第八話 それ行けカムエト岬

  第一報が入ってからは色々聞く事がある。仕事は段取り八分よ。
 一番に聞くことは名前。 意外と自分の名前を言わない人が多く、慌てると名前が言えない人が多いのです。 落ち着かせる為にも、まず名前を聞きます。 他には場所です。 船のバッテリーが上がってしまった場合は、GPSが使えないので場所の特定が出来ませんが、腕時計でかなりの精度の場所特定が出来ます。

(沿海仕様船舶は、沖合20海里以上は海上法規で出られませんので、晴れた日なら) 陸岸の山や大き目の建物が見えます。 もっとも物標の名前が確定しなければなりませんが。
 一つ目の物標に零時を合わせ、二つ目の物標が何時にあるかで、かなり正確な位置の特定が出来ます。 距離は、正確には一海里は1852メーターですが、 海の上で通常は走行しながらの暗算でそんな細かい事は計算しませんから、52メーターくらいは(釣りでもするなら別ですが)切り捨てます。 単純に倍の×0.9です。 20海里の倍40×0.9=36キロ、誤差1040メーター、36キロ走って裸眼で捕捉出来る距離内です。 増毛、小平間の距離、べた凪30分で到着。 怖いのは角度です。 お迎えボートは時速シーマイル40出ますから、 時計方位で1時8分の方向へずれておよそ8分走ると、元のコースからおよそ4海里離れて走る事になります。 これは裸眼では本来のコース上の目的の船はもう見えません。 

  この角度の単純計算式は、最近みんなで飲んでいる時に土木の雅美さんに教わった、直角を出すときの三、四、五の「大工の定理」?を応用したものです。 

  だけどよ~、四合瓶も一升瓶も見分けの付かない、知性などどこに有るのかと思う飲兵衛達の集まりに、ピタゴラスの法則だの三角比がケンケンガクガクと話題になるとは思わなんだ。 これは現場で仕事をする時に縄だけで直角をピッタリだす昔からある方法らしい。 知らないのは俺だけだった。 毎度面倒くさい事をしていたのになんてこった。
 百済を祖先に持つらしいガメラ親父に至っては、三角形の定理とやらをそのへんの紙切れに鉛筆で確認の計算をしてみせた。 底辺の二乗と縦の二乗となんだ、やらこんだやらで正解だそうだ。 そこにはいつもべったりと夏向きでない女が張り付いていて、 「貴方って頭いいのね~どうしてそんな事知っているの~」と斜め45度下からうっとりと、20年近くも連れ添ったガメラ親父の顔をのぞき込んで毎度毎度言うのだ。 またかよ!
 だが夏向きでない女の名誉の為に言っておく。 頭はすこぶる賢い。 この一言に賢さが見え隠れするのだ。 別嬪さんでもある。 人は見かけによらないのである。 浜や港町で、腰の曲がったジイ様達が「あ~すたん」とか「ご~へ~」とか言っているのは、おたんこなすの五平ジイさんを呼んでいるわけではない。 あれは女王陛下のエゲレス海軍の言葉で「go-head 」進め、船の頭が訛り「ご~へ~」前進を意味します。  「あ~すたん」はai stern 、スタンは船尾ですから後進を意味します。 こんな田舎の浜でも、女王陛下の海軍用語が普通に飛び交っています。 もっともジイ様達が今も女王陛下?に仕えているのは事実ですが。
  浜には本船に乗って遠洋漁業で世界の海を飛び回り、世界から日本を見てきた人達が、キコキコと自転車に乗ってそこらかしこに居るのです。 港町や浜では年から年中海の上だから車の免許が無い人が多く、自転車に乗っている人が多いのです。 これはどんな人にも言えるが、その仕事を一途にしてきた人には工夫と知恵と見識があり、謙虚に聞く耳を持てば聞こえてくるのである。

 二番目は故障の原因特定です。 この故障原因で一番多いのは、バッテリー上がりや燃料切れ、これは以外に多いのです。 まず船はたえず流されていますから、今の位置から元に戻るのは燃料がいります。 小型船は揺れているから燃料ゲージは当てにはなりません。必ず別タンクで燃料を持つこと、滑走型の船はべた凪と時化では燃費が極端に違います。
 エンジンが止まる時に異音がして停まった場合は、直らない事が多いのです。 この場合は曳航と言う事になりますが、ボートでは曳航は難しい。 それはボートには変速切り替えが有りません。
 小さな船でも、最初から曳航を目的にしたタッグボートはプロペラの構造が違います。  特にシュナイダープロペラは、舵板もなく、その場で旋回出来るなど特筆すべき構造です。  もし見ることが有ったら、その構造をじっくりと観察して下さい。 一目で分析出来たら貴方は天才です。 通常のスクリュープロペラは、最高回転数で最大速度が出るようにピッチ角度が固定されていますから、[専門的には多少違いますが]車で言ってみれば、最初から最後までトップギヤに入っていると考えても差し支え有りません。 トップギヤだけで山坂を牽引したらどうなるか分かりますね。

  波は船が停まっている場合はただの上がり下がりですが、船が動くと山坂になり登ったり下ったりするのです。 曳航の場合、当然負荷が二隻分掛かります。 そのために最初から修理が出来ないと判断されると、スピードが出なくても大きい船で出港することになりますが、現着が遅れいいことではありません。 小さな船では共倒れに成りかねないから、あくまでも曳航は最後の手段です。
  あと釣りの餌があれば、待っているあいだ釣りをしているのが気が紛れて落ち着くのと、釣った魚は開いて干すのです。 最悪は食料になります。
  日本海は地中海より狭いと円章さんは言ったが、地中海はどこに流れ着いてもバカンスの国とカジノの国で、モナコ公国のそばには素直に読めばナースの海岸と言う避暑地があるらしい。 どこに流れ着いても地中海の海岸は派手と浪費こそ美徳のお国ばかりだが、 日本海の対岸は朝鮮半島、中国、ロシアと質素倹約が美徳のお国。 あまり流れ着きたくない国である。 行きたくない人は普段から点検整備は万全に。

 話は元へ。 その日は飲んだくれのキムとタッグを組み出港した。 約30分後に現地着。 ここから作業が始まりですが、即作業と行きたいとこだが、いつもの大事な挨拶が先です。 
 船に飛び移った回数が フィフテイの大台を越えた俺達が思う。
港に戻ってからの修理代は別ですが、他人(ひと)様に手を差し出す事で何が一番大事か、それはあくまでも自分の問題なのです。 仕事でもない義務でもない。 仕事なら予算があり損得があり、これ以上は損だからしない、義務ならここまでやる義務はないとなりかねない。 そうではなく、やれると踏んだら成功させる。 上がってなんぼ、自分に点数を付けるだけです。 今でもこれからも、元気なうちは変わらないだろう。
 自分に対する行動だから、キムも竹ちゃんも、無事港に着いたらハイさいならで、残るは自分たちへの誇りだけである。 ここで鳥羽一郎そっくりの竹チャンが、気の利いた「一発ギャグ」をかます為に海に出ると言っても過言ではない。 大概は前回のギャグに軽く塩振った程度の変化のギャグなので、聞く方はそれは大変なのである。
 さすが元漁師と利尻の漁師の倅、人に手を差し出すと言うことは何が一番大事かをよく知っている。 タッグを組んだ相棒キムと、成功したら上がりの点棒の代わりに何を貰うか決めるのが先です。 あの兼好法師も言っている 「物くるる友はよき友」と。
 決まった! 彼、宮川俊助は、札幌の居酒屋の御曹司だからパスポート19CR115馬力に乗っていられるのである。 今回は一行程160リッターから200リッターの燃料を使う代わりに、当然美味い酒が届くはず。 ご褒美は酒二本、さ~、終わったら皆で酒盛りだ~い。
[俺たちが使用しているロープは特殊なロープで楽に30メーターは飛んでいく。 参考にしたい方は掲示板にアクセスして下さい]

  ロープを投げる前に、身振り手振りでお猪口を持つ仕草をして合図した。
 一度 スイカくれたら助けてやると言って助けた事がある。 スイカの時期に少し早かったので、港に着いたら船主はあちこち探して買って来てくれたが、おまえ達には似合わないと、新の字と一緒にいた少しケバイどこかのオネエチャンに横取りされた。  

 陸に足付けている者で、心配して待っていたのに挨拶がないと怒る人が必ず一人や二人いるが、挨拶は当然だが野次馬全員には難しい。 野次馬は、無事戻った事を確認したら速やかに解散するか、無事戻った者に暖まれとワンカップでもキャラメルの一個でも手のひらに乗せ差し出し、その場を立ち去るのが最高の思いやりだし、そうやって人は他人に心配かけ迷惑掛けて育っていくのだと思う。
逆に「皆さんに心配かけたからこれ飲んで下さい」と酒を持ってきても、 「そんな心配や迷惑掛ける奴の酒は飲めない」と断る。  これまた、今まで誰にも迷惑も心配もかけず生きてきたと自負する、神か仏かみたいな奴が必ずいる。
 物を貰うと言うことは、その物に気持ちが上乗せになっている事を忘れてはいけない。

  話はずれたもとえ。
  その日はキムと二人で酒二本に体を張ることになったが、嫌な予感がした。 えてして悪い予感は当たる。 CDIピックアップコイルが断線しているために、現場での修理を断念して曳航して帰るはめに。  ピックアップコイルは非常に細いニクロム線の為に破断する事が多く、エンジンが冷えると縮まり、また繋がると言うことを繰り返し原因の特定が難しい箇所です。 
 曳航してやっとマリーナーに帰港したのは、宴会に丁度よい夕方だった。
  その夜の宴会は、10分に一回のギャグではずんだ。