もし健全な精神が育つ為のビタミンと栄養があるとするなら、武勇伝などは話をしている親父だけがいいのであって、本当は恥、忍、耐、寛、容、などなどが本当の健全な精神の栄養になりビタミンになると思うのです。
話は全然関係ないとこに飛ぶが! いかに恥を自分で認識しているかが男の甲斐性で、恥を自分で認識していない者は「恥知らず」と言われ軽蔑されるのです 。
日本は昔から恥をかく位なら切腹を選んだほどのお国柄なので、「恥を知れ~」この一言ですべてが収まる国なのだが、その日本で恥を忍んでさらに生き続けると言うことは、口では言い表せないほどの苦労と忍耐に、自分なりの矜持を持ち付けなければ生きては行けないと思うのです。
「生き恥をさらしながら生きています」と言うことはもの凄いことなのです。
これらすべて学べる程の器量の大きい親が、果たして回りにどれだけいるのだろう。
やはり短気でも人情に厚いなどどこか足りないところがあり、我が子をエコ贔屓するのが普通の親と思うのだが、そこの足りない部分は、どれだけ他の人から学ぶかに掛かっていると思う。
その為にも相手を認める、好きになる処から始まり、それぞれから引き合うところを学び、始まるのだと思うのです。
いま目の前にいる背の低いおじさんは、見るほどに東北を代表するような真面目さ純情さがこの大釈迦村にぴったりで、いつまでもこの地で生きていって欲しい 。
またこの純情木訥な中にある忍(しのぶ)、耐えると言うごく自然に出ている気力、これこそが自分に足りないビタミンと栄養で、俺には絶対真似が出来ないと思った。
また、この大釈迦村は純情木訥な人が生きて行ける地域なのだと思い、なぜかほっとするのです。