自分の事ではないが
下手すると8桁を軽く超える額になるはずの問題が数週間続いたがあっけなく一定の解決を見た。
一番の解決要因は板子一枚下は地獄と言われる北の海の命を的の稼業と
毎日命を見詰め続ける稼業の当事者同士の肌と肌のぶつかり合いの誠意ではなかったのかと思う。
そんなんで我が事ではないがしみじみと一人酒を呑んだ。
すべてを失っても貧乏はそんなに怖いとは思わないが
貧乏に負ける自分が恐いのと毎日借金取りに追われタコ喰いをするのは絶対に嫌だ。
西に延びる大通りの今のKK美容室を南に曲がると昔の竹カゴ屋と相馬商店があった通りに出る中ほどに看板も出ていない軒先でやっている天ぷら屋があった。
夕方店じまいする頃にその店にゆくとホッケと芋の天ぷらを揚げた天かすがタダで貰えた。
それを目当てに原野二線からトボトボと歩いて駅の裏を通り開運町の運に見放された人達が集まる飲み屋街の有楽トンネルを通り抜け右に曲がり荒くれ沖中士の集まるボロアパート前を通り抜け貰いにいく 貰えた日はラッキーだった。
大通りに金持ちはいたがそんなのは異次元の世界で原野二線では回りは皆がそうだったので自分は貧乏とはあまり思わなかったから出来たのだと思う。
いまは絶対に出来ないだろう。
歳食って歩くのも面倒なのといい時には来てくれた人も貧乏になったから人は来んと思ってしまい自分の中に自分で貧乏を作り出してしまうから
良くなれば良くなったで変わったねと言われる来なくなる人もいる、
それは逆もありで皆がそれぞれの考えがあり寄って来なく事はあるだろう悪い方に悪い方にと取るのは貧乏を自分で自分の中に作り出してしまう。
自分の立ち位置に負けた瞬間なのだ。
銭が無いから考える工夫もする時間も掛ける銭が無い事が不幸せと言う事ない
商人(あきんど)とは灯台の様に通りに灯りを点け続ける事なのだ。
天かすを貰って帰る夜道の先につく灯りが又その先を照らす。
すべてを失っても貧乏はそんなに怖いとは思わない
貧乏に負ける自分が恐い」
心に沁みるお言葉ですね。
以前、私も似たような事を思ったことがあります。
ただ、そこまでは達観できてはいませんでした。
私が思ったのは、生まれた時はすっぽんぽんの丸裸で、失うものなんてなにもなかったんだ。
全てを失っても自分自身を失わなければいいじゃないかと。
若い頃、感情先走りの生き方をしていました。
今は感情よりも思考かと問われると、正直なところは感情で動くことも多々あります。
それでも昔よりは思考として動けるようにもなりました。
人間って本当に面白い。
人間から損得勘定が無くなったとしたなら、笹川先生が仰っていた「世界は一家、人類皆兄弟」も夢では無いとも思うのですが。
いつもりょう様が仰る通り、政治家はより良い世の中の仕組みを考え造る事に最たる方達のはずなのに、己の損得勘定が最たる方達なのだなと思います。
以前りょう様も述べていましたが、姉妹が餓死した事件です。
あの姉妹も、行政や政治がしっかりしていればなかったのでは、とも思います。
この日本で、あのような惨事はこの国の仕組みが間違っているとしか言えません。
話が長くなってしまいましたが、りょう様の仰っていた「貧乏はそんなに怖いとは思わない
貧乏に負ける自分が恐い」
心に刻みたいと思いました。
じゅごんさん
お久しぶりです。
姉妹が餓死した事件はすぐ傍の赤平市出身と言う事もあり
ショックを受けました。
忘れてはいけない防げた事で
対策はおかしいと思ったら声を掛ける事が出来る者は声を掛ける事でしょうか
それも中々難しい世の中になりましたが頑張りましょう。
あ~の~俺に様を付けるの抜いて頂けると嬉しいかなと!