青森市に着いてしまった

 
幸畑墓苑内八甲田山雪中行軍遭難資料館
締り雪になる前の1月23日から最後に救出されたのは11日後になる寒かったろうに

本来なら青森側から資料館を見て露営地に行くのが逆に黒石側から入った為に近藤伍長像で沢山いたボランティアガイドの説明を先に聞いてしまった
後で行った八甲田山雪中行軍遭難資料館での資料とは違う説明が幾つかあった
遭難事件が起きたのは明治35年1月24日 明治がキーワードに
当時の陸軍大臣は児玉源太郎  青森歩兵第五連隊は兵卒はほぼ青森岩手東北の出で幹部は九州出身者が多かったとの説明だったが
神成文吉大尉は秋田県出身 山口少佐は東京 福島泰蔵大尉は群馬県で明治35年にもなると必ずしも薩長閥だけではなかった
もう一つは2月10日から捜索隊に加わったアイヌの人達の人数と出身地などや
山口少佐の最後なども違っていた
ボランティアガイドの前職によるのか、ここ津軽と新政府との関係なのか

 

 
犬を連れて捜索に来たアイヌの人達の出身地は落部
どうして海を越えた北海道ですぐ傍にいたマタギではなかったのか
マタギは単独行動が主だと思うがアイヌの人達は首長を頭に集団行動が慣れていたからなのか
なんでだろうと疑問が残った
北海道の先住民はアイヌではないと言う竹ナンチャラや水田水ナンチャラなど狂った者が居るが
間違いなくアイヌの人達は和人より先に住んで居た先住民である事は間違えない
ことさらそれ以上先の先祖と言えば大陸に繋がっていたので元々はモンゴロイドで猿人と言うのが一般的な説になる
シャクシャインの闘い1669年で和人に敗れてから明治35年は233年もたっているが
それでもアイヌの人は文字を持たない民族と言われて口承で文化を継承し同化されずに残っている、
口伝え文化は原作を読んだら映画は見れないのと同じなのだろうか
本は行間を読むが映画は考える間もなく押し付けられる
265年も続いた江戸時代から明治になり、いきなりちょん髷を落とし高帽子を被る和人
アイヌの人達その高貴な姿勢とシステムは驚くばかり


歩いて腹減った~長尾中華そば 背油煮干しラーメン950円を食する
北海道で食べる煮干しラーメンとは違うような気がする味が濃く美味いのだ


ラーメン食って、つがるフェリー乗り場に向かう途中で道路沿いや交差点にやたら人がいる
青森に天皇行幸啓があるとむつ市で聞いたが沿道や駐車場や建物の高い処に警察官や私服がびっしいて怪しい車や人を警戒してるのか
港まで延々といる何千何万人いるのかと思った。
2003年に富良野学田でセンチュリーに向かっていった軽自動車のオヤジがいて結果として白バイがセンチュリにぶつかった事件があった
明治だったらオヤジは即刻死罪だろうが確信犯が執行猶予付きの有罪で済んでいるのは
昭和天皇の意向が入ってると思うのは考え過ぎか?そりゃ~警備にも力入ると言うものだと思った
いかん八甲田山で気持ちが明治になってる


フェリー乗り場に行く為に左折する事になったが交差点に私服が立ってるので
こりゃ~歩行者優先だべ~と思ったので俺は止まった
しばらくしたら首からカードを下げた私服がイケイケと手を振るが
歩行者に「行け」と言われて反則切符を貰ったと言う話があったので 無視して止まってみた
いつまでも止まっていたらパトカーが来た


津軽海峡フェリー青森乗り場
まだ帰りたくね~
が心の臓に血圧に胃に穴が開いた時と何の薬かわからんが
4粒の薬が切れて二日目になる崖下村までさらに二日掛かるので仕方ない
青森ラーメンをもっと食いて~あと二日居たいのに あ~あ~

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