新年ことわざ三連発

ここ崖下村で正月を過ごすのは何年ぶりになるだろう少なくとも十年以上前になる。
スノーモービルで冬山にもいかん車中泊にもいかんでのんびり暖かい部屋にいるとなんか野生が失わる様な気がしてならないのだ。
年末は酷い猛吹雪で舎熊で留萌に〆のラーメン食いに行くのを諦めセイコーマートで引き返したが吹雪で引き返すなどこれも初めての事だったが
一度決めたら何が何でも食うぞと夕方の夕凪を待って再挑戦してラーメン食って来た。

夜明けと共にしめ飾りを飾るのだがこの二つを何年間もとってあり替わりばんこに使っている。
右は2020年に使用し仕事は忙しくそこそこに稼いだので引き続きとも思ったが2021年は神様にも少し休んでもらい左側のしめ縄を飾った。
しめ縄も昨今はホームセンターで売ってる様になったら有難みもかなり減るので別に使える内は神様も働いて貰おう。

2020年はコロナで開けてコロナで終わったが
こんな大変な時こそ男は見栄張ってやせ我慢して生きて見ようと思うのだが
いつの頃からか男の背中がしょぼくなり見栄も張らんくなって思うままに欲望のまま生きてる。
代議士の部屋で貰ってはいけない金を貰ったり
大した困らんのに持続可資金を受け取ったりとやったらいかんべ
そんな訳で2021年はやせ我慢の年にしようと思う。
俺が考えるいい女とは男のやせ我慢を認め立て上手く稼がせるのがいい女だと思うのだが
武士は食わねど高楊枝なのだ
もっとも江戸時代には武士は人口の一割程度で殆どが農民だったので武士武士と言っても本当の武士かどうかあんまり当てにはならんが
2021年の男は渇しても盗泉の水を飲まずだょ~

コロナで北海道に賭場は出来なくなるだろうそれは悪い話の中でもいい事だと思う。
禍福は糾える縄の如しか

土と水

今年は本当に忙しかった。
車を二台を一台にしたせいもあるが車も18ケ月で39000キロ走った。
半分は遊びで半分は仕事だとは思うが今年は兎に角忙しかった。

毎年呉れになると一年を振り返り
ああも言ってやればよかった、あれは言い過ぎた余計な事をしたのではないかと殆どが反省で一年を振り返ると逃げ出したくなりグッタリ疲れ立っているのもやっと言う状態になる。
今年は特に忘れる事は出来ないだろうと思う出来事がいくつかあり今も気持ちに尾を引いている。
中でも若い子の事は本当になんと言っていいのか
土台が出来てしまった年配者は性格はそうそうかわらんが若い子はチョットした躓きがその後の人生を大きく変えてしまう。
俺には勝手に決めた線引きがあり
27歳を過ぎてフラフラしてる奴はその後も大たいそんな人生になると思っているので27歳までは社会が地域が食わして育てていかんとないと思っている。

今年はコロナで始まりコロナで終わりそうだが それがどうだ聞こえて来る政策は欲かいた大人にたいしての政策ばかりで若い子達に対する政策は見えてこない
見えて来ないと言う事は頼る窓口を公開していないに等しい
一方自営業はこれからは誰にも指図は受けない自分の力を試すのだと一本独鈷になったのだ。
苦しくなりました税金で助けて下さい税金を貰えないなら赤字でも営業しますなどと、どの口が言うのかと思う。
それはやがてこれからの若い子世代に国の借金として重くのし掛かって来るのだ。
これから国を背負って生き年寄りを食わして行かねばならない若い子達を育てる事に充分とは言えない時代に今回の政策で無駄に使った税金の為にさらに行き届かなくなる事は目に見えてる。
クソ爺の代議士もパッと仕事せん役人もサッサと辞めてしまえ。

アチコチから税金を使いませんか貰いませんかと言って来るが
それは要らない奴には言って来るが本当に困った奴には言う事は無いのだ。
さらに真面目に返す事を考えた奴は借りんが返す事を考えていない奴はすぐ飛び付く
それは俺の身の回りでも起きている。

今こそ高校までの教育費や給食費などはタダにすべきで こいつは困っていそうだと思ったら夕飯を持たせてやるか弁当屋のタダ券を持たす位の事をしてもいいと思う。
GOTOトラブルは遊びに行く金の持った奴や自営業者をさらに助けてやる政策で本当に困ってる子供や若い子や困ってる連中を助ける事にはなっていないのではないかと思う。
俺は思うのだが
政府も代議士も地方の行政も金にならん雪駄履いた貧乏人や困ってる連中は大嫌いで見るのも嫌なのだと思う。
メディアも取材をする時に最初に絵図を作りそれに沿った絵を流す その絵には一切責任は持たないだからクソゴミメディアと言われるのだ。

ほんと普段は饒舌な俺でも若い子の話は只々聞いて
何も言ってやれない 何もしてやれない 只々また来いとしか言ってやれないのだ。
後になって、ああも言ってやればよかったこうも言ってやればよかったと

暮れになったら帰る汽車賃もなく駅の雑踏に北に行く汽車を見に行くしか出来なかった俺には逞しく生きていって欲しいと願うことしか出来ないのだ。
ただ12回住民票を変え各地を転々とした俺の経験上は土と水のある処は金は無くとも生きて行く事は出来る。
どうにもならなん時はにわか山頭火か山下清になって土と水のある処を目指せ
神奈川から歩いてここ迄来た経験者に聞いたのは腹減って物乞いに行ったら
大きな寺は門前払いらしいが小さなお寺は供物を食わして呉れるらしい
命は大事にせ

グズグズと

正月休みは天気は悪いと言うしどうするべ~
それ以上に北海道から内地に行く事も問題だし やはり我慢しかないのかと思うが
大人しくして図書館巡りか博物館巡りでもするかと言っても何処もやっていない
俺は思うのだが今年の公営の施設はコロナはもっけの幸いとばかりに有給で休んでいる様に感じるのだが

以前は一日でラーメンは3~5杯は食べれたが今は2杯が限度なので食い歩きも出来ないし酒もせいぜい5合が限度なのだ。
ネットサーフィンもユーチューブも飽きたしネットのやり過ぎはなんか元々バカなのに更にバカになりそうなのだ。
ただでさえ少量の脳味噌でネットを見過ぎると結果の急ぎ過ぎと思考停止になり人生道中を楽しむ事が出来ないせっかちになるような気がするのだ。
やはり自分の目で見て肌で感じる空気はいい

今度は下北半島から国道4号線奥州街道を南下して大崎に行きそこから尾花沢、新庄、横手大仙と341を北上して点と点を繋いで北海道にはない奥州の歴史と侘び寂びの空気を感じて見たいのだ。
PCR検査をして陰性だったら行ってもいいのかとも思うのだが
新説発見の旅はダメか~グズグズと

「ソーラン節」は北海道の黄昏た西海岸側のニシン漁の唄で有名だが
「 ヤーレン ソーランソーラン ヤレン ソーランソーラン ハイハイ
男度胸は五尺のからだぁドンと乗り出せぇ波の上チョイ 」

ここ増毛や留萌にも沢山のニシン番屋があった
壁には墨で落書きがよくあり
「 岩手に帰りたい 」と書いてあった。
その短い落書きはニシン漁の辛さと望郷の思いがあった。
ソーラン節はニシン場の親方がヤン衆達に怒鳴っている唄なのかも知れん
「 早くヤレ、そらヤレ そ~ら、そ~やれ 」と ヤン衆はハイハイわかりましたょ
と本当は男度胸心意気とは違い辛い労働歌だったのかも
いま自分の目で見て手で触り肌で感じる空気の大切さをヒシヒシと思うのだ。

嘘つきは泥棒の始まり

クリスマスイブは世界の子供達に最悪のプレゼントが出来た。
100回嘘つき続けても日本の総理大臣にはなれるからと
この皆が苦しんでいる時にどうやったら真っ当に働いている人間は罰せられる事がない
このクズを気持ちの中に落とし込んで この大変な時に身を削って稼ぐ事が出来るのか
わかる人がいるなら教えて欲しい

同じく24日の朝ドラで千代ちゃんを救う為に仲間のお茶子が年玉袋に入れた。
何処かにしまって置いたコツコツと貯めた銭を千代ちゃんの為に使って欲しいと出す場面だが
金庫もない住込み部屋で銭が無くならない
あれは凄い場面で
俺が最後の飯場生活をしたのは琵琶湖の国鉄湖西線作りだったが
当時は同じ部屋に10~20人程度が暮らしていて労賃も飯場事務所で貰った。
銀行もない郵便局もない山奥で貰った労賃は柳行李に入れて
二交代や三交代で柳行李に銭を入れたまま現場に出るのだが それが無くなったり盗まれる事もなかった。
どんなに酒癖が悪かろうがすぐ手が出る奴がおろうが背中にモンモンが入っておろうが
そこには年端もいかん お茶子でさえ守れる。
李下に冠を正さずなど色々なごく普通の常識があったが
嘘つく奴は基本何事も信じる事が出来ない
嘘つきは泥棒の始まりなのだ。
そんな奴は飯場でさえいる事は出来ない
飯場はその時その時の技能職の集まりなので工事が終われば散り
また何処かで工事が始まれば集まるを繰り返す意外と狭い世界で

竜飛青函トンネル 殉職者 34名

病気は治っても癖は直らない
一度でも性根を見られた奴はクセと言うか癖(ヘキ)は直る事はないとその世界では生きてゆくのは難しい
ま~このクズ野郎には夫婦共に泥棒稼業に落ちて欲しいと切に思う。
それでなければ世の中は真面目な奴が損をする。
絶対にそうであってはいけない

支持率

支持率はどうやって調査するのかわからんが
固定電話か携帯かネットかでも随分違うと思うが
筋金入りの貧乏人の俺などは食って行く為に裏も結構見て来たが
上手い話には裏があり 危ない道は綺麗に舗装されていると教わって来た。

危ない相手はやはり姿形に現れ、初対面でおやっと思った奴でも儲かるカモとスケベ根性を出して後から痛い目に遭った事は数知れずなのだ。
アイツと付き合うのは止めときと言って忠告したのに後から大損コイた奴も知っている。
そんな俺が忠告する相手の見分け方は昔から言われてる目を見る事と横顔で本人ではどうする事も出来ない表情が出るし人間嘘付く時は必ず身体の何処かが動く
足が左右揃っていない時も要注意で危ない

立場で物言いする奴も危ない 真理は一つなので立場が違ったら話も変わる奴は 今はいいが豹変する確率も高い
ま~そんな訳で支持率65パーセントもあった事自体がおかしいし
自分が信じた奴をたった数か月で見切り39パーセントに下げる事自体もおかしいのだ。
それはいかに人を見る目がないか儲けさせて呉れるカモとスケベ根性を出す奴が多いのか

俺だったら絶対に支持はしたくない人相なのだ。
なにかの冗談かと思う政治屋を持つのはそれなりの国民とそれなりの政治なのだ。
これからは政治屋など頼るな自分を信じて自分の足で歩いて行けるシマを大事にした者が生き残っていくだろうと思う。
利用しようと思うと利用されるのは世の常なのだ。


信じる者と書いて儲け 津軽高野山弘法寺
数年前に銭がなかったが暇だったので手元にあった原付バイクに荷物積んで青森周辺を探索に・・・・・・・・
必要以上欲かいてはいけません無心になりましょう~ナンマンダブ~

こんな事ばかり考えてるから嫁には逃げられ数十年 いまだに仕事が終わったらメシ炊いて作業服を洗濯してテレビ見て寝落ちしてしまう。
以前朝にテレビニュースを見て あれ~この事はなぜか俺知ってると思った事があって
俺ってもしかしたら予言者かモーゼの生まれ変わりかと思ったが
よく考えたら誰も消して呉れる奴がいないのでテレビ付けっ放しで深夜ニュースを聞いていたのだ。
寝る時はテレビは消しましょう~

いいコマーシャルとは

テレビのコマーシャルでなんかムカつくコマーシャルがある。
一つはピンクの服着たおばさんが
「 ナンチャラ!モバイル! 」とか突然怒鳴るコマーシャルで、うるせ~のだ。
普通にテレビを見ていたらツラも怒り顔で怒鳴られる。
ふ~ん 今時の若者は怒り顔のおばさんに怒鳴れるのが趣味なのか

もう一つはトヨタのコマーシャルで社長が出て英語でドッタラコッタラと言ってるが
あのコマーシャルを理解出来る人がどれほど居るのだろうかと思う。
ま~儲かり過ぎてるので、わからん奴は買わんでもよろしいのかも知れんが

日本人向けのコマーシャルなのにトヨタの親分がアッタラコッタラとよくわからん英語は誤魔化している様に聞こえて来るのだ。
2009年から5年間も法人税が免除されて数兆円もボロ儲けしたトヨタはこのコロナで大変な時にこそ蓄えた内部留保を吐き出して満足に食えていない人に炊き出しをするとかして
その間も税金を天引きされた国民に恩返しをするべきではないのか
それをしたくなくて英語でドッタラコッタラと誤魔化している様に見えるのだが
なんせこの二件のコマーシャルはムカつく

何が何だかわからんが、わからん英語が蔓延しているとムカついている処に
海老デンスとかクラスターとか
クラスターと言えばカーチスルメイで名古屋や東京や大阪大空襲で女子供もクラスター爆弾で大量に虐殺したあげくに日本から勲章を授与されている。
六角の焼夷弾は今や誰でも知っているナンチャラ組の大親分が住んで居る
大江大同製鋼辺りには遅くまで缶詰程度の大きさの残骸が残っていた。

いいコマーシャルとはそのコマーシャルを見た者は買っても買わなくても知識が増えるとか癒されるとか何か得をする。
コマーシャルがいいと思うのだが


宗谷岬 コロナの夜明けはまだか~
今年は働きに働いたので早めに正月休みしようと思う。
もっとも忙しいのと儲けは連動はしないし 儲けと幸せも連動はしていない
許されるのならまた津軽半島と下北半島に行きたいのだが
どちらも車中泊で殆ど人とは接触しないので・・・・・・・ドッタラコッタラ

介護ベット買った。

おおこのブログ欄の修正を専門家に頼んでおいたら書込みしやすくなっているぞ
遠くの親戚より近くの専門家だぜ~まったく 大事にせんといかん

今年に入ってから何か背中に傷が付いてカサブタが出来て来るようになっていた。
何かの祟りか前世からの恨みかと思ったり
それが誰かに背中を刺される夢にまで出て来る様になっても
まだ気付かずに寝ていたが10年以上前に貰ったベットを剥ぐって見たらスプリングが一本折れて背中にチクチクと刺さっていたのだ。
なぜ何ケ月も気付かなかったと言うと この上に厚い羊のナンチャラ風のマットを敷いていたのと寝て下がるとスプリングの先端が飛び出し背中を突いていたのだ。
スプリングは高炭素鋼でいわゆるハガネで刃物と同じ材質になる。
昔は車のスプリングはよく折れて交換をしたが折れたスプリングを工場のドラム缶に入れて置くと
西郊通りの怖そうアニ~が呉れと言って持っていって
アニ~はそれで刃物を作って真剣を買えない同業に売っていたのだ。
そんな刃物と同じ材質の物で背中をチクチクと夢うつつに数か月 怖いですね~

夢と言えばここの13畳間に暮らす前は工場の隅に二畳半の囲いを作って暮らしていたが
そこではよく金縛りや悪夢を見た それも自分がクタバッてるのを天井に張り付いて見たり当時乗っていたバイクで事故を起こす夢を度々見るのだ。
それが不思議な事に
こんな処に寝ていたらダメだと言ってTAKKENの親方が現在の部屋をタダ同然で作って呉れてから一度も金縛りや悪夢を見る事が無くなった。
もっとも当時は箸にも棒にも掛からぬ若い衆が入れ替わり立ち替わり数人いたので昼間の方が悪夢だったが
いまは雪が降るこの寒空の中で何処でどう暮らしてるのか
そう簡単にはオッチヌ奴らではないのであまり心配はしていない。

ベットを買おうか高反発マットを敷いて寝ようかと考えたが
滝川のニトリで介護ベットを見てから決心するまで一か月考えて考え
重点は壊れたら自分で治せるかと見た ネットでは安く売っていたがやはり見て買ってよかった。
物を売るのが商売なのだが自分では筋金入りの貧乏性なので500円以上の物は中々買わないのである。

頼るな

今日のナンチャラ株価は26000円らしいが 結構長い事商売をして来たが何を根拠に株価が決まるのか
滅多に行かない銀行に行けばネエチャンが投資信託をしませんかと寄って来るが
株など「なんでも鑑定団」の壺や掛け軸と大したかわらんのだ        
値段は勝手に付けても それが額面通り全額現金化出来るかとは全く違う話で 
日本中の今日の株価を全額現金にする事など出来る筈はないと思うのだが
それでも換金処理の為の一定の引当金は全額ではなくとも証券会社か何処かにあるはずで
では不労所得である金融経済に回される銭は何処から来たのか
それは実体経済から巻き上げた銭で 
その手法は設備費はケチるとそれなりの物しか手には出来ないので 一番手っ取り早い方法は人件費をケチる事で浮かせる事が出来る。
その浮かした人件費を金融経済に回したのだ。
その為に竹中平蔵と小泉純一郎は派遣労働者を大量に作る必要があったのではないのか
給料が安いだのドッタラだの言う自国民はいらん それなら外国人を使えとなったのが現在に至ってる。
結果は真面目にコツコツ稼いでも高々知れてるとなり日本の勤勉さも人情も寛容も失われていった。
大都会が金融経済に傾倒していった時点で人心は荒廃し都市機能は失われていく運命にあったのだ。
GOTOで命を掛けて経済を回しましょう株価と言う絵に書いた餅が ご褒美が貰えますよと言う。
株価は何もない所に希望らしきものをチョロット見せる事で成立し株価も上がるが
自分の手で何かを作る以外の売り買い商売の原則はどんな商売も買いにあり 買う事で売る事が出来てる。
それ以外では先物買いで それは博打で商売とはいわん
盗人稼業以外は最初に売る物を買って来るのが基本なのだ。
長期で保有する事のなくなった金融経済も同じで買うのが一番儲かる。
高く売って安く買う。一度1000円で売った株を800円に下がったら買い戻す。
その差額200円は丸儲けになる。
その為にはいつも変動つまり世の中の混乱がなければ株では儲かる事は出来ない
それを作り出すのは政治であり企業家と言う連中でこのコロナで大変な時に株価が上がる正体なのだ。
では田舎の自営業者はどうするかはそれはこれからは地域の分断が起きてゆく
首都圏から自立し自分の手を使い油にまみれて食う為に日銭をコツコツと稼ぐ事が一番なのだ。
ニュースに出て来る飲食店のオヤジはどれほど利益があるか知らんが
GOTOをやろうが止めようが他っておいても懸命な客は自粛し他は感染して確実に減る。
その時たった2~3割の客を待って家賃を払って食材を用意して店を開けて利益など出る筈はないし自分すら危ない 
このコロナが納まらない限り利益だけを! 考えた場合は店を開けてる意味はない 
生きてこその経済で今は辛抱我慢しかないのだ。
血税をドブに捨てるガ~ス~様は株価金融経済が大事で枝葉の経済を回そうなどとは思っていない
頼るな自立せ。

ブログ練習中

修理の世界でも種類が豊富にありその極々狭い世界に半世紀いたが
メーカーの講習以外では殆どが見て想像して聞いて覚えて来た。
それは赤ちゃんが言葉を覚える過程に近いものがある。
人様にものを聞くと言う事は何を聞くかという基礎知識と聞き理解する力が必要になってゆく
修理工は人様が作った物を元に戻す事でメシを食っていける。

回りに居る人間だけの話を聞く、業界だけの話をする。
だがそれは線と線を繋ぐ行動であまり独自な発想にはならないが
持込まれた機械に勝手に一味付けて置きましたと言う事は許されない
そのてん村の大工や鍛冶屋は鍬一本ガンタ一本から常に作る直すを繰り返していて
その独自な発想は立ち話から一杯呑みながら点と点を繋いで輪を作って、面を作ってゆく 
田舎の手作業と雑談の中に新たな発見の原点とメシの種があるような気がしてならないのだ。

旅行の形態として頑張った自分を癒す為もあるとは思うが もう一つは明日に向かって一歩前進もあると思う。
その一歩前進の為にはいま普通にあるものをジックリ見つめ
声を聞く事も旅行の一つだと思うのだが
何気なく見た点と点がはたと気付き輪になり そこから新たな商売や物が出来てゆく
もう人に用意された舞台でバカ騒ぎだけをする時代は終わった事をコロナは告げている。

画像を入れたいのだがまだ入れる処までこの仕組みが理解が出来ていない

パソコンがやっぱり使いづらい政権批判をするからだろうか
12月9日 メルケル首相国会で演説

すぐ近くの病院では先生や看護師達が自分の命を的に不眠不休で我々の為に闘っているのに
なんの励ましも感謝もなく
12月11日 ガ~ス~です。 へ~ら~へら~
そりゃ~パソコンもクルって当たり前か~

パソコンは元に戻らんか専門家に聞いてみようと思う。