第十四話 お礼参り

毎年8月13日はお盆、墓参りである。 誰にとっても、祖先が縄文人だろうが渡来人だろうが祖先を偲ぶ重大な意味を持つ日なのである。
この日8月13日は、毎年恒例の地方からのお客さんが来る。
それは、最近買え換えたらしい、小作りながら高級そうな黄金色のメタリック車。 俺はクソ色と呼んでいるが、俺の仕事場に横付けになり、後部ドアが一度縦に半開きになって襖(ふすま)のように横にうやうやしくスライドして、中から身なりの上品な年配の老夫婦が降りてくる。 さらにあとから運転している女がおもむろにサングラスを外しながら、

これまた少々、十朱幸代っぽいスレンダーな女が ヴィトンのジーンズを履き運転席から降りてくる。 

この老夫婦の娘である。
老夫婦にとって、最近は身近で大事な留萌の墓地に墓参りに行く途中に、娘の車に乗って
毎年8月13日に寄ってくのである。 

留萌の墓地は、ビジネスマンの俺が考えても拍手喝采の効率の良い墓地で、場所は海の見える高台にあります。 墓場の隣は火葬場で、その隣は僅か数メートルの緑の分離帯を挟んで老人ホームです。 なんと老人ホームを訪ねる人が火葬場に直行などもあるわけです。 

「気が早いっての!」

無駄が無いと言えばないと言えますが、まさか市の建設課に神のお告げでもあった訳でもないでしょうが、予算の無駄をなくしオートマチックにとはこの事だったのかと合点したしだいです。 この時、このオートマチック構想は市の市議会で決定したそうです。
そんな場所に戦後日本を支えてきた人たちの老人ホームが有り、その隣に墓地が有るわけでして、一坪100円にもならない山里に効率の里が出現した。

北海道に旧家というものが有るかどうか分からないが、一応、この女の祖先の墓は留萌の海の見える高台にある墓の中でも大きい墓の部類に入る。
場所も、この墓地が出来た当初に作ったので、今となっては一等地の入り口にあります。
墓参りの人はこの墓の前を通らなければならない、 そんな場所に有るわけでして。 

俺が初めて見たときは、墓地のメモリアルシンボルかと思ったほどである。 ここにある墓で大きいものは、昔、墓の中で博打をしたと言うほど大きい。 多分、ニシン場の親方かなにかの人の墓なのだろう。 十朱幸代っぽいスレンダーな女は、留萌に花を持って、メモリアルシンボルと間違うような祖先の墓に供養に来る。
そのついでに寄るのである。

車から降りた女は素早く辺りを見渡し、昨年と変わらないことを確認する。
些細な変化でもあれば目ざとく見つけ、質問される。 
設備対効果、利益率、無駄な投資はしていないか、借入金の返済状況など僅かな時間にすべてを査定して帰るのである。
帰り際に「体に気を付けて」と言うのが、毎年8月13日の恒例の決まり文句である。 

これには意味が含まれている。 
ようは、体に気を付けて稼げと言っているのである。
ここはすべて、雑草の果てまでこの女の慰謝料として手中にあり、俺は毎日こまねずみのように稼いで財産を減らす事のないように管理させて頂いている。

何の因果か、この女は買ったばかりの少々値の張る1600CCの準スポーツタイプのツインカム4バルブ、4シーターの車を乗り逃げした女なのである。 
おまけに自分で持ってきた家財道具と、その後にふやした家財道具一切合切持ち、逃げた。
後には、36回払いで買った車のローンが34回分と、自動車税と切る事の出来ない任意保険が残った。
最近買い換えたこのクソ色の車を見ると、俺は夏祭りの夜、家具を持ち去られたあとの壁に残った家具の跡を呆然(ぼうぜん)と見た時に感じた、戻しようのない反省の日々をまざまざと思い出すのである。

  北海道に帰ってきた浮気モンの俺が三角関係に悩み、

さらに優柔不断で強欲な俺が自分で決断できずに、最初は住んでいた高校前の千鳥町にある並木道で、アカシアの葉っぱを一枚づつ剥ぎながら占っていたのだが、良く考えたら葉の数はどれも同じなので、結果は最初にスタートした時に決まっているのである。
そこでアミダ(クジ)にした。 3人のうちアミダで選んだのがこの女なのだ。 
アミダで選ばれた事を告げたら、「選ばれて嬉しい、貴方の好きなものを作って上げる」と喜んで毎度ラーメンを手作りしてくれるのでした。 それが今の海栄ラーメンの原型です。
モテ過ぎた昔の話ですが。

学校に行っていない俺は、学校と言ったら留萌中学か敵対関係の港南中学しか知らないので、
聞いた事もない学校にいっていると聞いた時は、相当頭が悪く地元の学校に行けなかったのだなと解釈し、俺が守ってやらなければと張り切った。 
顔は利口そうでなかなかマブイが、「天は二物を与えず」と言うが本当だなと、その時は深く思った。
お互い、まったく想像も出来ない世界を歩んできただけに新鮮に感じたのだった。
のちに気付くが、これは大きな勘違いだった。

今時は膝に穴の開いたズボンを履くことがお洒落らしいが、そんなのは時代遅れなのである。
俺は、もう何十年も前からすでに穴開きズボンを履いていた。 おまけに青っ鼻を垂らして袖で拭いていたので、あちこちスパンコールのようにテカテカに光っていた。
眉毛は、いつも張り合っている世界なので吊り上がっていた。 今風に言えばキリリとしたお顔となる。       

 お互い 恐ろしい勘違いで引き合うのである 

自然児はただ山菜しか食う物が無かった。 
純粋はただの世間知らず、 物事に動じないのはただの鈍感。 
働き者はただの貧乏性、 お金を大事にはただのケチ。

お互い、勘違いもここまで来るとノーベル賞ものである。
物事考え方がすれ違うことは、なんて素晴らしい事なのだろう。 お互いどこまでいってもぶつかることは無いのです。 
それに”はた”と気づいた時はすでに遅く、今までの倍返しである。 

知らないで良かった事を、知っても呑み込むだけの器量がない奴が知った場合、これは悲惨な結末を迎えるのです。
お互い見るべき物も違う。 ノースを見ているとき、方向は同じなのに今自分がいる位置で指さす角度が違う。 15分を指さす人や18分を指さす人が出てくるのです。  
人間一人どれほどの違いもないのです。 
今日明日でなく、もっともっと遠くを見つめたら、そんなに目指す角度の差は無いはずでした。

悪いのは俺でした。 
嫁さんを失うということは、その父親と母親、そして弟を失うことなのです。
出来の悪い・・・婿でした。 なんの親孝行も出来ませんでした。
いつも勝手に冷蔵庫を開け、勝手に飲み食いする事も出来なくなるのです。  

俺が嫁さんの実家に行くとき、実家はCIAかKGBさながらの情報網で、いつもは歯の抜け掛かった年寄りの口に合うだけしか入ってない冷蔵庫に、その日だけは好みの物を入れて置いてくれるのでした。
最初から呼んではいないが、もう「お父さん」とは呼べない。
生まれてこの方、実の家族と暮らした年数は片手と片足の指が有れば充分なくらいしか一緒に暮らしていない俺にとって、
本当は頭がいいくせに義理と人情を理解できないクソ生意気な嫁さんを失ったことより、買ったばかりのツインカム4シーターを失ったことより、帰るべき家族を失った事がもの凄い事でした。

俺と、留萌の駅前信金の並びにある豆腐屋の二代目兄貴とが、時を同じくして嫁さんを失いました。  

会えば異口同音。
嫁さんが居たときはモテたのに、嫁さんが居なくなったとたん潮が引くように、マツゲの長い綺麗なお姉さんも誰も居なくなったとタメ息をつくのでした。  

「兄~よ~お互い勘違いしていたんだよな~」

「男として最後の踏ん張りは、逃げた嫁さんの幸せを見届けるしかね~な~」

ここでため息しかでない俺達でした。 豆腐屋の兄貴は豆腐の角に頭をぶつけけりゃいいが、俺はあいにく仕事柄、頭をぶつけたら本当に死にかねない物しかないので、どこにもぶつける場もなく稼がなくてはいけないのでした。 

食い詰めた時もありましたが、仕送りは金額でないと思うのです。 

10円でも100万でも金額ではなく、僅かでもお金が送られてくる事が大事なのだと思う。 それは貴方の今後を保証しますよという証だと思うのです。 そして、男として生きた自分に対するケジメの付け方だと思うのです。  
子供のいる夫婦にとって、自分が死んだとき子供がいたら遺産は子供に行きます。 いれば子供に「お前のお母さんだから大事にしてくれ」でなんとかなりますが。

子供がいないと、籍の入っていない元嫁さんにはまったく取り分はないのです。 遺産の取り分はまったくありません。
通常は生命保険も法定相続人にいきます。

でも一度は惚れた女だったはずですから、やはり幸せを見届ける義務は、男ならあると思うのです。 それを見届けてからニャン、ニャンと行かなければいけないかなと思うこの頃です。

せめてここに来るときはオンボロ車を借りてきて、駐車場の前でエンストの一発でもしてくれたなら仕送りも弾もうと言うものだが、どう見ても身なりもクソ色に輝く車にも、俺より数段いい 生活がうかがい知れる。  

グズでセコイ俺は、現金封筒に入れる紙幣を出したり入れたりするのであった。

ま~逃げられる 前から苦労の掛けっぱなしだったから
シャーナイと諦めている。 

ちなみに当店ではいま、シャ~ナイ鳥の焼き鳥をしている。
これは今年、秋田に旅行に行ったときに比内地鶏の焼き鳥を食べた際、とても美味かったので、当社も社内で焼き鳥をする事になった。 だが品名を社内鳥ではあまりにも露骨なので、シャ~ナイ鳥の焼き鳥と命名した。 

焼き鳥一本から僅かな口銭を稼ぎ、新札を古札に換えて、外見だけでもと水増しして仕送りをするのでした

苦労をかけられた分のお礼参りをしっかりして、

十朱幸代似の女は今年も手を振って去っていきます。

俺にとっての8月13日は、年に一度の、逃げられた嫁さんの家族に会う大事な日なのです。