追いかけて雪国~(完)

大釈迦村からの道々 

機械物がスクラップになり使えなくなることを昔の人は「オシャカ お釈迦」と言うが、これと同じ意味で、知り合いのロシア人は使えなくなったスクラップの事を「サンタマリア」と言う。
どこの国でも、ことさら人様に崇め、奉り、拝まれるようになったら先はないとの意味なのだろうと思い、神様仏様なったらおしまいと言うか最後と言う意味に取れるのが面白いと、この大釈迦村にて思った。 

生身の、わがままで怠け者で、自分勝手で酒飲みで、それが本当の姿で、それでもお互いけなし合いながら認め合う事が、本来の人の姿なのかとも思う。

寄り道のため青函フェリーに乗り遅れ、17時まで時間があるので、国道から少し入った通りにある「ラーメン大地」で醤油ラーメンを食べた。 

元旦だけなのか、ここはご飯とお新香がお代わり自由で、おまけにタダだった。
「ふるまい酒」でなく「ふるまい飯」。
粋で実用的で、こういう気の使い方金の使い方もあるのかと、いたくここの店が気に入った。

俺も年の暮れから走り続けて、新年だからか白い米が無性に嬉しくて食った。
店の中で、いままさに食ってる奴の後ろに並んで順番を待っている人達の中にいるかどうか分からないが、もし一人でも暮れから米の飯を食っていない奴が居たとしたら、そいつにとっては、その後の人生を左右するくらいの感謝だと思うのです。 それが商売上の小手先の対応だとしても 。

きっとここ「ラーメン大地」で修行中の若い衆達は、空になった釜をみて喜ぶのだろうと思った。
目の目で働いている若い衆にとっては、ここでの修行が終わっても、一生に残る銭金を超越した商売の心粋と志を自分の胸に刻まれるのだろうと思い、頭が下がるのでした。

観光で一番大事なのは人、二番は歴史なりそめ、三番は食だと思っています。
ですから、どこに行っても地元の人と話さないのは、旅行の楽しさが半分ないと思うのです。
吸い寄せられるように「ラーメン大地 」に入ったが、白い飯は今回の俺への労賃かとありがたく頂戴した。          

青森の「ラーメン大地 」の若い衆に幸あれ。

17.00 青森発 フェリーびるご 乗船

 追いかけて雪国 完