パピヨン

先週水曜日の熱中症になり掛けの後遺症か今でもチョット激しく動くと胸が苦しいのでさすがにいつもの留萌の病院に行った。
この病院では初めての胸の写真を撮り指に何かを挟んで数字を見ると98パーセントと出て大丈夫と言われたが肺に蝶の様な型をした白い影があると言われた。
それは12年前に初めて町の健康診断で発見されたが半年ほっておいたら町の保健婦さんから電話が来て何考えてるのだと怒られたので仕方なしに
肺ガンで高名な旭川のT先生に掛かる事になったが先生には
家族もいない一人者でやりたい事は恥ずかしい事も嬉しい事もすべてやったと言っていいほどやって来たので
もしガンだったら治療は拒否をする事を伝えた。

数年前に奧さんを肺ガンで亡くされた先生は
「 それは貴方の見識ですから構いません
ただ今は進行度合いが正確に分かるので経過観察はしましょう 」
と言った。
この人は信じるに値する人だと感じた事と
次期が分かれば対処の仕方もあるのでと3ケ月事に旭川に通った。
その後半年事になり今は年に一回になった。
歳のせいもあり以前の様な激しい運動は難しくなったが普通の生活はなんら支障はないが俺の胸の中のパピヨンは相変わらず型だけは保ったままになっている。
皆は蛾だと言ってるが羽根が白いので間違えなくパピヨンである。
もうすぐ結構苦しい定期検査があるが今時世こんな老人が場所を取るのも迷惑かもと思ったりしてる。

たった熱さだけでこれだけ苦しいのにコロナ中等症は自宅待機になるらしい家族が居たら感染拡大は間違えない可哀想すぎる。
菅総理や周辺殿達の思惑と無能とによってオリンピックと引き換えに間違えなく間接的な大粛清が始まる。


この曲を聴くと弟分のタカミを思い出す。
あの日も熱かった駅員もタクシーもまったくいない常総の駅に降り喪服を担いで
まさか俺の方が残るなんてと思いながら歩いた道のりは長かった。

諸行無常

「 長宗我部信親殿 さては臆病風にでも吹かれましたかな 」
と仙石秀久に言われムッと来た長宗我部信親は戸次川を越えて島津を討ちに行くが
「釣り野伏」戦法にハマり息子共々あっけなく討ち死にしてしまう。
その様子を見て言い出しっぺの戦国時代に卑怯者として名を残す仙石秀久は助けにも行かんと逃げてしまう。
その後秀吉は戸次川の敗戦の責任は仙石秀久にあるとして高野山に追放した。
諸行無常

ドアを蹴破ったりする時に後ろ向いたら誰もおらん逃げて自分一人だったとか
少々危ない集合時間に声の大きい言い出しっぺが来ないなど
平時に声の大きい奴はアテならんなどこれは現代でもよくある事で結構ハマってしまう。
命は大事です。
俺が言うのもなんだが多少の事を言われた位ではカッとなってはイケません

電話線も光回線も切る事もなく札幌から下げて来た。
火曜は夜遅く戻ったのでボートを水曜日早朝降ろす。

この商売をやっていつか船の下敷きになるのではないかと思い続けて来たが
臆病者ゆえにどうにか今日まで無事に過ごして来たが
まったこういう作業中に限って電話が来たりメールが来たり
隣の一人暮らしの打たれ強い上に懲りない婆さんが
「 フナフニャドッタラコッタラ 」と声を掛けて来たりする。
その際は「 ババァ~声を掛けるな近寄るな 」と怒鳴る。
バァ~さんはシャッチョ~はいつも怒ってると言うが
浜や現場仕事は
「 そなた様~船がぶつかり危のうございますのょ~ 」
などと言うのは無い どうしても離れているのとエンジン音などで
声は大きくなってしまう。
さらに漁師は機関室で寝る事が多く耳が遠い人が多い
それを浜は言葉が乱暴でとか言うの違う。

基本一人での作業なので下敷きになって言切れて発見されるかも!
思うに一番贅沢なクタバリかたは公園かどっかのベンチに座ってそのまま
「 あらこの人息してないわ 」と言うのに憧れている。
家の中も病院も嫌なのだ。

臆病であれ臆病者には油断は無い

月曜日は札幌に行って来て何処も寄らずに一目散に戻って来た。
今日はまた札幌に行って手稲前田の住宅街でクレーン作業 電話線や光回線をぶった切らない様に細心の注意が必要 下見を先月済ませたがなんか恐いぞ~光回線一本切ったら3000万らしい

津軽高野山 つがる市木造吹原屏風山
手の結び方で宝処菩薩、宝印手菩薩などとそれぞれ呼び方が違う。

ド田舎の商人の俺は思うのだが商人(あきんど)は自分の意思を伝える言葉が大事でムッツリダンマリスケベみたい奴は商人にはなれない
その言葉を誰に伝えるか 伝えたいかを絶えず模索し続ける。
ボートを買おうなどと言う大金持ちはそれぞれに一家言がありハイそうですかなどと素直な性格はしていない
ではどうするか
ボートを下見に来る時には大概は複数で来るので説明や接待をする相手はボートを買う本人ではなく一緒に付いて来る人にも説明をわかる様に丁重にする事が大事なのだ。
それが相手が子供であっても会社の社員であっても同じで
銭は持っている欲しくて欲しくて仕方ない相手に説明や接待をしても頭を冷やさす為にも 後になって後悔させない為にも時間が必要になって来る。
初対面から決まるまで3年などは普通にある。
永い付き合いになるその為にその場で決める事はさせない
その際は自宅に戻ってもっとも大きな援軍になって呉れるのは一緒に来て呉れた人なのだ。
一緒に来て呉れたお客さんやお子さんには大変申し訳ないが
「 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ 」
貴方は馬なのだ 馬殿、誠に愛すまん

コロナになってから初めて聞く言葉が多すぎる。
ソーシャルナンチャラから始まり横文字使えば学があると思ってるのかバカの極み
あげくには人流である。
なぜに人の流れと言えないのか
人と言って一区切りする時に初めて人が浮き上がる様な気がしてならないのだ。

いまの状況は映画を鵜呑みにする訳にもいかんが八甲田山死の行軍と同じでバカな指導者に付いて行った者はクタバッてもう一方の指導者に付いて行った者は無事に目的地に着いた。
「 天は我を見放した 」
と言ったセリフがあるが最初から無謀な計画には天は見方はしていない

冬山や海と危険な現場が多かったので多少は人様よりは多く生死の境を見て来たが
後になって気付く事はその状況に至る何日も前から下手すりゃ何ケ月も前から伏線があったりする
生と死の境目はほんのコンマ何秒と言う判断の間違いがあったりと
あの時にこうすれば良かった あれはやってはいけなかったと後悔をし続ける事が多い
どうしてか助かる分岐点は何度もあったのにその隙間を縫うようにしてスルリスルリと通り抜けて命の危険に近づいてゆく
遺族に許されるなら数例の実例を一部始終を書いて公開したいくらいなのだが
どんな事をしても戻って来る事はないし俺の筆には限界がある。
言える事は日々一生懸命生きて
その後何があっても誰のせいでも後悔をしない事ではないのか

人間界で危険を避けるのはお互いの意思の疎通が大事で
その意思の疎通は言葉で行われる。
ガスーよあんた達の言葉にはなんの意思も責任も感じないのだよ

臆病であれ臆病者には油断は無い

熱すぎる。


若い頃は夏も好きだったが今は熱いより寒い方がいい
今年猛吹雪で前進を諦め厚田道の駅で寝ていて車が埋まってしまい出れなくなってしまった。
車にはFFヒーターが付いているがマフラーが車体下に付いて危ないので冬までにマフラーを天井に付け変えようと思う。

木曜日に炎天下で半日力作業をしてるとクラクラとして胸が痛くなった。
ニュースを見て胸が痛くなる事はよくあるが どうも感じが違う初めての感じなので水飲んで横になった。
その晩には夢か幻か救急車を呼ぼうと携帯を探すが無い 呼ぶほどではないかと思ったり
こうして一人者はクタバルのかと考えてるうちに朝が来た。
熱中症と思われるが北海道では寒ければ沢山着ればいいが熱いのは脱ぎようがないので寒さでアウトになる人より熱中症でアウトになる人の方が多いかも
少し動くと胸が苦しくなるが土曜日には増毛花火大会を見なければないので体調を戻さんとないとポカリなど水をがば飲みし続ける。

昨年は中止になったが今年の花火は在庫整理かはたまた花火職人のうっ憤晴らしか
次から次とあがりこんなに凄い花火の量を見たのは初めてだったのであっけに取られて見てるうちに写真も撮らずに終了

俺は花火は田舎の花火が好きで
食料品はナンチャラ商店提供~シュルシュルドッカン~
忘れた頃に履物買うにはナンチャラ履物店で~シュルシュルドッカン~
と言う間合いが好きなのだが

花火の一発当たりの価格は数千円から数万円程度と意外に安くここに来たばかりの態度がデカい頃に一発上げた事がある。
その後は新参者はやはり控えてと思い寄付だけにしている。
コロナになった今中止ばかりで花火も作っても火薬も湿気るかも知れん
いまこそ小さな村で村人だけにしか知らせないで数発の花火と小さな露店で小さな小さな村人だけの村祭りをしてもいいのではないかと思うのだが
俺はガキの頃は花火を誰かと見たと言う記憶が無い

読み書き算盤

おら~知らなんだ~
オリンピックは職業選手プロも出れるんだ。

ガキの頃 長靴が減るので雪降るまで一番安い女物の下駄を履いて歯が減ったらまた足してと過ごしたので学校で授業に何か運動があるらしい時は絶対に学校に行かない日だった。
根性だのと言うスポーツや野球は全く見ないので知らなかった。
なんかおかしいなとは思っていたが
掘りナンチャラ言う若い子は10億が目標らしいが そんなら自分達の銭でやれよ~な~

読み書き算盤と言うが
俺は字は多少読めるが字を型で覚えたので書き順は全く無視で細かい処も未だに覚える気が無い
藤と前の上の部分が違うのは50代になって初めて知った。
人生をほぼ工員として過ごして来たので字を読めさえすれば書くのも代筆を頼めばいいので必要性は大した無かった。
だが字が読めないと困り整備書が読めない 危険を知らせる看板も読めない事になる。
ま~最低限の字さえ読めればいいっかと今も思っているが
わからん字には固執しないのでハードカバーの本を読むのは早い
1600円も出して一日で読む事もあるがさすがに銭が勿体無いと思う時もある。
算盤は電卓があるのでこれまた大した必要で無い
コマコマと計算したって元々頭が悪いので抜けが必ずある。
木っ端拾って材木流すって言うし
足し算引き算は大まかに分かれば食うだけなら後は機械がなんとかして呉れる。
字さえ読めればこの世はなんとかなってしまうのだょ
俺のソコソコに永い人生で物事の最初に算盤を出す奴は嫌われその後あまりいい人生を送っていないぞ~
算盤、書き、読みではなくやはり 読み書き算盤なのだ。


秦の始皇帝に命じられ不死の妙薬を求めて航海に出た徐福が流れ着いたと言われる熊野波田須を上から見る。

習近平に言ってやりたい
なんぼ算盤叩いて銭持っても秦の始皇帝でさえジエンドにどうせなら毎日を楽しく笑って過ごそうと

定休日なのに儲かってるのかどうかわからんが今日も熱く忙しい

終焉の入り口

先週25年ほど前に売ったが使わなくなり放置してあったボートを
あったら爺ちゃんが乗るかも知れんと家族と画策してロシアに売り飛ばそうと配送の手配をしたが
それを察知した80歳を超えた船主から電話が来た。
「 おまえ~俺の青春の思い出をロシアに~だと~こりゃ~ 」
と ヒェ~ご勘弁を~とひたすら謝り国内で買い手を探す事に
船体はなんとかなるが廃版なった古い2サイクルエンジンを国内の海で使う買い手を探す事はかなり難しいのだ。
かと言ってエンジンを変えるとそれだけで100万を越えてしまうと言うと
「 なに~おれが鳥を飼ってやっとこさ買った船をこら~おまえ~ロシア~にダ~ 」

余談だがダ~はロシア語ではヨッシャよっしゃー!と言う意味があり
どうもロシアは数字一つ一つにさえ単なる数ではなく意味を込めている節がある。


八重洲出版から発行された本で以前は誰にでも見せていたが
戻って来なくなった
返さない奴はだいたいわかる何度聞いても返したと言う。
それから程度のいい本を探し本棚に同じ本が戻った。
やっとこさ手に入れたもう誰にも貸す事も見せる事もしない
俺の青春の歴史と言っていい

人生の殆どにバイクがあった。
最初に乗ったのが山口オートペット その後はモトクロスの草レースにハマったりTX650や刀などを乗り続けた。

ブリヂストンからBS90が発売されるが何処のレース場に行っても連戦連勝の快進撃があった それはタイヤメーカーゆえに荒れ地を走るモトクロスは地面に付く部分は熟知していた事が大きかったのだと思う。
今では考えられないが何処の小さなレース場に行ってアマチュアレースが100台はゆうに超える参加者が居た。
1968年にはヤマハからDT1が発売されモトクロスブームが頂点に達する。
これまた今では考えられないがピストンやポートを削る方法やタイヤに泥が詰まらない様になどとDT1を買うと別売りで改造する為の結構厚い改造指南書がヤマハから発売されていた。
その後1973年に同じくヤマハからMX90が発売され
ホンダからはエルシノア125 スズキからはRH70と続々と参戦し
楽しみでする週末レーサーが出る出番は無くなりモトクロスブームの終焉の入り口に入る事になった。
それまではその辺りの町工場のオヤジがバイクのシリンダーをジ~ッと眺めて俺だったらポートの角はもう少し丁寧に削れると夜な夜な削って日曜日にその辺りに草レースに持ち込んで勝ったりした。
少し頑張れば何とかなった時代を各メーカーはメーカー間の競争に持ち込み一般大衆は手の届かない場所に押し上げた。
1970年代後半には金を掛ける事が勝つ為の必須条件になりもう参加する者も居なくなり草レースは消滅しやがてバイクブームは軽自動車の発達もあり終わった。

夕方仕事が終わった後に西郊通りや千原町のアスファルト路上には近くの町工場や電池制作工場から出て来た職人達がチョークで排気ポートがドッタラコッタラと点火タイミングがドッタラコッタラと議論が交わされていた。それが日本の技術革新に大いに役立ったのだ。
技術革新も商売も大衆と共にあり肩を組んで半歩前に進むのが夢も希望も持たせる事が出来るのであって資金力、組織力が勝負の分かれ目などは見ていて何も面白くもなんともない
やがては衰退する事は歴史が証明している。

求めよさらば与えられん


田中邦衛と言えば思い出すのはこの映画でDVDを買って再度見て見た。
俺のいつものパターンで何か気になる事があったら徹底的やって後は え~そんな事あったかと言うほど他の事に移る。

作り物とは思うがこの映画を再度見て思うのは求めて探した者は
辿り着くと言う事だと思う。

ガキの頃にオヤジは何処かに行ってしまい食うのが背一杯で学校など行ってられるかとジャガイモやトウキビなど食える野菜を作った。
どっちにせ言葉をしゃべる事が遅かった事もあり勉強も学校も大嫌いだったので俺にとっては好都合だった。
母親は種芋を割りながら正直に生きなさいと言い続け母親と一緒に畑に灰を撒きジャガイモを植えた。

さすがに50近くなって字が書けないのは少々マズいぞと思い始め当時留萌にあった定時制に入学
5時半から授業が始まり9時まで授業が続いたが当時何かの理由で途中でわずかな量の給食が出た。
働いてすぐ学校に向かいわずかな量の中途半端な給食は育ちざかりの子達にいい結果が生むとは思えなかった。
当時はラーメン店を学校の傍に持っていたのですぐ食えるラーメンを学生さん向けに半額で出した。
これは他の思わぬいい結果を招いたが・・・・・・・
ラーメン屋は繁盛させたかったら儲け度返しで学生ラーメンを作った方が良いと思うのだが

俺は言葉遅かったので学校でイジメに遭った。
農作業で鍛えたガタイもありイジメ対策は喧嘩に強くなる事だったので柔の道など格闘技を少々かじった加減と言う事を知らない持って生まれた性格が災いする事になったが


在校中に定時制学校は廃校にジエンドに

アチコチに鉄筋コンクリート製の学校が廃校になってるがチョット考えれば生徒が減るのはすぐわかるべ
俺は思うのだが学校は建物ではないべ中身の質 人の問題で立派な建物に使う銭を持続資金に回した方がいいと思うのだが
新しく建てるなら余った教室に小学生や中学生や高校生を階ごとに分けて入れるとか空き教室が勿体無い
さらにいまの様に物騒な世の中ならネエチャン、ニイチャンと一緒に通った方がいいに決まってる。

修理工は常に現状を確認して対策を立てるのが稼業だが
数億円がどっかに消えたり登録票表をヨッコしたり渡辺直美に豚の恰好させたり
身体的特徴を笑い物にする事はもっともやってはいけない事の一つなのだが小山田圭吾といいオリンピックもケチのオンパレードがこれだけ続くと言う事は何か不運とかいう事ではなく根本的な問題があると思う。

小山田圭吾と言うクズが雑誌で書いたにも関わらず今まで社会で生きてこれたと言うか許され社会的評価も受ける。
それって音楽稼業周辺やコマーシャルに使う企業組織自体が何かおかしくないか
誰も異常を感じなかったのか許される範囲と解釈されたのか
関係者皆ダンマリで今になって騒ぐなどおかしくないか
善人が何人いても目の前の異常時に何もしなければ共同正犯とたいした変わらんと思うのだが

弱ければ弱い様に 強ければ強い様に猿じゃないんだからチエくらい使えって

 ワクチンの後は呑まん方がいいかも

金曜日コロナ2度目の注射がすんなり終わった。
当日はヒリヒリする程度だったが翌日はやたら疲れが出た。
最近のハードな仕事を考えると疲れが出ても当たり前と土曜日は朝6時からラーメン屋で稼いで夕方から翌朝までグッスリ寝たら日曜日はなんとか元気回復したのでやっぱ気のせいかと思った。

日曜日はラーメン屋の前を覗き込む様にして数人乗った真っ黒なスリーポインテッド・スターがウロウロしている。
眼を合わせるとロクた事にならんのは自然界も同じなので

下北半島の猿の様にラーメン作りながらあっち向いていた。

やや20年振りの再会をした。思う事は一杯あったが
再起を果たし無事だった顔と昔と大した変わらん精神構造に
またの再会を約し別れた後に
なんか無性に酒が呑みたくなり海を眺めながら呑んでいた。

沖からせいぜい4~5ノットも出てるかと言う船が入港して来た。
ここが崖でなければ町の灯りがあり街灯などの目標物を目安に入る事は出来るがここの港は陸地側が崖なので物標が無く夜は入りにくい
地元の船であればGPSで出航時の航跡をたどり灯りは点けづに入港するが
ホタテの仮置きなどの障害物がある為にこの船はサーチライトで四方を照らしながら向かって来た。
船のサーチライトは危険で直接見ると眼がしばらく見えなくなる為に普段は水平に近い角度で照らしながら航行する事はない
故障か何かで緊急入港だろうと思う。
7海里沖は本船航路があり外国船だった場合はここは検疫錨地も税関も無くすぐに入港とはいかない
それでも何処の国であろが誰であろうが困ってる者を助けるのが男なのだ。
困ってるのは異常事態でその場を乗り切る事は自分のその後に自信や経験として大きく影響してくると思うのだが
ふた昔前にあるボート施設で善人が大勢いながら誰一人手を差し出す者が居なかった事を思い出した。
昔はこう言う生き方をしたいと思った男は多くいたが最近は琴線に触れる男に出逢う事が少なくなった。

この後日本酒をたった4~5杯呑んだ処で具合が悪くなり次の日朝まで苦しんだ。

悪は栄える


自分で売った物はよほどの危険が伴う事以外は関係は維持し続ける事なるが
歳食うって言う事は便利で自分の能力が落ちると共にお客さんも歳食って減って行ってくれる。

エンジンが調子悪くても歳食って後なんぼも使わんから我慢して使うと言う人もいるが
陸の上ならそれもありだが海は歩いては帰れません
そんな時はキッパリと足を洗いましょう潮時なのだ。
モノは無くなっても付き合いはかわらんのが商人なのだ。

歳食ってから海に出るのは思った様に身体が動かんから新品に替えて安心して使いたいと言う人
最近は残りの人生稼いだ銭を使い切ってやると言う人が多くなったような気がする。
そんな訳でこのエンジンオイルに水が混じる様になったエンジンをクソ熱い中でスズメバチの飛ぶ中で交換する事に


そんな中で町のスカンピンパン屋のアニーがこれと15メートル飛ぶと言うスズメバチスプレーガス缶をどっさり杖の上に置いていって呉れた。
俺は商人(あきんど)なので町のスカンピンパン屋がこれだけ稼ぐにはどれだけ大変かすぐわかる。
が~なのだお返しするにもボートか船外機でも持って行けとともいかんし何もない
歩いていける範囲の中でこうして日が暮れていく


ラーメン屋のガス交換に来たオヤジがスズメバチの巣を発見した。
これが秋までに

これは昨年ボートの中に作った物だが
こんなに大きくなるのだが一体どうやって増築するのか中から膨らんで行くのか外に被せて行き中は食ってまうのか
面白いので取らずに観察しようと思う。

スズメバチは不意の出逢いか相手に何もせんと襲って来る事はない
ここでは毎年数個の巣が見つかるが俺は刺された事はない
スズメバチが飛んでるのを見つけたら無心になって
観自在菩薩~ハンニヤ~シンギョウ~行者ニンニク~色即是食う~
と唱え危害は加えませんとひたすらバックする事が肝心なのだと思う。
もっとも巣を見つけたら後で完全武装して夕方全員戻って来た時に巣丸ごと全滅させてしまうので
俺って相当の悪だと思う。

利は元にあり

商売で何が恐いと言って仕入れを出来なくなる事が一番恐い
金さえあれば何時でも仕入れが出来ると思うのはおお間違えで
何時でも誰でも仕入れが出来る商品の価値は低く
その商品で競争し勝ち続ける事が出来る率も低くなる。
本当にいい物を速く安く仕入れる為には仕入れ先とのお互いの良好な関係が大きく作用する。
その為には仕入れ先に負担ばかり掛け極端な値引きを迫る事は返ってマイナスになる事が多く
掛けで仕入れをしてる場合は6月1日に仕入れをした場合は請求は7月頭に来て支払いは7月末払いと最大で60日程度の支払い猶予がある。
これが殆どが借り店舗やリースで資産を持たない飲食店でも
現金商売のうちは中々潰れない要因になっているが
このやり方が通るのは仕入先との支払いや人間性など普段の良好な付合いと仕入先問屋に資金的余裕があっての事で
問屋とのこの関係を断ち切る事を進めようとする政権の方針は日本の商業体系を大きく変える事になる。
現金取引のみになった時には海外資本に付け入る可能性を大きくし
何を食わされてるのかも分からなくなる可能性すらある。
この人間のクズでバカ政権は利は元にありと言う その元を使い日本そのものを破壊する。

次に恐いのは資金ショートで
明日入金があると決まっていても今日の支払いに間に合わない場合は倒産になってしまう。
その倒産によって今まで仕事を出し儲けさせる側がバカ野郎と罵られ
今でこそないが15年前なら身の危険さえあった そんな場面を何度も見て来たし
ここから海に散骨をしてくれと頼まれやった事もある。
多くの小規模事業者はそれを阻止する為に金融機関があるはずだが
後ろ向き資金には銀行は冷たいのは常識
ましてやモロに売上減少している現在に西村大臣はトドメを刺したと言っていい
この危機に金融機関に逆らえる小規模事業者はほぼ居ないと言っていい
このガースークズ政権は見栄張りで小心者の安倍晋三が招致したオリンピックを何がなんでも開催する事と
安倍晋三を訴追させない為に出来た政権なので他の事は何も出来ないクズの集まりだが
これはおよそ75パーセントの国民の支持があるから出来る事なのだ。
支持の内訳は棄権で現政権を白紙委任した者も支持者と言っていい
選挙を棄権した者達が途中で投げ出し専門の安倍晋三夫婦政権とガースークズ政権を作ったと言っていい
こんな連中に次の時代は乗り切る事は出来ない

今回のコロナの真の怖さはワクチンがたった一年で出来た事なのだ。
もう次の時代はミサイルなど必要ではなくなった。
自国民に予めワクチンを打って置き敵対する国には感染者を送り込めば経済も人心も破壊し資産や設備は無傷で手に入れる事が出来
ワクチンでさらに二度おいしい思いをする事が出来る事を証明した。

次の時代は公的支配を極力受けない輪の中で完結させて自立した荘園の様なものが出来てゆく様な気がしてならない