富良野二股青葉

あさ~雨だった。
オラ~オラ~追い越し車線をチンタラ走ってるんでね~ぞ
北海道に来て食えない冬は鮮魚運送トラックに乗ったので遅い車が追い越し車線をチンタラ走ってるのは不思議で仕方ない内地で追い越し車線をチンタラ走っていたらパトカーにまで注意される。
交通法規は安全ともう一つは物流の確保がある江戸にゆく為の上り路線と大動脈路線の為に広道優先や優先道路などを決めてるのだ。
混載の職業ドライバーに午後に集荷させて明日の午前中着などと平気で言ってのける連中は追い越し車線をチンタラ走ってはいけない
それが職業ドライバーにストレスを与え仮眠をも奪っているのだ。
遅い車はさっさと道を譲るべきだと思う。

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芦別野花南から道道70号線に入ってしばらくして冬期間通行止め
だけど通行止めの中に分水嶺を超えたあっち側の旭ナンバーのジムニーが止まってるぞ
ここを突破出来なければ富良野を回なければならず時間に間に合わない
横道を探すが中々無い右側のブロックを蹴り倒し入ってやろかと思ったが出口を考えて断念

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怪しいトンネル発見さらに上に仏舎利塔のような建物がチラッと見える 芦別は怪しい建物が多い
さすが旧産炭地と諦めて富良野に迂回する。
何かあったら道路管理者が道路管理者がと言われるからなのかいまは本当に通行止めが多い
何から何まで大の大人が自分で決められないのかな
山の向こうは聞くだけでも怖ろしい熊山 

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反対側の富良野二股青葉通行止め

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青葉のすぐ横にあった廃屋ここに住んで居た人はどんな生活をしたのか
火縄銃一丁とおぬぐる一個持たせられて
「 ここを好ぎなだけ開墾したら自分の土地だ~ 」
となんとかひでなしされて栃木辺りから入植したのだろう。勝手な想像

昔 神居岩からマサリベツに抜ける山奥に身体が不自由なタカコ(仮名)が居た。
猛吹雪の日は留萌川を越え原野二線を越え五十嵐町まで来て赤旗が立ってると学校は休み
あまりの吹雪に学校にゆくと怒られる時もあって貧乏人一団が青鼻垂らし固まりになって自力で帰らなければならなかった。
留萌川には当時穴らだらけの三尺幅ほどの橋が掛かっていたが学校に来るのも命掛け帰るにも命掛けだった。
何人もがその橋から落ちて行方不明になったが貧乏人の子はそんな事もあったか程度で済まされたような気がする。
文盲だったらしい親がカタカナで付けた名前のタカコの妹も川に落ちてしまった。
落ちて地蔵さんになった子もいる川の傍に今でもあると思う。
その時になして助けなかったと一人残った子を皆で責める酷い話が残って人間の怖さを経験してシマッタ
その川のすぐ横に住んで居た俺は尻馬に乗って提灯を付け相手にも自分にも悔やんでも悔やんでも悔やみきれない傷を残した。
東光小学校は今のジャイアンツパチンコの傍にあって場所的にはアルミの弁当箱を持てる町の子と海苔付オニギリなど滅多に食えない東の極貧の子と朝鮮半島の部落の子が混在する場所で
貧乏人はみんな昼飯は外に出ていた。

川の傍の原野二線は家畜の密殺場だった、丈夫な橋は鉄橋を渡るか留萌橋まで下がなければなかったのに
なして橋に穴が空いていたりすぐ割れる板で橋が作られたのだ貧乏は嫌だった。
そこはほぼ住井すゑの世界だった。

川を越えた山の中に小道があり道脇に誰が何を願ったのか昔から地蔵さんが何十体も置かれている。

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地方のスーパーに入るのが大好き
帰りに寄った芦別のフードD食彩館スーパーここはお気入りでこれで二回目

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なすて~なすて~増毛や留萌では売っていない生筋子がフードD食彩館にあるのだ
まさかTさんが釣って来て卸してるんでないべな、なんか納得するが?
芦別山をぐるっと囲む旧産炭地にあるスーパーはお客さんの風体がどことなく違い労働者と言う感じで生きてると言う感じが凄くして大好きなのだ。
肉やらここまで来て魚やら3800円ほど買ってシマッタ。

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雨で午後からの予定は変更になったので滝川のワンさん飯店にラーメンを食いに
根岸季衣に似た片言の日本語を操るお姉さんに中国ではラーメンを食う時にず~ず~と音を立てないらしいがと聞いた。
昼時だったので衆人は手を止め一斉に聞き耳を立て前にいたネエチャンは後ろを振り向いた。
根岸季衣似は口元に手をやりこうするとやって見せた。
初めて笑顔を見た。
嫌韓だの嫌中だの自分の身に振り掛かってから振り払う自信もまだまだあるので俺にゃなんの関係もない

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