理解出来るようになってやっと見えて
自分の手と身体を使って苦労して初めて見えるものがある事を実感した。
人様が楽々こなすのにぶきっちょな自分が出来ない時に羨望と落胆を見るが
出来な事が沢山あり回り道も沢山あったが景色を他の人より沢山見たと
ここに来てそれもま~いいっかと慰めている。

点検全船完了


海で使うエンジン冷却水通路に付く犠牲亜鉛ジンクこれが何か所にも付いている
内部を水で流して出来る限り詰まりを取って新しいジンクに交換する


海水を汲み上げてエンジンを冷却する水ポンプのゴムインペラ
右は付いていた物 左は新品
北海道特有の半年使わない事でヒトデの様な足が圧縮側が曲がったままになってしまうので
定期的に交換するが北海道は交換時期が早い
これがロアーユニットが重いのなんの物によっては30キロほどある物を持ち上げながら
プロペラシャフト、水パイプ、シフトロッドの3点を同時にピッタリと合わせないと付かない
年寄りには辛ろうて~辛ろうて~

治れば説明は要らないと言う人は多いが
修理は自分のした事をわかり易く説明する事で自分自身もおさらいと勉強にもなる。
なんだか知らんが治ったと言う事は機械である限り無いのだ
そこで面白いのが商売違いでも説明を聞く人が一定数居るのだが、
そう言う人はこれまたトレーラーの運転から釣りや仕事もなんでも器用にこなす
商売違いでもなんでも人の言う事は勉強にすると言う
聞く耳を持つ人の傾向は見た目は温厚な顔立ちが多く眉毛や目尻は下がりの傾向がある
攻撃型の顔は面倒な事にならないように人は近づかないので情報も偏るのだと思う
NHKナンチャラ党や安芸高田市某などは顔にハッキリ出ているのでどんなに銭を貰っても
お客さんには要らない顔立ちなのだ。
何処でどう間違えたのか損な人生を送っていると思う
どんな凶暴な顔立ちでも唯一救われるのは笑い顔で笑っていられる生活には救いがある
俺はと言うと半世紀以上もの間に修理で大きな失敗を何度もやって来たが
それでも修理を続ける事を許してくれたお客さんや人達に感謝しかない

父~殿~

4月10日から続いた修理が一定の完了をみた
それにしても船主さんが昨秋に上架するまで異常に気付かなかったと言う
そこが引っ掛かり悩みに悩んだ


参考画像

エンジンは馬力も違う参考画像だが同じ4気筒、180度クランク、EFIと基本は同じ
船主さんが気づかなかっただけではないかと言うと悩みはそこでストップしてしまうが
気づかなかったのであれば半年上架してる間に故障が進んだ事になる
その原因はと18日間悩んだ結果は一応の推測と仮定をして原因追及をしてみる事に
360度クランクの気頭数を増やす一番の理由はピストンスピードを下げる事が出来るのだが
船はその事によって弊害も起きる
4気筒エンジンは共振を防ぐ為に点火順序は1,2,4,3とバランスを崩す様に点火する
縦置きエンジンは上が1番で次から4番まであるが4サイクルの場合は1番が圧縮上死点で止めた場合は2番は吸気行程が終わった下死点にあり3番は膨張行程が終わった下死点にあり4番は排気行程終わり上死点にある
最後にエンジンを止めた時に1番が圧縮上死点で止まった場合は4番のバルブはオーバーラップの排気も吸気も開いた状態の下死点になってエンジンが日格差によって息をしてる状態にある事になる
ここからさらに電気系にいき面倒な話になるので端折るが
これは多気筒である限り防ぐ事は難しく特に塩を被る海での使用は宿命と言っていい


宿命の度合いは父殿の仇を討つために大菩薩様に願掛けし食う物も食わずに姉弟が宿敵を探し諸国を回るくらいの厳しい状態にある。

シリンダー内部を塩抜き洗う事は出来ないので対策は定期交換部品は使用時間ではなく年数で交換する事が大事と今更ながら気付かされた件だった
海上では急停止をしない事、追い波を被らない事しかない
人様の困り事で言っちゃなんだが今回は4月10日からメシ食ってる時も寝てる時も考え続けたが修理業は楽しい

基本と原則

街のクズにダニは言い過ぎたが今度はボウリングの球で車のテストを言いだした。
ある映画で松方弘樹のセリフで「 神輿軽けりゃ担ぐ方は楽だ 」と
劇中では終わりに「 神輿が担ぎ手なしでひとり歩けるなら歩いてみれ 」と突き離す
大国の大統領が膨大な仕事と情報を抱えてる中でボウリング球の情報は誰から何処からの過程を通り得たのか
この異常状態は嫁か家族か取巻きか誰か道化を演じさせる黒幕が居るのではないかと思うのだが

アメリカといいロシアといいイスラエルといい兵庫県知事といい人としての基本に問題があるような人たちが指導者になる異常事態に落ちてる。


映画のロケ地 呉港

目の前の現象の原因と根拠を探し続けるのが修理の仕事
毎年の事だがこの時期は除雪機の集荷と格納
船の使用前点検と下架で寝る間もないほど忙しいが
さすがに寝ないと意識朦朧になるのでしっかり寝るが今年は特に忙しい
修理の経験上難しい中々直らない故障は意外と簡単な原因が多く
それは簡単単純さゆえに基本を飛び越して難しく考えてしまうと言う盲点があり
そんな時ほど基本に戻る事が大事になってゆく
常に基本があってそれから先に独創性など自分自身の考察などがあるのであって
基本がしっかりしていなければ独創性や新しい考え方などないと言うのが俺の考え方なのだが
基本を飛び越してしまい一週間悩んでしまった。


船外機をパソコンで繋ぎ船内からバルブ駆動やプラグを失火させたりと色々遠隔操作をするが異常は見られず今までにないほど奇麗な履歴データー
何が悪いのか一週間毎日船に通って盲点に気づき解決するに至ったが
今回は奇麗すぎるデーターと思い込みと新しい慣れていないパソコンと部品システムと何重にも重なってしまった。
原因を確認する前に安易に部品交換をする事は原因をわかりづらくする為にするべきではないと思う。


古いパソコンを引っ張りだして再度挑戦し確認してから目視や音や振動など体感点検を繰返す
いつもなら綺麗なお姉さんが乗る船はワーニングデーターも綺麗~などとギャグも噛ますのだが
連休までには解決せんならんと今回は追い詰められてそれすら浮かばない

基本があっての修理業と毎度思わせられる
基本を大事にするのは人間生活も同じだと思う
ひとが嫌がる事は言うな、やるなと、

遠くの親戚より近くの他人

昔はどこにでもいた自分から手を出し返り討ちに合うと泣きを入れる
街のクズにダニそう言う連中は取引と言いながら負け惜しみで恫喝をする


USAマークルーザー

アメリカ製がなぜ売れないのかそれは単純に競争相手より品質や使い勝手が悪いからなのだ
問題が起きた時
俺が言うのもなんだが自罰、他罰、無罰、と広く原因を探し見直す努力をした者がその後も進んでいく事が出来るのだ


三菱コルト1000の発展型 コルト1500 ライトが2灯か4灯の違いで外観はほぼ同じ
名古屋大江工場で作られた。

この車の大きさ15センチほどのステアリングギヤボックスキャリアを毎日毎日溶接して作り続けた
出来高払いで一個組み立てると確か数十円だったと思うが当時の平均月収の3倍ほど貰えた
この頃には日本車はすでに輸出を考慮していて注文があればいつでも左ハンドルにする事が出来るように
ダッシュボードなどもすぐ左ハンドルになるように左右対称になってる車が多く
少量注文にもさほどの費用を掛けずに輸出する事が出来た
たまにしか左キャリアは作る事はなかったが手順が違い効率は大幅に落ちた
アメリカで沢山売れ始め1970年代後半には日本車の屋根に上がって大ハンマーを振り下ろすさまが放映されほど売れるようになった。
日本車がなぜに売れるのかを考えなかった事がアメリカの製造業の現在に至ってるのだ。
いまは職人も居ない道具もないだろうと思う

誰しもが収入が安定すると苦労の多い物作りからは遠ざかり利幅の大きい仕事に移ろうとする。
苦労の大きい仕事は後進国に押し付け美味い汁の金融や株などで手数料を吸おうとする
今更苦労の多い仕事に戻る構造にはなっていない
その他国を潰してしまっては自分の首を自分で絞める事になってしまうのだ。
唯々アイツ嫌い、コイツ嫌いと他罰を求めるだけでは先には進めない事を見せつけられているのだ。

怖いのは街のクズにダニと思われる者が選挙で選ばれた事でその国が武器を一番持っている事
今回の件でいい事は遠くの親戚より近くの他人でアジアを大事にする事を知らされた。