田舎暮らし

この時期は朝から晩まで同じ事の繰返しで苦痛なのだ。
機械には壊れる場所が大たい決まっていて そこを重点的に分解して見るのだが修理工も半世紀もやってると何となく勘と言うのか結構当たるが大丈夫と思ってるのに分解し点検する事は無駄な作業と費用も掛かり結構苦痛になる。
大丈夫と言う思い込みがその後にしっぺ返しが来てトホホとなったりと点検作業は自分との戦いになりほんと苦手なのだ。
何も無くて当たり前 あったら切腹モノの危険な航空機などの点検作業をする人達は相撲行司の様に短刀を呑んでいるのかもと思ってしまう。
派手さはないが点検作業だけを生業とする人達には本当に尊敬してしまうのだ。


例年はすでに終わっている作業が思わぬ事があり仕事が大幅にずれ込み例年の雪降る前の長期休暇も何処かにいってシマッタ

地方都市から田舎にやって来て住み付く人がいるが見ていて思うのは
田舎から都市に行って暮らす事は出来ても都市から田舎に来て暮らす逆はかなり難しい事がわかる。

ここ崖下村では銭などあっても使うのは週二回来る移動販売車くらいだしタクシーもないバスなど坂の遥か上だし他の集落ではバス停まで5キロ10キロなど普通にあり
数台あった乗合白タクも陸運局の摘発に遭い全部無くなってしまった。
タダならいいが有料はダメと言うがでは10キロも歩かんならん場所はどうすりゃいいのとなるが対策がないまま都会の本局から摘発が先に来てしまう。

田舎暮らしにスローライフなどハナからないのだ。
季節季節で
秋には冬の準備と春にはこれから来る芽吹きの為の準備に土を起こして置くなどやって置かなければならない事が沢山ある。
その一つ一つは自分の手を使う事が基本で
その為には木を切る釘を打つ紐を結ぶなど素材を型にする寸法を測るなど技量が必要になっていきそこでは自分の器量が問われるのだ。
ここは漁業と農業の一次産業の田舎町だがコメ作りに関わる人達の
百の姓を持つ者ものと言われ百姓は
小屋など近所で集まり簡単に作ってしまうし刃物砥ぎから農機具修理といいなんでも自分達で出来てしまう。
そこまでいかんでも身の回りの事が出来ないでは田舎暮らしは出来ないのである。
新参者が物珍しいうちは近所もアッタラコッタラやって呉れるが
あとはすべて自分の手を使いやらなくてはいけない
これを乗り越えなくては田舎暮らしがドッタラコッタラ以前の話になり
移住はして来たが自分は何も出来ない奴と自覚するも手遅れでただの自堕落な奴になっていく様な気がしてならない


右角の川カジカは体長12センチあり大きいが天塩山脈より西側で採取したものは育てる事は難しいが石狩川水系のカジカは水槽でも育つ
田舎暮らしには何にでも興味を持ちその中から不思議を追求し生涯学ぶと言う気持ちがないと面白くも何もないと思う。
もしかしたらこれからノーベル物理学賞は日本からは出ないかも知れないと思った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA