この浜から西南西の約8海里沖に樺太からの引き揚げ船小笠原丸が沈んでいる。
終戦とともに外地から引き揚げて来て日本陸軍略帽と陸軍外套を羽織ってここの前浜から家族を食わせる為に凍てつく冬の海に船を押し出す人達
この浜はなかにし礼一家がニシンを獲るために居たとされる浜でもある
当時は冬は道もなく線路を道代わりに使用し汽車に跳ねれて何人も亡くなっている
アラシの日には戸の代わりに下げたムシロを超えて来る波で寝てる間に靴が持って行かれると言う
とても厳しい つい最近まで行き止まりの袋小路の浜だった
それだけに絆の深い連帯感のある住民達で現在は移住者の俺を含め数人のみが住んで居る
子供達は自分の口に入る物、身に着ける物すべてどうやって親たちが手に入れるかを親の背中を見て知っている。
それから70数年後この凍てつく海に押し出していた船がすっかり変わり
8月26日に新造進水式があり30日には新造祝いと3代目継承祝賀会がホテル一棟丸ごと貸切りであった
俺がここの浜に移住して来て30年目になるが何度かの進水式を見て来てこれほどの大漁旗が揚がるのは初めて見た。
2代目船主の苦労を跳ね返し続けた人徳と
「 板子一枚下は地獄の漁師は200回成功しても201回目に失敗すればすべてが終わるのだょ 」と言う
その造詣の深さから地方からの大漁旗も多く
セコイ俺は贈った大漁旗が何処だと探してしまった
地元にいる者は誰でも知っている大変な苦労を何度も乗り越えて無事三代目に引き継がせる事が出来た。
その夜は参会者百数十人の二次会は町内の呑み屋さんは何処も船主持ちで朝まで吞み明かした。
その様は自分の財は地域の皆さんやお世話になった人達にお返しします
あとは3代目自分の甲斐性でやって若い漁師達の北斗七星になれと言っているようだった。
これからも平和が続く事を前提にして様々な投資が出来るのであって
すべては平和があってこそなのだ。
平和を続けさせる為には己を知り相手を知り我慢辛抱が大事で自分の思いのみで好き勝手にやっていては平和は守れない