毎日が風とみぞれで始末に悪い みぞれになるくらいなら一思いに積雪1メーターに雪になってくれた方がまし
山や現場関係者もそう思っているだろう。
留萌に居た頃にこんな天気になったら 収入はゼロで何も無しなので鮮魚運びのトラックか
灯油配達か呑み屋のお姉さんの送り迎えか何かしらのアルバイトをしていた。
内地にいた紅顔も麗しき若い頃は金になりさえすれば工具と夜具を持って
重機整備に現場が終わるか交代要員が来るまで飯場暮らしをした。
記憶に特にあるのは三ヶ日トンネルの静岡側や栗東のインターチェンジ、
和歌山の海沿いの国道とどこも今でこそ人家があるが
当時は山奥で何もなかった。
北海道弁が抜けきらない昭和42~3年頃に、どこかの現場で
「おまえ北海道から来たのか もし北海道に帰ったら深川に姉がいるから俺は元気だと伝えてくれ」
と言われた。
なぜ親でなく姉なのか俺もイエス様の怪しい僕(しもべ)らしい姉には大変な世話になったが
場所は深川駅を通り越し妹背牛側に行った繁華街の場所だったような気がしたが
それから数年後にその地に行った事はあるのだが
その約束はいまだに果たしていない
悲惨でその後の人生感も変えたのが滋賀県の湖西線の鉄道工事現場
もしこの現場に入らなければ今の自分は無いのでないだろうかと言う経験をした。
人生が落ち着いたら、改めて行ってみたいと思うのだが何もない山奥だったので
ネット上ではその場所がわからん、その後に線路が完成したので
線路沿いに歩くか 汽車でも乗れば記憶が蘇るのかもしれん
どってことなく心休まるのは東北で東北に通い始めて20年近くになるが弁天町に移ってからは
ここを買ってしまい銭も無くなり何かと忙しく行っていない
それにしてもこの天気、かなり以前に東北の秋田か新潟か日本海側のどこか田舎で
脳天気は秋の収穫が終わり恵みに感謝し野外で能楽を奉納をする為に その日はスカンピーンと晴れてくれる事を願ったらしい
村人もその日は厳しい冬が来る前の何もかも忘れて楽しめる一日で能が楽しみで能が出来る天気
能天気と言ったのが正しいのだと柱だけの小さな能楽堂に書いた物を見た覚えがあるが
毎回当てづっぽの行き当たりバッタリ旅なのでそこがどこだったか思い出せない
今年は色々ありすぎて能天気の記憶がない
写真は壬生義士伝「お山が見たい」と言った吉村貫一郎の菩提寺
「崖の下に暮らす」の中に入るとなぜかしら時間の流れがゆっくりに感じるんだよね~
なんか不思議です!
毎日時間に追われ壁掛け時計の針がこっちの気持ちも考えずに
無情にも廻っているのが憎らしくてこの間電池を外してやりました。
ざまあみろ!と心の中でつぶやいたのはいいけれど手に握っている
スマホに大きく時間が写出されているのを見て観念しました。
あ~あ、時間に管理されている!
たまに日本海の荒波を見てせせこましい気持ちを洗い流しに行きたいな!
砂川市在住 髙田様
こんばんは
日本海の荒海は今年はちょっと凄すぎて 昨夜は堤防のテトラが一晩中動いていましたし海から20メータほど離れているのですが波が堤防にぶち当たって家が振動し波はバッコンバッコン堤防を超えてきてました。
日本海の荒波を見るなら誰が言い出したか知れませんが
世界です世界の三大波浪を安全に見れる
留萌市大町3丁目の黄金岬の海のふるさと館から見る 嵐の海は隠れ穴場で一番のお勧めです。
静かな海を見るのは小平の望洋台が
遥かかなたに天売焼尻や利尻も見えて一番です。
ここで海を見る気分は高田屋嘉兵衛の状態です。
波を見てるとアドレナリンとドーパミンのカクテル状態になる事は間違いありませんが波飛沫をかぶって風邪引こうが、車が錆び付こうが、カメラがぶっ壊れようが
「当局は一切関知しない~」
このメッセージはジム・フェルプスではないので消却はしません!
時計の止まりすぎ古すぎかな~