月曜日は久しぶり旭川に行って来た
旭川は所々に古い建物が残る街で内地やアチコチ行って感じるのはこの古い建物が残る街は
それは永く維持し続ける為に後継ぎなど人的資源も要る新しくするより大変な事なのだ
古くは北方の守りの為に明治の第七師団から始まり経済と結びつきその名残が永山などの地名や建物に多く残っている
北緯43度46分標高120メートルの盆地にあり氷点下41度を記録している
旭川だけでなく北海道全体に言える事は生きようとしないと生きてはいけない地なのだ
半年雪に閉じ込められなんぼ歳食っていても雪を除けなければお陀仏になり春になった時点で休む間もなくやがて来る冬の為にアリの様に準備をしなければならない
それが内地に行くと北海道の人はよく働くと言われる由縁なのだ
北の大地は生きる為の力が必要になっていく
その力は暖かいノンビリした地に住む人から見たら粗暴粗野に見えるのかも知れない
いま旭川は叩かれ一纏めにして云々と言う人達はその地に立って空気を吸ってから
物事を考えるのがいいと思うのだ
それでなければただのゲスの極みだと
時間も余ったので予てから食べたかった昭和22年創業の青葉のラーメンを食いに行ったが
残念スープが切れて食えなかった
一度思い込んだらラーメン食わずに帰られようかと昭和24年創業の蜂屋に行く事にしたが近くに大好きなトライアルがあるらしいので腹減っているのに先に行ってシマッタ
ニュージーランドから生のまま運ばれるらしい生ジンギスカンは特に好きで食い切れるのかと言うほど買ってしまった
腹減って食品スーパーに行ってはいけないのだ。
蜂屋のラーメンは2度目だが見た目に圧倒されるが実は手の込んだスープで結構癖になる
どうやって作っているのか気になって仕方ないのだ
俺が言いうのもおこがましいが永い事続いて行くにはそれなりの訳があり言葉では伝え切れないまさに手数を重ねて来たラーメンと言っていい
俺は犯罪を防ぐ為に誰でも出来る事は「 ありがとう 」と言う言葉ではないかと思っている
その言葉はここから200キロ北に離れた厳しい自然の中で電柱に登る電気工事屋さんの自然に出る
「 ありがとう 」と言われた時に
なぜかしらその言葉を聞いた時によく言葉では説明出来ないが嬉しかった。