銀色の道

10日月曜日に午前中に仕事を済ませ気分転換に初めて鴻之舞鉱山を見にいく事にした。
ルートは留萌から霧立峠、名寄、興部、紋別を通り鴻之舞 帰りは丸瀬布から333を走る。

霧平トンネル このトンネルには忘れられない記憶がある
現在の小平ダムを超えた川上にベースキャンプを作りこのトンネルを作る為の調査する機材運搬をスノーモービルでやった。
場所的に苫前側から入った方が近い場所にある
雪崩や積雪調査が終わりベースキャンプに戻った時に1995年阪神淡路大震災のニュースをカーラジオで知った。
トンネルの完成はその4年後で完成によって冬季間通行止めは無くなり1年を通して留萌から士別に抜ける事が出来るようになった。
もしこの頃に戻り人生をやり直す事が出来るなら借金しても1000万程度なら出していいと思うが
時間は戻っても精神構造も当時の状態に戻るなら同じ事をしてしまうだろうと思うと銭の無駄
いまは一生懸命道を探し今を生きるしかない
その中でも銭や腕力や立場などで自分より弱い者をイジメたり手に掛ける事をしてしまったら
その後は世間は覚えていてそれが通用する枠や集まりの中でしか生きては行けなくなる
自分自身もいつかは必ず来る力が衰えた時に順送りで抜け出す事が出来ない生き地獄を味わう羽目になっていくのだ。
来世の地獄や天国など信じていないが生き地獄はある。


名寄から下川を超えたあたりで雨になった。
生存本能として人間は天候に左右される生き物だと思う
曇りはやはり気分が落ちて晴れると気分も上昇し何かいい事がありそうな気がする。
その為に揉め事や面倒な話は天候の悪い日や夜などは絶対ダメで
日延べして対策を練ってバックアップを取る事が大事になっていく

名寄はサンピラーの街で売り出してる。
雨で車は雨漏りと気分は下がり気味だが多少曲がっているがサンピラーと思えば思えなくもない
虹が出ていたので気を持ちなおして西興部村に向かうが豪雨だった。


銀色の道 宮川泰 作曲

コロッセ

自分で招いた事なのだが店が思った方向と違う方向に行っている事に嫌気がさしてしまい
ラーメンを始めてから腰が痛く歩けなくなった事以外で初めて店をサボった。
悪事を考えるくらいならラーメン屋をやれがいつもの口癖なのだが
言うだけで自分で出来ないのに何かを言う事は凄く無責任で恥ずべき事と思っている
だから自分でやってこの辺鄙な場所で黒字を出した時点でほぼ目的は達したと思う
黒字を出す事が目的で儲けを貯める事が目的ではないからこその問題が発生してムッタシ来てしまった。

自分が出来ない事を誰かにさせあたかも自分がやってる様にして溜飲を下げるのは古来からよくある事で
古くはローマーのその名も恐ろしいコロッセで行われた猛獣と剣闘士との闘いで自分では出来ない事を他人にさせて剣闘士はライオンにコロッサれて観衆は喜ぶ
その延長線上が現在の各種スポーツにも繋がっていく
極論とは思うがそれは何かを成し遂げる事が出来ない者が誰かが代わりにやってくれる事で満足をしてる様に感じてしまい
自分では殆どのスポーツ観戦はしないし暇もない自分の手でやって見たい事が沢山あるのだ。

今週素人に近いオヤジが自分の縦割り単気筒のバイクエンジンを3回もバラシて組んだと言い見せに来た
エンジンケースには横割りと縦割りエンジンがありその中でも縦割りエンジンは難関のエンジンで根気と知識が必要になっていく
エンジン音は快調に響いていたがよくやったと思う
自分の手を油で汚して完成させるたとえ失敗に終わってドックミッションが破壊されようが
どっちにせ自分のバイクなのでやらんより遥かにマシで
成功体験は自分の骨格を作っていくが失敗体験は筋肉と脳と情を作っていくと思うのだ

ラーメン屋も自分でやらないこそ言える軽い言葉を聞く度にコロッセのど真ん中に掘り込んでライオンの餌にしてやりたくなったので
実行する前に店を休んでみた。


今年春に行った敦賀フェリー乗り場にあった北海道ナンバーの軽
1週間後の帰りまで同じ場所にあった
何があったか知らんが海を歩いては帰れない

諸行無常

自分でも招いている事なのだが落ち込む事が続き火曜は何がなんでも全休して今年初めての川を見に行く事にしたが
早朝から電話がなりっ放しで留萌の高規格道路入口まで差し掛かるとまた電話で緊急事態でどうしても戻る羽目になって仕切り直しで再度出かけると10時なってしまった。
美葉牛と石狩川周辺の三日月湖を見てこようと思ったが夕方には戻らんとなくなって袋地まで行って終わってしまったが
三日月湖の状態が例年の6月一週目と気のせいか何かが違う
戻ってから3年ダイアリーを開くがやっぱり違うのだ。

映画で「郵便配達は二度ベルを鳴らす」と言うジェームス、ケイン原作の映画があったが
それほど怖くはないが郵便配達員が名前を聞いてから渡される郵便物は危ない
国税から書留を貰ってしまった。

悪い奴はよく叩けば埃が出ると言うが俺の場合は整理整頓が出来ないので叩かんでも埃が出っ放しなので
これは色々な事が想像されて恐い3月の申告の件だろうと思い開封すると銭を呉れるらしい
なんの事かすっかり忘れていたが終活で土地を売った時に印紙を貼り過ぎて一旦その場で放棄したのだが再計算で放棄出来る金額を超えた為に何が何でも受け取らんとないらしいとの事だった。ビビったぜ~

そこそこに長い人生で名前をフルネームで先に聞かれてから渡される郵便物を何度か貰った事がある
こっちは色々な召喚状で恐い出来る事なら貰わん穏やかな人生を送りたい
数人のひとの人生の岐路を見て来たが法の下の平等はあるのかもしれないが境遇や銭金だけを言えば人間平等に産まれて来る事はほぼない
渦中にある時はそうは思わないが
だからこそ自分自身が生き抜く面白さがあり
長く生きるただただ生きる事も大事な事だと思う。
生きてさえいればそのうちいい事も必ず確実にあるのだ。

それにしても5月はムッタシ来る事が多かった
若かりし頃はその場で怒り狂い周辺の物をぶち壊したりしてしまいには
ブッタの言う「怒りを地面に書いたような人」なので
なんで怒ってるのかも忘れるほどいつも怒っていたが
今は怒りを内に溜める事が多くなってどっちがいいんだかと思う。
諸行無常~なんちゃって

シンプルイズベスト

先週は次から次へと疲労困憊してしまった。

V6 225馬力 曳航用のボートを点検するが使用時間数が少ないボートの特徴で水の出が悪いのでインペラ交換をする事にして部品注文待ちになった
二桁のボートを曳航した経験から忠告
殆どの一般向けエンジンはその他大勢、大多数、一般常識の元に使われる事を想定して作られている。
その為にあれこの人は一般大衆、その他大勢とはちょっと違うなと言う行動や言動をする人は海でも山でもトラブルに遭う確率は多くなる事を肝に銘じるべきだと思う。


全長8メーターの水槽のエァーポンプが壊れてしまった買い替える事に
2万前後するのでネットオークションで中古を3千円で買ったが2日で壊れてしまったので分解して見ると
ダイヤフラムが2個とも破損しているネットで買う事は安物買いの銭失いになる確率は高いので諦めも肝心
一応大阪の売り主に連絡を入れると返金すると言ってくれたので返品せずに気持ちだけ受取り
部品を探して自分で修理をする事にしたがダイヤフラムが5800円で普通に売ってるのだがセコイので安い処はないかと探すと中京圏で680円で売ってる店があった異常に安すぎと支払いはカードのみとなってるのでかなり怖いので止めた。
関西には3カ月居た事があり関西人の商いはかなり信じていて仕入れ先は大阪が多い
これも部品待ちに


クレーンで吊った船の落下で船外機が破損
振動が気になったのでドライブシャフトの曲がりを見る
振れ幅が0.14ミリ 未加工のこの場所の測り方ではこれが許容範囲なのか正確にはわからないので他のシャフトも実機から外し測定してみた。
たった80センチに満たないシャフトでさえ思案してしまうのに


戦艦大和の主砲を旋盤加工したドイツ製ワグナー大型旋盤 心間31.3メーター ベット41.4メーター 巨大すぎて画像には入り切らない
人類は戦争によって技術は革新的に進歩して来たのは紛れもない事実なのだダイナマイトしかり飛行機もなのだ。
戦争によって開発された技術はその後に平和利用をされていくが歴史は繰り返す


技術が進むと人間の質はドンドン落ちてはアホになる
冬山にはそこそこに登ったりして冬山遭難も経験したが頂上はひとつだが裾野は無限に広がっているので山で遭難したら降りてはいけない。
これを証明したのはスーパーボランティアの尾畑春夫さんで
「 子供は遭難したら上に登る 」と言って3日間も発見されなかった子供をわずか30分で見つけた。
人間が本来持っている生きる本能を大人になると忘れてしまう見本の様な捜索だった
尾畑春夫さんの質素な生活と思想が人間本来の生きる本能を保っているのだと思った。

救助隊が尾畑さんから執拗に子供を渡すように何度も言ったのはかなり恥ずかしい行いで
メンツを潰された県警本部も本当は感謝状など出したくなかったのかも
などと思ってしまう一応技術屋の俺は落ち目のひどいアホになっている。
他の事もありラーメン作りを少し休もうかと思ったり

疾風迅雷

木曜日に老人が引き戸を開けて何かを言っているのだが姿かたちもしばらくわからなかったが
その声は聞き覚えがあった。

北海道に戻って来て40数年経つが戻って来るにあたって内地にもその名が轟いていた
旭川の某所に顔を出す事にして初対面だったが受入れて呉れた。
そこで知り合ってから現在までお付き合いをさせて頂き崖下村に移ってからは業態も変わり逢う事もなくなり電話で年に数回商売の話をする程度だった。
旭川の浮き沈みの激しい業界の裏も表も見続けた生き証人と言っていい人なのだが
年代は同じで逢う事がなくなって30年
思い出した瞬間に出た言葉は最後に逢ったのが30年前で現在のその姿に「いったいどうしたの」と思わず出た
病気に掛り終業を決意してそのお暇乞いを夫妻で来たのだった。
本を何冊も書けるほどの時代を疾風迅雷のごとく一緒に走り抜けた皆の消息や聞きたい事が山ほどあり胸が一杯になった。


俺だけ置いていかないでと
走り去る車が見えなくなるまで手を振った。

AI平和利用

車の免許更新して貰って来た。
ただでさえガラが悪いので坊主に近い短髪頭はやめて髪を伸ばしたら顔写真が少し大人しそうに見える
中身は何も変わっていないのに
世の中にテレビと言う物が出現して駅前にあった電気店でテレビを見る為に前に人だかりが出来た頃
金が無くなると戻って来るオヤジの酒を買いにカラの酒ビンを抱えて夏も冬も関係無くトボトボと何キロも歩いて留萌駅前の酒屋に酒を買いに行っていた。
酔って来ると俺はこんな処でクスぶってる人間ではないと暴れるのがいつものパターンだった。
子供心に暴れるなら外で素面で暴れてこいと思っていた。
その酒癖の悪さは普段は借りて来た猫の実兄が受け継いだ

留萌の丘陵地帯に「姉妹星の碑」と言う碑が立っているがなぜそんな暴風雪の日にお使いに出されたかわからないが
俺の場合はいつ暴れるかわからんオヤジと子供を家に残して母親が家を出る事はさせたくなかった。
ここに居たら一生目は出ないと思っても家には弟や妹の位牌や母親もいたのだ。

俺は生涯、酒とタバコはやらないと誓ってタバコは一本も吸った事はないが酒だけは新天地に移った頃から飯場暮らしをして早くから呑んでしまった
早くから呑んで良かった事は酒の呑み方を教えられた事で嫌な事があったら呑むなが
基本で自分では酒癖は悪くはないと思っている。
早くから悪い酒の飲み方をする奴は身内も含めて知ってはいるので酒呑みの対処方法は少しは知ってるつもりだが
歳食って力ずくは中々難しくなったので銭があったらAIとやらをカウンターに置いて対応させてやりたい
AIの平和利用だぞ絶対面白いと思うのだが
ど~だ~

ニュースでやっていた自転車ひょっこりニイチャンも酒飲みも制御出来ないのは基本はたいした変わらんのではないかと思う。
ひっこりニイチャンも仕事は真面目にやっていたと言う
爺婆ダマす奴よりは遥かにマシで一年真面目に働いて銭貯めて北海道に遊びに来てほしい
ホタテラーメンゴチするぞ
経験上思うのは酒の呑み方が悪いと言う奴は意外と仕事はきっちりやって出来る奴が多いと思うのだ
カウンターにAIを置いたらまずはどんな相手でも認めてやる事からAIに教え込まんとイカンなと思っている。

アルコール類解禁

土曜日午前10時頃 ラーメン屋の準備中に問題の吞兵衛が旧産炭地からリョウちゃん~と満面笑顔で来た先週の事を覚えていないのだ。

土日のみの営業だがラーメン屋の仕込みは木曜日夜に寸胴にシイタケと根昆布を入れて金曜日はさらに鶏ガラと豚骨を水1リッターに対して1羽と1本を入れ9時間煮込み一日掛けて造る
美味そうな香りがするのは火を付けて1時間くらいなのだが、その時点でラーメンを作っても美味くない7時間くらいでいいのだが他にも仕事があり時間配分で9時間になってしまう。
水と材料比率は最初は3対1だったが1対1になって採算割れに向かっているが好きでやってるので面白いのだ。

常連吞兵衛コンビは毎度の呑み方はここの店だけでの事なのか分からないが
酒はすべて撤去を知らせると項垂れて自分の別荘小屋に向かった。
いつもなら11時開店と同時に来て夕方まで居座るのだが開店しても来ない
午後2時頃に二人で来て何処が悪かったのか教えて呉れと言って来た
説明と説教大好き男なので二人にラーメンを作りながら延々と説教をすると
「 言ってくれてありがとう 」と言って帰っていった。
俺は項垂れて戻る背中に向かって店が閉まる4時に来いと言ってしまった。
4時までの間にビールサーバーを元に戻し日本酒を一本用意して待った


俺は前の店でだいぶ前に知り合ったNちゃんにコーヒーと越後湯沢の酒を貰った
「 酒ばっかり呑んでネーでーこれでも飲め 」
と言って年に一回程度しか逢わないが少ない給金でコーヒーと酒を持って来て呉れる。
Nちゃんはいままで自分ではどうしようもない不運に遭って来たがこれからも何度でも跳ね返して生きていってほしいと願わずにはいられない
すっかり大人になったなとしみじみと手酌で呑んだ。


旧産炭地は土日二日に渡ってタラフク呑んで二人で帰っていった。
そんな訳でアルコール類禁止はたった4時間で解除になってしまった。

先週は人が訪ねて来てくれ ある人の訃報を数か月遅れて知った。
もうこの歳になると寂しいが悲しくもなんともない
フォーを貰って食ったなとか、あの時はこうだったとか楽しかった事ばかりを思い出していた。
俺も楽しかったと思って貰えるそんな人生を送りたいと思った。

まったく忙しい

自分で招いてる事とは思うがまったく忙しい

ひとが読む字を書けないので書いて貰い店のいたる処に貼紙をしてビールサーバーから酒ビンなどを全部撤去に金曜日一日いっぱい掛かってしまった。
原文はもっと厳しいのだが書いて貰った人が間にたった一人はいっただけで俺の原文は却下されこの文面になった。
とんでもない文章が校正もされずに印刷され世間に出回る事が不思議でしかたない


さらに先週からこのホタテラーメン用の冷蔵水槽がまったく冷えない
ホタテは水温は10度以下でないと産卵が始まり美味くない なんてコッタ
容積は90リッター コンプレッサー方式なのだが海水でボロボロになってガスが抜けてしまった。
アチコチ探したが道内には無く内地にあってもこの大きさは注文で40万近くしさらに送料
ホタテラーメンは普通サイズの生貝が2個入って800円なのだが材料費が昨年から1割から2割弱値上げになってしまってさらにガス代も値上げ
用意した食材が全部売れる事も珍しく歩留まり8分程度なので40万で買っても元を取るには
これだけで4年は掛かる
ラーメン屋での吞兵衛にもムッタシ来たのでこの際なので店を止めようかとも思ったが

最後のあがきに冷蔵水槽を自分で造ってみようと挑戦してみる事にペルチェ方式なら簡単だが
ペルチェ方式で50リッターを冷やすには電気代が掛るしさほど冷えないのでコンプレッサー方式で造る事に
それから冷蔵庫の仕組みを夜な夜な調べて調べて冷蔵水槽や熱交換は分野外だが色々な事がわかった
アマゾンで買って持っていた1万6千円のコンプレッサー方式車載冷凍冷蔵庫は直流12V マイナス20度まで冷えるので利用する事に

冷蔵庫は交流より直流の方が性能はいいらしく中にステンレスパイプをコイル状にして入れて海水を循環させた


発泡容器は2480円 50リッターで発泡自体が熱を発生してるのか温かいので箱の内側にアルミ複合板を貼り付けて
熱交換は計算式があるらしいがやった事がないので行き当たりばったりで実験開始
外気温22度でも水の温度は11度まで下がった
さらに実験を重ねて現在は6.8度まで下がって一応使える状態になった
やってみて面白事に気付いたが長くなるので端折る


中に入れる海水は一度沸かし殺菌した沸騰海水を使用してる
貝類の中でもホタテは口が閉まらない為に海水から上げた時点で乾燥が始まり美味くなくなる
一度貝付きホタテを使うと産地としての意地もありこの方法以外は選択肢はない

銭がないからこそ知恵を絞り色々楽しめる
アマゾンで買った手持ちの冷凍庫や発泡箱とホースやパイプ類は倉庫にあった物を使ったので合計しても2万以下だが
1万6千円もした冷凍庫に一歩進んで穴を開けた時点で後戻りは出来ない間違って配管や配線に傷付けないか冷えるのかチョットおっかなびっくり

川上大臣もいま叩かれてるが
最初の一歩をした者を岡目八目で言う事は簡単だと思う
俺は選挙は野党に一票入れるが自民党も野党も好きではない特に野党はテレビの映し方の問題もあるかも知れないが!
ヒステリックな批判ばかりで最初の一歩をやってる様に見えないからなのだ
野党は塀のある家に住んではいけない

言と葉

ラーメン屋に毎度居座る吞兵衛が言うには呑まない奴は信用出来ないと言う
この言葉はよく吞兵衛連中から聞く中にはエンレイソウの最高学府を出た吞兵衛でさえ言うので本当の事だとすると
では吞兵衛の言葉は信用してもいい確率が高いのだと言う事になる。
俺もそこそこ吞むが吞兵衛の言う事はほぼ信用していない
だから聞いてられるのだが
だからと言って誰に何を言ってもいいと言う事にはならない
その言葉は信用に値するらしい吞兵衛様の言葉なのだが先日は元炭鉱棒頭の言葉はさすがにカチンと来た。
暖簾をくぐって入って来た者を守るのは店主の役目でもある。
寂しいがアルコール類は消毒液以外はすべて撤去をする事にした。
食材はすべて1割5分から2割の値上げで客待ち中に付けっ放しのガス代は土日で3000円も掛かる。
それでも旧価格でやってる店は多い そこに言われたらやってられるか
呑みたければ消毒液でも飲め!止めはせん

火曜日は用事があり久々に233を通り深川に行って来た
米どころ北空知の深川は美味い店が多く種類も豊富なのだ。
遅い昼メシは深川魚丸で回転寿司を食う
正確には寿司は回ってはいない 食いたい物を紙に書いて手渡しで店員に渡し寿司は手渡しで渡して呉れる。
自分より遥かに若い働いてるネエチャンが手渡しして呉れる時には必ず客であっても商いは等価交換が基本なので
「ありがとう」の一言があるべきでその言葉がいつかその若い子の中で育っていくだろうと思う。

土方と各種工事屋はひと区切り毎に「 ご苦労様です 」と言うがこの広い世の中
きっと何処かで一皿毎に「 ご苦労様です 」と言う奴は居るだろうと思ったら可笑しかった。
そのひと人間の口から出る言って枝葉を広げていく言葉を大事に育てんと

俺は字はパッと書けないが魚丸のこのシステムが好きなのだ 客が少ない時は直接口で言う
そこで働く兄ちゃんいわくには年配者は言葉での注文が多いらしい


フェリー食堂
いまは流行の半纏で何処もかしこもタブレット注文が多く旅のフェリーでさえもこの状態なのだ。
ほぼ温め直しのメシなのでべつにフェリー食堂で食う必要はないが・・・・・

人との接点を減らされ人の見極めと言葉の責任を持てない、応酬話法が出来ない、人間がドンドン出来ていく
結果は自分の思う事だけを口に出す吞兵衛と変わらん一方的に口や画面の字面に出す連中が増えそれは素面の吞兵衛なのだ
商いで銭を持って来るのは葉っぱを銭に変えるおキツネ様とおタヌキ様以外は全員ひとなのだ。

商人と立方根

金曜日に留萌の寿児童センターの前をツルハに向かってランドセルを背負った女の子が二人と男の子が二人の四人が歩いていた
一番小さな子が背中にランドセルを背負って手にもランドセルを持って歩いていた。
一番ガタイの良い子は手ぶらで草むらに入って塀に登ったりしている。
ふっとイジメかなと思ったがツルハの信号が青になって流れに乗ってそのまま進んでしまった。
一周回って戻って車を降りて聞いてみようとも思ったがそれをせずに進んでしまった。

俺は修理工でもあるがそこそこの商人(あきんど)でもある。
商人は誰かが造った物を誰かに売る事を生業にしているが
船は船体とエンジンは別に売る為に船体とエンジンが別々のメーカーと言う事はざらにあり
船体とエンジンの耐用年数が大きく違い 金額が高いから大きからと言っていい事ではなくそのセットは使用目的と予算の妥協の産物なのだ
この妥協を納得させる事が出来ないと商人は出来ない
小さな子であってもその手法は通用するのに
これが江戸時代で歩きだったら当然声は掛け聞くだろう
車に乗る便利になる 功と罪(ざい)を思った。

土曜日は旧産炭地から船を引取りに来た人が自分の隣にある船を見て26フィートかと聞いた。
隣の船は自分の船とはたった1フィート違う24フィートなのだが
今までなんの疑問も持たなかったが言われて1フィート違いがなんでそんなに大きく見えるのだろうと考えた。
いままで生きて来て初めて単純に比例してはいない事に気付いた
船の場合は長さが1フィート違うと横幅も縦幅も違うので大きさは全然違うが
呼称23フィートが24フィートになると平方根ではなく立方根になるのでガタイが違ってくる
23×23=529だが24×24=576で増え嵩は47になるが単純に縦横を掛けると増え嵩は1657になるこの嵩高が船のガタイの違いになってくる事に数字で初めて気付いた。

土曜日に呑み過ぎてべろべろに酔った頭で思うのは俺は義務教育をしっかりと行ってなかったがもっとしっかり行っておけばよかったと思ったよまったく
読み書き算盤を習う義務教育は行けるものならしっかりと行った方がいい
4人組の子は留小の学区なので今度同じ場面を見掛けたら必ず車を止めて説得してみようと思う
アッチもコッチも妥協させるのは商人の十八番なのだ。

商いも買い手に作り手の思いを重ねる事が出来たなら立方根の商いが出来て
何かしらの大きない違いが出来るのではないかとふっと思った。