責任者出て来い

やっと連休が終わった。
連休中に発注した部品がどっと到着して毎日組んでる。

昭和40~50年代はエンジンをバラすのが楽しかった。
中の構造を見るのが興味津々でタダでもいいからバラしてみたかった。
結果はこれは上手く出来てるとか 俺ならこうするとか思ってみた、言ってみれば作り手との対話のようなものがあった。
プリンススカイラインGT、いすゞベレットやビックリこいたのはホンダの軽トラックのDOHC
自分で乗るバイクは一度バラしてマニホールドの段付きやバリ取りをして組むと以前よりはるかに走る。
精度の緩さが面白かったが
いまは無いどこにも手を加える所などない
もし早く走らす事が出来たら それは耐久性と引き換えになるし限られたパワーバンドしか使えないのだ。
昔のそこらにある小さな20屯程度の船でも機関場には修理工場顔負けの旋盤から電気溶接などの設備があったし
旋盤を使うには材料の知識から入り直す事に凄い楽しみがあった。
いまの使い捨てエンジンに自分の考えなどどこにも入る余地はないのだ。
しょちゅう使ったノギスや光明丹は今では使われずにしまわれたままになっている。

昭和40年代の西郊通りにいた四年間には戦闘機を大量に作った土地柄
終戦を航空機関兵で終えた40代や50代の人達が沢山いた。
その人達は暇を持て余し工場によく酒を呑みに来て
修理の仕方が悪いとよく怒られたものだった。
戦時中の弾が飛び交う中で直す修理や灯火管制の暗闇で直す修理などは想像を絶する。
ましてや目の前の若者が生きて戻る事を許されない飛行機の整備など地獄と言っていい

道路で酒を呑んでる元機関兵の中に物凄い怖いオヤジがいた いつも酒浸りで乱暴だったが
どらとケルメットメタルを削る腕は確かだったが
なにせ恐かった。

いまの安倍政権を元機関兵が見たらどう思うのか聞いてみたい。
乱暴者だった俺が言うのもなんだが平和は自分の頭で考え自分の手で掴まえ育てないといけない

負けてさえ今の繁栄がある もし戦争をしなかったら

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