メシ食った。

免許更新用の眼鏡を作ったり眼にいいナンチャラ言うサプリを呑んだりした。
更新は出来たが左眼角膜が切れて視野が極端に狭く条件付でなんとかなったがそれより
よく録音した自分の声を聞くとあれ~こんな声なのかと思うが
初めてサツドラの駐車場にある証明写真の箱に入って写真を撮った。
そこから出て来た写真を見た時に
誰だこのロクデナシ風の顔はと普段鏡で見る顔とは全然違うのだ。
なんでだろう脳が勝手に自分の顔を作るのだろうか
最近は目元が綺麗なお姉さんがやたら多いが疑り深い俺はマスク以外で見える処だけ入念に化粧をしてるのでは思ったりしてるのだが


南海道の川はどこもこんな感じの色が多く熊野古道博物館で有機質が少なくドッタラコッタラと書いてあったが本当にそれだけなのだろうか海の青さとは全然違うので疑ってシマッタ
水清ければ魚は極端に少ない

2200年前に徐福が始皇帝の命で船で出発するがここ波田須に流れ着き永住する。
秦の時代の半両銭も沢山見つかっていると書いてある。
南海トラフ地震は100~200年毎に起きるらしいが2200年も前の物が出土するのは地形がどっち向いてるかで津波の被害が違うのだろうか

崖の上にある徐福茶屋

熊野古道博物館 熊野古道ほんの少し歩いたが楽な道なら修行にはならんわい
俺は修験者ではないので熊野古道は数十メートルで断念引き返す瀬棚の太田神社の比ではない

なるべく人に逢わん様にして歩き主に自炊したが昔はよくあった定食屋に入って今回一番の贅沢メシ
愛知県は色々思う処があって鳥羽からフェリーで伊良湖に渡り浜松に行ってS社の博物館を見学予定だったがコロナで予約がドッタラで人数がコッタラで空いてる時は結局は無いとの事だった。
だったらネットに出すなと思ったがネエチャンに言ってもどうもならんのですぐ傍のヤマハ博物館に変更
コロナ対策で携帯番号だけを教えて中に入る。

ヤマハは先進的な事に関しては進んでいて臆さないボートやスノーモービルやジェットスキーとH社もS社も二輪車以外はヤマハの後を追いおこぼれを貰っていると言っていい
たった一人でもミニホッパーを使い無料のヨット教室をやって海への道を開いた。
30年ほど前にはヤマハ以外にボートメーカーは無いと思っていた人が大半だったのだ。


昔乗っていたシフト機構が独特な YDS1 煙がやたら出た。


ヤマハが最初に作った除雪機 1978年 YT665 7F7
原型は栗山で作っていたヤナセスノースワローに近いが振動防止や自動調心ベアリングなど渾身の力作だったが
故障の連続で寒い中で泣かされた。
だがヤマハはクレーム処理に関しては3社ある内でも一番対応が良く この7F7は数時間でフリクションデスクが摩耗して動かなくなる代物だったが対策部品が出来るまでデスクを段ボール箱でどさっと送って来て一枚替える事に僅かではあるが工賃が支払われた。
一度掛かると途中で諦める事の無いメーカーと言っていい


1965年 それがトヨタ2000GTを生んだ。
ヤマハが作ったエンジンと言っていいトヨタ2000GT当時これは衝撃だった
それまでロータスツインカムがドッタラでアルファロメオがコッタラ言っていたのを一気にひっくり返した今でも世界に誇る不動の名作
ヤマハにはこれからも頑張ってやっていって欲しいと強く願う。
ライバルがいない業界は政治と同じでロクな事にならん

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