土日ラーメン屋が終了した
2日間にわたり下は小さな子から吞兵衛までと来て呉れた人達と呑んで食ったが
海水温上昇でいいホタテが買えなかったりもあったりしたが出来る限りの事はやったので
ペットロスではないがラーメンロス状態にある
これからひとりで春まで花籠り生活になる
いつもなら走ってから考えるのだが雪が降る前の10日休暇をどうしようか悩んでばかりいる
船の上架まではまだ間があるし
最近は山陰や美濃が面白いが収入が減ってるのにフェリー代が7万だし遠いし
東北は10年以上通ったし
北海道はほとんど行ったし、いつでも行けると思うし
道内で行ってみたい処は狸小路で上映中の映画を見て食って呑んでと思ったが
『ヒンド・ラジャブの声』を見たら食って呑む気持ちにはならないだろうし

当時では画期的なアルミブロック 5べリング、クロスフローヘッド キャロル360
複雑な構造で整備は誰もやりたがらなかった 出だしスピードは自転車の方が早かった
初めて自分のバイクを持ったのが山口オートペットで、
それから安いバイクでスピードが出るなら何でもいいと乗り換えって来たが
街もただの周回トラックと同じように市内をどれだけ早く走り抜けるかを競って来た
当時のエンジンはキャブやインシュレーターやINマニに製造上の段付きなどあるのは当たり前で
これは今のエンジンでも小馬力エンジンは馬力制御をインシュレーターやINマニで行ってるエンジンは多い
部品を外し夜な夜な段付きをやすりで削り内面をペーパーで磨き
おりゃ~と走ると違いを体感出来るほど変わる
土曜日夜になると鍋田干拓防潮堤に拾って来たようなボロボロなバイクが集まり始めた
なんの交通規制もない白線もない干拓堤防は
数年前に出来た40キロほど先にある鈴鹿サーキットに行く銭など何処にもない
朝早くから夜遅くまで、雑用付住込み、怪我と弁当は自分持ちの日給月給200円の工場で油にまみれて働く若者が集まる場所となっていった
当時は一番近い家など海の向かいにある知多くらいでどれほど騒いでも音など聞こえようがない場所だった
そこでは自分のエンジン調整を試す事が出来たが交通規制がなかった為にコンマ何秒違ったら
他車とぶつかっていただろうという事を何度も経験した
それでも手を油で汚しやった結果が感じられるのは楽しかった
やがて高度経済成長でモトクロスになりモービルレースと参戦していく事になっていく
走ってから考えるのはこの頃の生活から来てるのだが
最近は考えてばかりで決断が出来ない
成長なのか、退化なのか、少しは利口になったのか
休暇は10月一杯に取らなければならない
