石に刻む

自民党の処分が出揃ったが石に刻みそうな勢いで怒ってらっしゃる先生様もいるが未記載はそもそも自分らで決めた法律違反でしょ、
それは自民党ではなく検察が処理すべきものだと思うのだが
なぜ検察は途中で止めて起訴をしなかったのか思うに二つ
ひとつは86人を全員起訴をしたら政権与党は成立たなくなる事から忖度して途中で起訴を止めた。
もうひとつは加計、森友、サクラと安倍晋三長期政権が握った人事権で育った検察内部も腐ってる。
どんなに支持率が下がろうが言われようが岸田首相は安倍晋三長期政権残党狩りをしなければならない
金儲けが上手い自民党は儲けて税金を集める、野党はその税金を使い金儲けに散々コキ使われた下々を助ける。
与党と野党が両方共に助けあってこの土地に生きる者が幸せに暮らせる道を進むのが政治だと思うのだが


脱輪からデフロックを使い脱出してさらに進んでやっとこさ付いた先が

 
下蒲刈 家と家の間が軽がやっと通れる幅


下蒲刈 瀬戸内海の海上交通の要衝として栄えてきた町で、江戸時代には朝鮮通信使も立ち寄った地
残念ながらこれは移築した施設なのと内部はなぜか撮影禁止
暇そうで見学者は俺一人だった中に説明大好きオヤジがいて考える隙間も与えずに付いて来てずっと自分の話をしゃべり続けていた。
中に朝鮮通信使の立ってる人形があったが背丈が俺と同じ170cmあった。
渡来人は比較的大きかったが江戸時代に実際にそんなに上背があったのかとオヤジに聞いた
「 朝鮮通信使はお客さんだから大きく作った 」とオヤジは言った
江戸時代から忖度は有ったのだ。


すぐ裏には瀬戸内海がありその流れの速さにびっくり その速さは川と言っていいと思う。

 
なんだなんだ何処かで聞いたような


ここだった。この歌はこの橋を渡って島々の地名を順番に歌ってる事がわかった。

 
こう言う路地を歩くのは大好き どんどん先に歩くと


出ました墓が 観光案内所で後から聞いたところ山の上にあった墓が崩れ落ちて来て縁者の無い墓をここに集めたらしいとの事だった。

 
寛政6年 同女遊加や安永6年高橋市なにがしの文字が石に刻まれてる。

 
十三才や四月ナ?七日なにがしや判別出来ない石もあり遊女の墓らしい
それでも亡くなった後に誰か思い人(おもいびと)がいて海の見える丘の上まで運び石にありったけの字を刻んだり字の書けない者はただの斜めの線のような印(いん)を刻んだと思う石もある。
字を刻む銭がある者や字を自分で刻む者や字を書けない者も思う人が息が絶えても躯と石をその高い丘まで運ぶ思いは何も変わらんかったのだろうと思う。

この海に囲まれ閉塞された地では漁師か野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかで識字率は低かっただろうと想像されるが
字や知識を覚えてる事と内面の思いや前に進もうとする事はまた違ったものがあるような気がしてならない
俺が思うのだが社会に出たら目の前の問題を様々な角度から自分の眼と身体で見て調べていく事をしないと家族は食わせていけない
ある意味高校までは知識の吸収だが社会は常に自分で知らべ探求する
その様は社会は大学と何も変わらんのではないかと思う
義務教育も中途半端で高校も大学も行った事ないから知らんけど

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