釧路の帰りは糠平温泉を通り上川に抜けて戻り旭川でもう一泊と思って糠平に向かう。
糠平温泉郷にある上士幌町鉄道資料館 ボタンを押すと当時の映像とアナウンスが入る。
この映像を雨の中カワサキ緑のEX250Pで旅する
彼に出逢い言葉を交わせただけで今回はいい旅だったと思える若者と一緒に並んで見る。
ここだけでなく昔の映像と喋りを聞くと俺はなんか悲しくなるのだ なんでだろう士幌線が廃線したからだろうか
HNKの昔の映像を見てもそう思うのだ。
他の人は知らんが この時代も俺は食うのがやっとだったからなのかと思ったりする。
ここで不思議な事があり当時は請求書を一枚書くにもカーボン紙を挟み電卓で計算して切手を貼って封筒に入れて
ポストまで投函し集金に行った。
それが今じゃ項目を入れるだけで計算され請求書がプリントアウトされるかメールで終わり集金すら行かん
時間は大幅に短縮になったがそれでもクソ忙しいし収益も大したかわらん
収益が変わらんのなら週休4日になっても良さそうなもんだが一体どうなってるのだ。
タイムイズマネ~が本当ならその浮いたマネ~とやらは何処に行ったのだと、
どうも誰かに騙くらかされてる様な気がしてならんのだ。
釧路から白糠に掛けては廃工場や離農地がなぜこんなにあるのだと言うほどある。
農業や商売など夢を描いて始めた者や食って行く為に始めた者などいたと思うが
それが続かないで離農や廃業をしなければなかった原因は何処にあったのかと思考する時に半世紀に渡って商売をし今まさに終業を迎えようとしてる俺はなんの為にやって来たのか振り返るのはとても大事な事に思うのだが
終業をしなければならない大きな原因に夢と希望を与える事が出来なかった後継者問題は大きい
廃業は一代目が散々苦労して開拓した物がすべて地に帰る事になる
それは一代目が掛けた労働力や資本の元を取る事すら出来ないで唯々苦労に苦労をして終わってしまう事になりかねない
これは鉄道線路も同じで時代の流れと言って役目は終わったと言って 廃線をしてしまっていいのだろうかと
言う疑問と重なるものがあると思うのだ。
士幌線など道内には木材切り出しの為だけの路線は沢山あったが設備費と木材販売利益だけで貸借は吊り合いせば良かったのだろうか もっと違ったものもあったのではないかと
高度成長経済時代が1955年頃から始まった事によって農業政策も変わり工業生産物を輸出して農産物は安い国から買えばいいべやとなり
農村の次男、三男を金の卵と都会へと向かわせる人口流失が画策され便利な生活と三種の神器を手に入れたが
都会の貨幣経済によって代わりに自分の時間を売り渡して来た。
今になって思うのはもっとゆったりと流れる時間が必要でなかったのかと思うのだが
資本家と労働者と言う二極対立によって労働者にリゲインを飲ませ24時間働け、遊ばせてならんとやって来た結果が現在に到ったのだと思うのだが
三種の神器を買う事が自体が目的になり自分の時間を売り渡した次は車と物に依存させる事によって経済は回り楽も出来ると言うのは少し違うのかも知れん
ここ崖下村にも自転車しから乗らん一生をせいぜい数キロ内で終わる人達が居るが
それが毎日が楽しそうなのだ。
なんかよくわからんが留萌線ももうすぐ廃線なるが廃線と人々の意識や生き様や幸せは連動してる様に思えてならないのだ。
旭川に一泊しようと思っていたが日本海側暴風警報が出たので崖下村に戻る事になった。
いまや世界中の気象は連動していると誰でも知っている。
数百年後には地球上の人の思いや生き方や幸せは連動してると数式で証明されるかも知れん