重信房子とは同年代であるが
俺にとっては連合赤軍だろうが日本赤軍だろうが関係ない
俺の右足は御幼少の時に自分の不注意で縦に大きく裂いた事があり右足をかばって歩く為に左股関節がおかしいので歩きも少しおかしく走ると遅い
その為に走ってる逃げなければないようなチマチマったセコイ悪事もしないし
運動会で走るのは遅くビリで商品を貰えないでも誰も恨む事もない
厚別にドデかい整形病院がありそこに2週間一回通っているが
昨日はそこの青葉の交差点で病院に入る為に左折する信号を待っていた。
そこは腰が痛いだの肩が痛いだのと関節痛だのと爺婆が大勢歩いている。
そこを歩くのが不自由な娘(こ)が一人で歩いてきた、片側3車線右折路線も含めて7車線をどうやって渡るのだろうと見ていたが
その娘は歩道を渡らずにもみじ台に向かって歩いて来て左折待ちしてる俺の横を通って行った。
なんて言っていいのか笑ってるわけでもないが顔が明るいのだ。
俺は思ったもしこの娘が信号を渡ったら反対側には間に合わないだろう
皆どうするのだろう車を降りて手を引くのだろうか
この娘の明るさはきっと
「 ありがとう 」と言って手を差し出して呉れるだろうと
この娘の明るさは何処から来るのだろうかと
もしかして先天的な何かがあって誰も恨む事なく在るがままを受け入れて明るく人生を送っているのかもしれんと思った。
これがその境遇になった時にもし加害者か第一当事者が居てその境遇になって人生を変えられ収入もガタ落ちにさせられたらこうは明るい顔になれないだろと思った。
この時にハッキリと重信房子の出所になぜ強烈な違和感を感じたかがわかった。
少なくとも花束や笑顔などあってはいけないのだ。
ヤクザの出所出迎えは目は笑っても人前で歯を見せない
重信房子はたまたまそこに居合わせたばっかりに人生を変えられた人が大勢いるのだ。
「多くの無辜の人達にご迷惑お掛けして謝罪します」と幾ら口で謝罪しようが
あそこに居た人達は人間として何もわかっていないのだと
ある意味なまじっか頭が良いだけにヤクザより始末が悪いかも知れん
どんな小さな犯罪でも時効も終わりもない
終りを決めるのは法ではなく自分自身で罪や被害者と向き合って
許しを請うて「 今まで頑張ったね 許す! 」と言って貰えるまで心からのハレの笑顔など出る事はないのだ。
4600万など大した事ではない 若者がこれから世間に出て真面目に働く
働くと言う事は必要とされ世間か誰かに貢献しているのだ。
十勝では季節労働者をして食糧を全国に届ける、
浜では魚外しの季節労働者をして働く
誰かが横断歩道を渡っていたら立ち止まって見守る。
様々困難を抱えた中で明るく歩く姿が
大層な大義よりそれが世間の誰かを幸せにする事になるのだと思った。
様々な困難を抱えた中で歩く姿が大層な大義より、それが世間の誰かを幸せにすることになるのだと思った。
なかなか的を得ている文章だと思います。そのことが自分を高め生きがいに繋がるのだと思いました。外見よりも内面を磨いて生きて行こうと思います。
おはようございます。
なんでもデカければいいと思った俺に
母親は店構えはバカにされる位でいいのだとよく言っていました。
代わりに品揃えと中身を充実させれと
いま思うと外見は金さえ出せばなんとかなるけど内面の充実は中々出来ません
いま橋本呉服店のお針子さんだった言う母親が亡くなった歳になりました。
もっともっと沢山話を聞いておけばよかったと今更後悔しています。