ラーメン屋はノレンの出てる日のみ営業中

俺はね ラーメン屋も商売も人生も誰かに出逢う為にあると思っている。
その為にこちらも修行を積み矜持を持ちなんとかせんといかんが自分の事は中々そうはいかない
足りない処ばかりだがそれでも自分の足りない処を補ってくれる、
だいたい見合った人達に運命のように出逢って来た。
折角出逢った時に俺は超バカ野郎だがせめても、少しでも、嘘と裏切りを少しでも少なくしたい 
その想いの中でも落ち度が多々ある。

ラーメン屋を今日からしばらく休む事になった。
折角作ったのに勿体ないと言われるが 
それは何に対して勿体ないのか折角銭を持って来てくれるのに
みすみす銭を見逃す事が勿体ないのか 
それは違うと思うのだ。
銭は相手が自分の人生を切り取って売った時間を銭と言う型にしたにすぎない
そこに公私ともに対応しようとしない者はゆるす事は出来ないのだ。
休み期間は来週までかも知れない一年かも知れない 
休み期間中は自分で出来る限りラーメンを作り続けようと思う
線路と同じで一度手を休むと再起動が中々難しいのだ。

連休と土日に折角来て貰って休む事は申し訳ないが
戦後の食糧難の時代や多度志、美深間や長野ではない休んだとしても誰も困ったりはせん
ノレンの出てる日はラーメン屋は営業中
連休中は海が凪の日は待機だがそれ以外は宴会をしてる誰であろうがOK
俺はまったく欲深な奴で贅沢を許して貰える運のいい奴なのだ。

27歳はまだまだ

ラーメン屋や焼き鳥屋など一人で数十万の少資金から出来る一品物の食い物商売は人生再出発に向いてると思ってる。

いま向島で逃げてる逃走犯は相手にとっても取り返しの付かない重大犯罪を犯す前に掴まって欲しいと願わずにいられない
逃走犯の顔写真を見ると人生をやり直せそうな顔に見えて仕方ないのだ。
確か日本はまだ犯罪は加算される事はなく一番重い罪が刑期となる併合罪方式だったと思う。
現在では一番重い罪は脱走だけなので早く掴まって刑期を満了して人生をやり直して欲しいと願わずにはいられない
模範囚の塀の無い刑務所方式は何処にでもある方式で犯罪者の更生に役に立ってると思うのだ。
一概には言えないが数万人の収容者がいる中のたった一人脱走しただけなのだ。

どうして窃盗の模範囚ならもうすぐ仮釈放なのに脱走したのか
身元引受人はいなかったのか 家族に何かあったのか
造船など製函工は結構パワーがあるだけに対人関係も厳しいキツイ世界なのだが

俺が勝手に決めてるのは男の27歳は一番の曲がり角で ここで辛抱立ち直らなければその後は無いと勝手に思っているのだが
極刑以外はいずれ社会に出て来るのだ 閉じ込め社会から隔離するだけの厳罰化だけでは問題の解決にはならん
真に更生をして貰うしかないのだ。
いずれ出て来る犯罪者を更生させれないと言う事は犯罪の精通者でプロの法務省の負けだと言う事になるのだ。

逃走罪はそんなに長い刑期ではない若者は逃走+窃盗+窃盗+住居侵入とアメリカのように加算されると思ってるかもしれん
空からビラでも拡声器でも今出て来たら軽いと知らせ相手にとっても取り返しの付かない重罪を犯す前に出て来るように呼びかけて欲しいと思うのだが

ラーメン屋や焼き鳥屋など一人で数十万の少資金から出来る一品物の食い物商売は人生再出発に向いてると思ってるし 
それだけ根性あるなら桁船の乗組員も足りていない

クッソ~負けた~

毎日毎日どこに美しい日本が
「 美しい日本を取り戻そうではありませんか皆さん 」
「 オッパイ触らせて~ 」
聞いてて恥ずかしい
セクハラは相手が出て来ない限り話は出来ないらしいが
俺なら相手が出て来れないように脅してしまう。
脅すなら本人も周辺もセットで脅すのはイロハのイ
恥かしい~

この冬の大荒れの時に道南から来たトラッククレーン二台を 
この猛吹雪の大荒れにクレーン作業が出来るわけね~だろ怪我人が出るバカ野郎とカラで追い返した。
その後取引は行違いから元締めと電話でバカ野郎と怒鳴り合いの大喧嘩に発展  
狭い業界で喧嘩していい事は何一つないし
春になったしどこかで手打ちをと考えていた。
喧嘩になったら一歩も引かんと大昔は言われた時もあったが

昨日はトラックの元締めがボロイ軽乗用で来た。
「 シャッチョ~元気~ 」
「 昨年はお互い行違いで色々あったね~ 」
それから散々自分の言い分を言って俺が言い返そうとしたら
手をかざし
「 もうその話には触れないで これからも付き合いましょうゃ~ 」
と自分では散々言って俺には一言も言わせないで話は終了
言いたい事は一杯あるがここでグズグズ言えば俺の値打ちが下がる。
さらに手打ちには相手よりいい車で来る事は御法度なのだ。
わざわざボロイ軽乗用で
「 嫁さんが待ってるからゆくわ~また~ 」
とさっと去ってゆく
こんな時は野郎が同伴だと話が盛りあがってヒートアップしたりするので話は一人対一人が基本
女が同伴だと相手の前にメンツを潰す訳にゆかないのでヒートアップする事は無い
久し振りに場数を踏んだ喧嘩慣れした奴に逢った。
一度してしまった喧嘩はキッチリと最後に手打ちをしておかないと遺恨だけが一人歩きし始めるのだ。

俺はと言えば
元締めなんだからもっといい車を持ってるのに芝居打ちやがってっと
俺は負けた 去ってゆくボロイ軽乗用に見えなくなるまで手をふった。

KATUNORIの事 Ⅱ

俺の人生は常に『 なにを今更くよくよと 』なのだ。

西郊通りの頃から右も左もわからない乱暴者だった俺を支えて呉れ、たった一つしか無い小さな足折式のちゃぶ台の上に鍋のフタを返さずにペッタと置く子だった。 
俺の機嫌を取る時は口に含んだ、さくらんぼうの軸を口の中で舌を器用に使い結んで見せる子だった。
その子を港町の藤木海運駐車場横にある、お好み焼き屋にボロ布のように捨てて全く違うタイプのKATUNORIの姉と一緒になった。

小学校すらロクに行っていない字もロク書けない俺との生活が元嫁と上手くゆく訳は無かったが
藤木海運の駐車場が頭から離れる事は無かった俺は絶対に二度と同じ事はしたくなかった。
ある日突然にやく20年続いた、たった一度の結婚生活に終止符を打つ事になった。
「 お前が新しい相手を見つけるまで結婚はしないし生活の面倒もみよう 」と別れたが
送金は現金封筒が大事なのだその手書き封筒は家族をも元気にさせる。
なぜかその後も元国鉄マンで経営者だった堅物の元義理の親父は相当怒ってはいたと思うが
元義理の弟KATUNORIも元義理の両親も付合いが亡くなる直前まで普通にあった。
大学も普通の倍も行って海外での暮らしも数十年と長かった元義理の弟は俺と同じで子孫が全くいないので
この世に続くものは記憶しか残らない 
一緒に夜を明かしパンをカジリながらバカで無学な俺に沢山の事を教えてくれた。
日本に戻って来てからの浦島太郎状態を戻す苦労やネットの未来やグルメの事など楽しい日々をわずかだが過ごした。
超几帳面で海外が長かったせいか何にでもチョコマカと手を入れて食うのが好きだった。
グルメで良い物ばかり食っていたが暮れに生きたままの八つ目ウナギを送ろうとしたが生きてるなら要らんと却下されてしまった。
ガンを発見してからあっと言う間の月日だったが俺にはKATUNORIもTAKAMIも兄貴兄貴といつも傍にいる。


マルバタで4.5坪の棚を作り形見分けの遺品を少しづつ片付けている。パソコンのプリンターは大工の春さんに貰ってもらったが 折角やったにのにとKATUNORIが怒ってるのか自分のプリンターが壊れて先日新しく買った。

不幸な関係に終わった元嫁さんとはやや七年振りに再会するが何の違和感もなく淡々と一緒に鶴のオヤジや大工の春さんに手伝って貰い空気が薄いのではないか高山病に掛かるのではないかと思うほどの6階のマンションから荷物を運んで片付けた。

KATUNORIが天から見てるのか、その後やたらツキまくっている商売人がツキと言う場合は銭しかないが、、、、、
まさか残った姉を頼むと言ってるのでないべなと警戒警報が
元嫁さんに久し振りに会って男は女にバッサリと捨てられる方が幸せと思うに至った。
でないか~KATUNORI~

KATUNORIの事

KATUNORIに初めて逢ったのは一世紀に渡りフランスから始まり日本やアメリカなどに翻弄されたベトナム戦争が厭戦気分になり終戦が近くなった頃だった。


俺はと言えば修羅場の内地から僅かばかりの金を持って再出発を目指し留萌に舞い戻って名ばかりのバイク屋をやっていた、
そこにKATNORIがバイクに乗って仲間達とやって来た 確か16歳くらいのいかにも育ちの良さそうな高校生だった。
そのバイク仲間達はあちこち一緒に走って一緒に瀬越しの海で泳いだりジンギスカンをやったりと楽しかった。
その仲間達とは高校を卒業するまでの二年ほどの付合いだったが中身が濃く その後数年に一度程度とたまにしか逢う事は無かったが数十年と続く事になってゆく
当時は高校生もバイクに乗る事は普通に出来た どこかから貰って来たか拾ったようなバイクが多く自分達で直して乗っていた。
KATUNORIは或る日コンパーノベルリーナーに乗った姉を連れて来た。
その姉は層雲峡の紅葉を見たいと言った。
利口そうで別嬪の姉を見た俺は内地に許嫁が居た事を忘れ すっかり虜になり層雲峡に紅葉を見にゆく事になった。

女人禁制

こんな事が話題になる事こそがおかしいと思うのだが
昭和45年当時はトンネルは18歳未満と女人も立入禁止だった。
土俵もトンネルも何も現場が嫌がっているのに無理して入る事は無いと思うのだ。
誰かの生死が掛かる場合の判断は全く別になるが
行司も回りも自分で考える事もしないし腹括って責任も取らん今時の風潮だな~と思った。
これからそんな輩がドンドン増えるだろう 動画だって殆どが数分で終わり結論がすぐ出ない物は見られる事もない
調べものでも結論を知りさえすればよく、
水の冷たさは知ってはいるが自分では何も出来ないすべてはガラスの向こうなのだ。


一度真冬の川に落ちた事があってエライ冷たい思いをした事があるので
4月の説明会でいまだに落水時には携帯防水カバーがあると説明するが
『 うんで~使う時はどないして使わりますうの~ 』と俺は思ったので
説明してる全国組織の相手に聞いて見た。
「 実際に使った事あるのですか~ 」と聞いた
 お上なのできっと来年も同じ説明をするだろうと思うのだが!
さらにビデオや説明でも今後出航前の点検をせん奴にはお仕置きがあると説明があった。
言ってる事は20年なにも変わらんと帰る人の気持ちがよくわかる。
 

ま~桜の木の下で獄門打ち首は無いかも知れないが漂流すれば下手すりゃ~ネット上で市中引き回し晒し者はあるかも知れん
その畏れ多くも お上のビデオには水に入っていない水冷エンジンを始動して点検をしましょうと説明があった。
監修は誰がやったのか現場を知らない者がやったと思うが恐ろしい勘違いが起きそうなのだが
製作中や公開までにおかしいと思った者は誰も居なかったのか 
先の携帯防水説明回答を聞いた時点でもうこれは何を聞いても、何を言っても無理、と判断してシマッタ
初期の高齢者の落ち葉マークが世に出る構造と同じ事が起きている。

これからネットやパソコンに頼り切ると危ないせめて自分だけでも気を付けようと思いましたマル


新しい作りかたに替えた平成30年新型ラーメン 左がホタテラーメン 右が醤油ラーメン 試作品

ラーメン店を作っては壊し作っては壊しした結果が海栄の名前に冠を付けないと区別が出来なくなっている
うんでここの土日ラーメン店には『 銀座、海栄ラーメン崖下村仕様 』と付けようかと
なんたって思考能力を奪う銀座だぞ~銀座~と言ったがみんなに却下されてシマッタ
貧乏人が食うものだからこそ最低賃金で一時間働いて一杯も食えないラーメンはラーメンではないと思うので
さらに替えてゆこうと思う。
今年から土日でもラーメンを上手く出来なかった場合は店を開けない事にしようかと悩んでいるのだ
なにせ遊んで居る時は狭い軽の中で寝泊まりして全然疲れないのに帰って来て仕事したらやたら疲れるのだょ~。
高齢になって働くと言う事はなんと身体に悪いのかと実感してシマッタのだが
小泉元総理も麻生先生も多くの国会議員でさえ払っていなかった国民年金を下々の俺も払っていなかったので年食っても働かないといけない目に陥っているのだょ~。


カーナビで有料道路は使わないとセットしたので機械がより速い目的到着を探す為に長野では市街地を殆ど走る事が無かった。
さらに一号線ではどうゆう仕組みなのか現在の渋滞もわかるようでそこを迂回して走る。
カーナビとは適当にしないと大事なものを見落とすと思った。
一週間の滞在費は市街地を走る事が無く一度も呑み屋さんに入らずでカードで払ったフェリー代を抜いて
ガソリン代込みでおよそ37、682円だった。
カップ麺は救いの神かもと言うより物販店そのものが無かった。

らべんだあ 乗船


北海道では売られる事は無いフキノトウとウド新芽の天麩羅 春の味がする。

ちょっとビックリ

さらにビックリ ここ崖下村に住んでいたら少し歩くだけで殆どがタダで手に入る。


あゆ大500円 小380円 色々食いたいので小を食す うん 

内地では高級魚 ノドグロ 800円( 税別 )を初めて食す。
味は増毛では流通に乗らない魚を勿体ないと思ったしクソ寒いなかで漁をする桁や刺し網漁師さんの暮らしが楽になるのにと

夜は走らないので翌朝のフェリー出航に備えて出雲崎の道の駅で寝る事に6日間の滞在で2キロ太ってチャウチャウの顔に似てきてシマッタ

 
今回の旅の一番の感動 出雲崎の道の駅の自販機でガソリンより高い水をバッカくせい~な~と銭を入れるか躊躇しながら考えていた。
そこに写真の親子が
「 お父さん、お金入れたから好きなの飲んでいいょ 」と女の子の声 
振りかえると50代くらいのお父さんは普段辛抱してるのか高い自販機で買う事はないのかボタンを押すのに悩みに悩んでいた。
普通は会話としてはおかしい『 お父さん、なに飲む 』と先に聞いてから銭を入れるのではないかと思った。
そこで年上はほらとかなんとか言って千円札を財布から出すのが普通
ましてや年下が年上に使う言葉ではないし上下の厳しい怖い世界の人達ならケリを入れられる。
格上が格下におごって貰うなどは普段その何十倍も面倒を見てる場合だけが許されるのだ。

稼ぎも育てる銭に消えてしまったのか、たいした高そうでない車の父子はその後ずっと海を一緒に見ていた。
オヤジには娘の出す小銭が佐渡の小判に見えたと思う。
3月 娘は就職も決まり土地を離れるのだろうか 
そこまで育ってくれた精一杯の感謝が
「 お父さん、お金入れたから好きなの飲んでいいょ 」


25日昼に出航
人間悪い事は出来ない 一番安い部屋が空いてなく二人一組のベットで北海道に
隣の定年したばかりと思われるチョットオシャレな徒歩で乗船したオヤジが俺に
「 北海道にゆきますよね 」
とオイオイ出航してしまって今更何を聞いてるのだ、丘走るバスではないぞと思ったが心優しい俺は
「 北海道にゆきますよ~どこまでゆくのですか~ 」
その後がビックリ
「 フェリーは初めてで留萌にゆきます 」
「 え~え~留萌のどこですか~ 」
「 留萌市増毛町南暑寒町なのですが町が二つ続くのですが これで大丈夫でしょうか 」と
下船は北海道ではまだ雪が残り暗く寒い早朝4時
「 南小樽まで歩き列車で札幌に出て乗換て深川にゆきまた乗換て留萌で又乗換てバスと、、、、」
佐渡で生まれ育ち定年になり娘を訪ねてゆくと言う。
増毛はまだ留萌と合併してない事を伝え増毛は町が二つ続く事もあると説明した。
よりに寄って隣同士になるなんて人間悪い事は出来ないと思いましたマル
佐渡や新潟の風習や火焔土器など珍しくもなんもない事など沢山話を聞いて良い旅の締め括りになりました。


善人を絵に描いたような赤い靴のお父さんと記念写真 
旅は道連れと俺のゴミステーションと化した車で一緒に増毛に
増毛でこの赤い靴を履いたオヤジを見たら佐渡から来た お父さんです~
ひきりに名前を聞かれたが俺は相手に名前も職業も聞かない代わりに自分でも言う事は無い事を伝えて別れた。

    完

フラフラとアチコチ


燕三条では道の駅トイレの鏡は磨きステンレス 出来にビックリだが価格は幾らするのか気になって仕方なかった。
鏡はどうやって止めてるのか裏をつい見てしまい
ドアノブも凄く生活には困っていないがネジを外しポケットに入れそうなる。


獄門首切り墓 内地の田舎は歴史が長いからか家のすぐ傍に墓がやたらある。墓見る度にイチイチ親指隠していたら運転が危ないぞ 住んでる人はどう思ってるのか聞いてみたかった。


白樺湖標高1420メーターにある食堂でソバ食す 暑寒別岳は1492メーター キャブ式のバイクでは酸欠で登って来るのも苦労すると思う。林相が北海道と全然違う これは内地の人は北海道の山を勘違いすると思った。危ない

炭焼小屋の前を通り越

道幅ギリギリでガードレール無し 下は数十メーターありそう北海道なら冬期間当然通行止め 
がこの奥に人が住んで居る。

近代の宿場跡

長野は人など滅多に通らんだろうと思われる処でも憲法9条を守れと看板が長野県内至る所にある。
他の県と比べて長野は山岳地帯が多く生活も大変だろうと思う その生活の大変な中でも9条を守れと言うのは守る事が出来る事を証明してるような気がしてならない
俺が言うのもなんだが平和は大事だが守る手段は他所は他所、人様のものは奪わない、欲を掻かない、足るを知るに尽きるのではないかと思うのだが

和合小学校 下は崖で山を崩して作ったと思われるがここに現在も開校中の学校がある事が不思議
中は広いらしいが撮影の為に後ろに下がると急流の崖があり全体像を撮る事は出来ない
生徒も少ないのか静まりかえっているぞ~

どうやって資材を運んで学校を作ったのかと言うほどの場所
左端にあるのは俺の車だが道ギリギリに止めてありここに来るにはこの道しかない校門にはこの坂を登ってゆく開校中なので外観だけ

おりゃ~と信州新野千石平に恐そうなオヤジや

月夜に矢を放つ月夜野町の大将や

黄昏ている良寛さんのご幼少の姿や

田中角栄生家 ここ数年誰も来ないと隣の婆様が言っていた。写真撮るならアッチの方角がいいとかコッチもいいとか言っていた。場所を見て豊田佐吉の家とそっくり爺様は大工だったらしい事も同じ

百叩きの刑 数は結構いい加減だったと書いてある。うん、うん、

崖下村のMさんに長野近辺には富岡製糸場もあると言われたので富岡製糸場を見る。
 4年前に世界遺産に登録されたが現在は観光客が激減して何かないかと対策中らしい 現在進行中の復旧工事費は36億円
国が12億 県が12億 人口5万人の市が12億 世界遺産も財政が大変らしいもっと見に来て欲しいと言っていた。


別料金でヘルメットを被り工事中を見学できるがここまで来る観光客は数人だけ ものの裏側を見れるのに勿体ない
どうやってこの特大瓦を止めるのか柱の中も見れ説明も現場の本職がしてくれる。
どんな施設でも博物館でも通りすがりでも人として会話が詰将棋のようにやり込める事にならないように気を付けている。

続24日十日町市なんじゃこりゃ~

初めて見てあまりにも驚いたので写真は殆んど撮っていないがロビーにやたら大きい人では持つ事が出来ないほどの火焔土器のレプリカが展示されている。
火焔土器を縄文土器と一緒にするには無理があると思うのだが
北海道でも800年ほど前に突如として消えてしまったオホーツク文化があるように信濃川周辺だけが早くから渡来系弥生人による文化圏があったと考えるべきではないのか 弥生系の大きな特徴は集団を神と言うもので統率して来てそれは現在の神社などに表れている その祭典に使われたのが火焔土器ではないのか 
複雑な土器は実際の煮炊きには面倒臭いし破損の心配もある。
面白すぎるが旅も終盤になって見たのでそれ以上新潟県内の探索は行う事が出来なかった。
縄文時代が長く続いたのは小さな集団だった事と狩りが主な食糧調達方法で今日がダメなら明日が有るさとあまりクヨクヨしない大雑把な性格だったのが良かったのではないかと思うのだが
弥生になると天候や収穫物の横取りや種籾の管理などが必要で先の心配事が多かったと思われる。
心配事を与えられ心配が多ければ多いほど人は管理されやすくなる。

北海道では紀元1300年頃までと縄文時代が遅くまで残り 釧路北斗遺跡展示館にゆくと縄文時代でも続縄文から擦文と変ってゆくさまを見る事が出来る。
東北をかなりの年数を回って歩いたが秋田県北部から青森県などは人相が違う吉幾三や千昌夫風のガッシリ系が多く見られる。
稲作に適さない気候が弥生人の定着を阻んで来たのではないかと思うのだが稲作文化が育たない処は狩った獲物を塩蔵と言う方法で蓄える為に青森の塩分取り過ぎが現在まで続いていると思うと面白い


23日はある高齢トラックドライバーに逢いに三国峠を越えて太平洋側の一号線をひたすら走った。


新城から一号線 どこかに行ってくれと思ったが目の前をこのミニクーパーがかなりの時間一緒に走っていて
なぜ鳥は丸い物が嫌いなのか分かった
この丸いテールレンズの中にさらに丸がありレンズを見続けると何かしら意識が催眠術に掛かった様な変になる感じがする。
こういうタイプのテールレンズは作るべきではないし要注意だと思う。

トラックドライバーは車の中で何日も寝泊まりするなど拘束時間が多く普通の給料体系では成り立たない為に今でも出来高払いの個人事業主が多く独身者が多い
その年金は万度に貰っても月6万程度しかない者が多く さらに収入が不安定な事や事故などで未納者も多く老後の不安の為に高齢となってもトラックから降りる事が出来ない者が多い
もう充分生きて来た今度は ここ増毛で魚の網外しでも手伝いながら暮らせと誘いに行ったが酒を呑んでる時は一旦は決心したが 
翌朝になったらやはり生活の不安からトラックから降りる事は出来ないと言った。

日本の物流を支えた者達の末路をみた永久の別れにならない事を願うばかりだった。

24日十日町市なんじゃこりゃ~

何千年前の事なので素人がどう想像しようが勝手だと思うのだ。
縄文時代とは獲物を狩って木の実を取って共同体皆で分け合うか物々交換をするのが縄文時代だと思っている。
その為に共同体で何かをする事があっても誰かの労働や物に対価で払う事は無くお返しは自分の作業で返したと思う
弥生時代になって稲作が普及する事で種籾を貸したり与えたりし お返しは採れた作物に何がしかの上乗せをして返して貰う
これが資本主義の始まりの起源ではないのかと思っている。
それは各地の縄文土器を見ても生活に必要な物は使用する個人個人が作って来たので形も模様も誰でも作れるいたって単純な物が多い

十日町市博物館火焔土器 初めて見たが非常に驚いた。
これは明らかに作る事に慣れた者が作った物でおそらく専門に作る者が居たと思われる。
もしそうだとすると縄文時代の自分の物は自分で作ると言う事から外れ分業制の始まりで現在の資本主義の始まりになる。
ローマ時代でも紀元前800年程度だからさらに4000年ほど前に日本では分業制がある事になる。
この火焔土器は日本でも信濃川流域でしか見つかっていないそうだ。
だとするとこれを縄文土器と言う事は出来ないのではないか 
初期弥生かオホーツク文化と同じで似てはいるが非なるものと言うべきではないのか
朝鮮半島から渡来人が対馬海流に乗って来ると能登半島で渦を巻き新潟海岸や山形に多くが流れ着いたと考えてもおかしくはない それは現在の北朝鮮の木造船漂着が新潟方面が多い事もわかる。


十日町市博物館
一国が単一民族で成立ってるなど世界中ありえない事を十日町市博物館は物語っている。
縄文時代はおよそ1万五千年から1万六千年と続いたが資本主義の原型になる弥生時代は三千年程度でたった数パセントの人が過半数の人達の富と同じだけ持っている事で弥生時代はゆき詰まりをみせ始めている。
次はどんな時代が来るのかそれは過去から学ぶ事も大事な事なのだ。