身体を張った揉め事は負けた時の恐怖心は実体の何倍にも想像を膨らませる。
それをいい風に指導者が利用し身内に銃を向けさせたのがカンボジア、ポル・ポトで現代のミャンマー国軍であり北朝鮮や習近平とプーチンといい
そったら狂った指導者のもんは出来るだけ買わん様にする為に
値札の生産国をしっかり確認せんといかん 商人(あきんど)的にはおよそ2割以上売上が落ちたら
その国の物をわざわざ輸入してまで商売するメリットはない
道の脇に余裕があるとドラム缶がアチコチに置いてある。
丸太株これもアチコチに置いてあるが
理由は後で知る事になる。
水タンクと岩陰の丸太株のセット
今迄考えた事も無かったが電気は上には簡単に上がるが水は上に上げる事は難しい為に水道は無く澤水をタンクに貯めて山の上の民家が使っている。
商店前の軽がやっと通れる狭い道を鉄の柱を使い道を拡幅してる。
その下にも人家らしきものが建っている。
紀伊半島の川は独特のエメラルドグリーンの色がしていて北海道やその他の地方では見る事は珍しい色をしてるが魚の影は見る事は無かった。
水清ければ魚棲まずは本当の話でいてもヤマメかイワナだと思うが
皆食ってしまったのか紀伊半島の山に野生動物は全く見なかった。
動物性蛋白質はどうしてるのか
この古い橋がアチコチに掛かってるが橋が無い時代はどうしてたのか
そう思う時に橋も無く川を越える事が出来ずに雨竜町に出ずに暑寒岳を越え増毛に来たと言う国領の話を思い出す。
宇陀市から吉野町を通り下北山村から十津川村に向かう。
安い輸入材で林業はまったくダメと言うのにどういう経済構造なのか結構立派な家が多い
十津川村は江戸時代に作物は取れない為に年貢が免除されていたが
武士と同格の郷士と言われ幕末期には京都にわざわざ駆け付けて揉めている。
古い家の表札には武士と書いてあるらしく現在でもこの山々で鍛えた足腰もあってか剣道はやたら強いと道端で作業してた若い衆が言っていた。
もう十津川村民は日本の山岳民族と言っていいと思う。