別に特別な場所にいたとは思わんが
身近で誰々が殴っただの蹴っただのは週に何度もあり 刺しただの刺されただのは年に数回あった
刑法犯が現在の5倍以上もあった時代が昭和40年前後にあった
そんな時代にも刑務所に行く事も死刑になる事もかまわんと言う
覚悟を持った者が居て強いか弱いかは関係なく恐いが
その中でも喧嘩の質と言うか品を問われる
上には上が必ずいて上に行くほど周りや付き合いが広がり揉め事は多くなるのは必然なのだ
ストレスは溜まるがその時にいちいち対処していたら身が持たない
自分が我慢してその場が過ぎるならと我慢辛抱を覚えてゆく
自分が恥を掻かされた位で喧嘩をする者は我慢辛抱がなく品がないと言われるのだが
なんぼ出来の悪い親や兄弟でも身内や若い衆を悪く言われたら怒らないと
それは唯の根性無しと言われる
そんな時代があった。
現在は情報伝発が早いから事件が多いような気がするが今はとても住みやすい時代と言える
喧嘩もするのは簡単だが後始末が大変なのは仕事でもなんでも同じ
いったん始まった喧嘩をシマッタと思い悔やんでも後の祭りで
終わらせるには仲介者が必要で条件は
コイつになら胸襟を開き語ってもいいと思わせ
双方の言葉に出来ない言葉や後悔や様々な思いを呑み込む懐の深さが必要になっていく
鹿をケッタだの私に恥を掻かせるな、などと言ってるようではまだまだかなと
仲介者は途轍もなく辛いがパキスタンにはぜひ頑張ってほしい
終わったら自分に勲章を

普通 ほとんどの仕事をしてるひとは黒子で表に出る事はないが
そのやった事は電柱になって立ってるか機械になって動いてるか
なにかしらの形となって残っていく
俺が言うのもなんだが我慢辛抱それが漢の生きる道なのさ

